人の目というのが気になる時があります。
人の目が気になるのは、自分というものを持っていないからかもしれません。
人の目というのは実は自分の目です。
人の目を通して、実は自分で自分というものをみています。
自分が思っている通りに自分を見るということです。
だから、人の目が気になる人は、その人の目というのを方便に自分で自分を見ているわけです。
酷いと見られていると感じているのは、自分で自分を酷いと思っているからです。
素晴らしいと見られていると感じているのは、自分で自分を素晴らしいと思っているからです。
自分のことを設定するのは自分の自由です。
自分の設定で人からどう思われているかという幻想が変化していきます。
自分で自分のことを設定できる自由がある
自分のことをどんな自分か自由に決めることができます。
それは、そもそも自分という確固としたものがあるわけではないからです。
要するに自分なんてないということです。
あなたはどんな人でもない。
だれもどんな人でもないのです。
我々はどんな人でもないのです。
すべては幻想ですから。
すべては幻想の私です。
幻想を変えるのは自由です。
今から設定を変えてみましょう。
世界が変化します。(それも幻想ですけどね)
幻想の世界に生きている
すべては幻想であるというのは、古代インドからの哲学と一緒です。
今生きている世界をマーヤと呼びます。
マーヤとは幻想という意味で、そのまま幻想の世界に私たちは生きているということになります。
幻想世界に生きているというのが古代インドの叡智なのです。
だから、幻想の世界に生きている私はもちろん幻想です。
幻想な私が傷つくことはできません。
幻想なのですからね。
今までに人から言われた嫌なことも忘れてしまいましょう。
自分が自分へ向けた憎悪も忘れてしまいましょう。
全部チャラです。
幻想なのですから、チャラでいいのです。
チャラにして新しい世界を創発していきましょう。(それも幻想ですけどね)
優れた人も劣っている人もいない
世界にいる人はみんな平等です。
ものさしを用意すれば、差を見出すことはできますが、絶対的な意味では一緒です。
あなたの中に全てがあります。
全ての人が存在しています。
だから、現実的なこの世界のことを重く感じることもありません。
先ほどのからの話にある通り幻想の世界です。
幻想の世界でも痛みは感じますよ、もちろん。
ですが、解釈は好き勝手していいです。
人に何かされても重く受け取る必要はありません。
みんな一緒で、みんな私です。
全てがあなたであります。
あなたの世界がこの幻想世界なのです。
ですから、重荷を降ろしてしまいましょう。
軽くなっていき、世界も軽くなっていきます。(それも幻想ですけどね)
終わりに:今ここが始まりであり終着点
我々はどんな人でもありません。
特定の誰かではないのです。
今までに人から下された評価は関係ありません。
自分で自分に下した評価も関係ありません。
今という空間しかないのですから、過去は幻想です。
全部を水に流して生きていきましょう。
今ここがスタートでありゴールです。
それ以上の場所も時間もありません。
たったこの刹那にすべてがあるのです。