アサナ(ポーズ)を推奨しております。
それは、アサナが苦行ではなく、本来は生命の喜びを表現する「遊び」だからです。
現代社会において、私たちは何事にも「意味」や「生産性」、そして「正しさ」を求めすぎているのかもしれません。
ヨガのマットの上でさえ、眉間にシワを寄せ、「もっと深く曲げなければ」「もっと完璧なポーズをとらなければ」と、自分自身を追い込んでしまってはいないでしょうか。
古代のヨガ行者たちが森の中で行っていたことは、そのような軍事教練のようなものではなかったはずです。
彼らは、動物の動きを真似て、風の音を聞き、自らの内なる生命エネルギー(プラーナ)と戯れていました。
そこには、純粋な「楽しさ」があったはずです。
今日は、現代人が忘れかけている「アサナを楽しむ」という原点に立ち返り、もっと自由に、もっと軽やかにヨガと付き合うための4つのヒントをお話しします。
楽しんでいい、ということを自分に許可する
アサナの実践に熱中してくると、周囲からこんな声をかけられることがあるかもしれません。
「そんなにヨガばかりやっていて何になるの?」
「身体を酷使して、どこを目指しているの?」
あるいは、あなた自身の中にいる厳しい裁判官が、「仕事や家庭の役にも立たないことに、こんなに時間を使っていいのだろうか」と囁くかもしれません。
現代社会は、お金や地位に直結しない「純粋な没頭」に対して、なぜか冷ややかな視線を送ることがあります。
しかし、断言しましょう。
楽しんでいいのです。
アサナは、それだけで十分に魅力的な営みです。
あなたがアサナに没頭し、汗を流し、マットの上で自分の身体と対話することに喜びを感じているなら、それはあなたの魂がその行為を求めているという証拠です。
そこに理屈や、社会的な意義付けは必要ありません。
「楽しい」という感覚は、あなたの生命力が活性化しているという、最も確かなサインだからです。
もちろん、現実逃避としての依存はいけませんが、アサナをすることでご飯が美味しくなり、夜はぐっすり眠れ、翌朝また活力を持って日常に戻れるのであれば、それは素晴らしい循環です。
意味のないことは起こりません。
あなたがそこに楽しさを見出しているなら、それはあなたの人生にとって必要なピースなのです。
まずは、「私はアサナを極めていい」「私はこの時間を心から楽しんでいい」と、自分自身に許可を出してあげてください。
その許可が出た瞬間、身体は不思議と軽くなり、ポーズの深まり方も変わってくるものです。
アライメントは「怪我をしないため」だけに覚える
「アライメント(骨格の配置)」という言葉を聞くと、多くの人が「守らなければならない厳格なルール」のように感じてしまうようです。
膝の角度は90度、骨盤は正面、背骨は真っ直ぐに。
これらにこだわりすぎると、ヨガは「間違い探し」の作業になってしまいます。
アライメントは、もちろん大切です。
しかし、それはポーズの美しさを競うためでも、解剖学のテストに受かるためでもありません。
ただ一つ、「怪我をしないため」にあるのです。
ヨガの流派によっても、足幅や手の位置といったアライメントの指示は異なります。
アイアンガーヨガとアシュタンガヨガでは、同じポーズでも正解が違うことがあります。
つまり、絶対的な「唯一の正解」など存在しないのです。
あるのは、あなたの骨格にとって「安全で快適かどうか」という事実だけです。
ですから、アライメントに関しては「怪我をしない範囲で覚える」というスタンスで十分です。
解剖学の専門書を読み漁る必要はありません。
あまりにも関節に負担のかかる間違った使い方は避けるべきですが、数ミリのズレを気にして呼吸が止まってしまうくらいなら、多少ズレていても気持ちよく呼吸ができている方が、はるかにヨガ的です。
続けていれば、身体は賢いので、自然と「あ、ここが一番力が伝わるな」「ここだと腰が楽だな」という場所を見つけていきます。
知識で身体を縛るのではなく、身体の感覚を信じてあげること。
そこには割り切りが必要です。
自然体でやる、という遊び心
ヒンドゥー教の概念に「リーラ(Lila)」という言葉があります。
これは「神の遊び」という意味です。
この世界は、神様が楽しんで創った遊び場であり、私たちの人生もまた、深刻な任務ではなく、壮大な遊びであるという考え方です。
アサナもまた、この「リーラ」の精神で行うのが理想です。
「絶対にこのポーズを完成させるぞ」と意気込み、歯を食いしばっている時、私たちのエネルギーは収縮し、漏れ出してしまっています。
これを「過剰ポーズ(過剰ポテンシャル)」と呼びます。
重要度を上げすぎると、心身は緊張し、かえってパフォーマンスが落ちるのです。
自然体が一番エネルギーが溢れてきます。
子供が夢中でジャングルジムを登るように、あるいは猫が気持ちよく伸びをするように。
そこには「頑張る」という悲壮感はありません。あるのは「やってみたい」という好奇心と、「気持ちいい」という快感だけです。
バランスポーズでグラグラしても、それを笑って楽しむくらいの余裕を持ちましょう。
「おっと、今日は風が強いな」くらいの遊び感覚です。
こだわらず、深刻にならず、ただ身体という乗り物を遊ばせる。
そのリラックスした状態(自然体)の時こそ、プラーナは全身を巡り、未開発の能力が開花するのです。
慣れるまでは「適当」に通う
現代人は、すぐに結果を求めがちです。
「1ヶ月で開脚ができるようになる」「3ヶ月で体質改善」といった広告に慣れすぎているせいで、すぐにできない自分を責めてしまいます。
しかし、ヨガは本来、一生をかけて深めていく長い旅路です。
最初はできなくて当たり前です。
ポーズの名前もわからない、先生の言っていることもよくわからない、周りの人はみんな上手に見える。
そんな中で、「完璧にやろう」と思うと、スタジオに行く足が重くなってしまいます。
だからこそ、慣れるまでは「適当」でいいのです。
「今日はマットの上で寝転がりに行くか」くらいの気楽さで通ってください。
ゆっくりと回数をこなして、場の空気に慣れていけばいいのです。
成長の最大のポイントは「才能」ではなく「継続」です。
そして、継続するために必要なのは「根性」ではなく「気楽さ」です。
「今日は調子が悪いから、チャイルドポーズだけしに行こう」
それぐらいのハードルの低さが、結果としてあなたを遠くまで連れて行ってくれます。
まずは続けてみましょう。身体は必ず応えてくれます。
終わりに:呼吸という風を感じて
最後に、アサナを楽しむための最も基本的で、かつ奥義とも言える要素を付け加えておきます。
それは「呼吸」です。
どれだけ難しいポーズができても、呼吸が止まっていれば、それはただの苦しい体操です。
逆に、どんなにシンプルなポーズでも、ゆったりとした呼吸が全身に満ちていれば、それは至高のヨガとなります。
基本は、鼻から吸って、鼻から吐く呼吸です。
無理のない、自然な呼吸で構いませんし、慣れてくれば喉の奥で摩擦音を鳴らす「ウジャイ呼吸」を取り入れても良いでしょう。
呼吸は、心と身体を繋ぐ架け橋です。
呼吸が深まれば、心は静まり、身体の感覚は鋭敏になります。
どうぞ、ご自身の身体という神殿の中で、呼吸という風を感じながら、アサナという遊びを心ゆくまで楽しんでください。
その楽しさの先に、まだ見ぬ新しい私との出会いが待っています。
ではまた。


