スタジオのタイムスケジュールを眺めると、まるで学校の時間割のようにクラスが並んでいます。
「ビギナーヨガ」「中級パワーヨガ」「上級アドバンス」。
星の数で難易度が示され、私たちは無意識のうちに「星の数が多いクラスに出られる自分」を目指してしまいます。
ふと立ち止まって考えてみてください。
私たちは、ヨガマットの上でまで、誰かと、あるいは昨日の自分と、競争しなければならないのでしょうか?
「上級」という名の幻想
「初心者」「中級」「上級」。
このレベル分けは、一体何を基準にしているのでしょうか。
多くの場合、それは「難しいポーズができるかどうか」という、アクロバティックな身体能力の指標に過ぎません。
片足で立てるから上級? 身体が柔らかいから上級?
もしそうなら、サーカスの団員は皆、ヨガの達人(グル)ということになります。
ヨガにレベルなどありません。あるのは「深さ」だけです。
どれだけ深く自分の呼吸を感じられているか。
どれだけ深く、今の自分の状態を受け入れられているか。
その深さは、外側からは決して見えません。
「上級クラス」というラベルは、私たちのエゴを刺激します。
「あのクラスに出られるようになりたい」という上昇志向は、一見向上心のようですが、裏を返せば「今のままの自分では不十分だ」という欠乏感(不足感)の現れでもあります。
このシステム自体が、知らず知らずのうちに競争心と劣等感を生み出し、私たちを「終わりのない運動会」へと駆り立てているのです。
「はい次、はい次」のベルトコンベア
そして、クラスが始まるとどうでしょう。
次から次へと流れるようなシークエンス。
「はい、右足前へ、吸って手を上げて、吐いて前屈、はい次、プランク……」
インストラクターの指示に必死についていくだけで精一杯。
ポーズが持つ哲学的な意味や、内側で起こっている微細なエネルギーの移動、そして何より「呼吸」への深い言及もなく、ただ身体を動かすことだけが目的化していく。
それは、ヨガというよりも「オシャレなラジオ体操」に近いのかもしれません。
確かに汗はかきます。カロリーも消費するでしょう。身体的な爽快感はあるはずです。
しかし、クラスが終わった後、心の奥底はどうでしょうか。
本当に潤っているでしょうか。それとも、慌ただしい動きの中で、心はどこか乾いたまま置き去りにされていないでしょうか。
競争から降りる勇気
運動会には、勝者と敗者がいます。
速い人と遅い人、できる人とできない人が生まれます。
しかし、ヨガの本質は「ワンネス(一元性)」です。分離のない世界です。
そこに優劣を持ち込むことは、ヨガの魂を殺してしまうことと同義です。
もう、ヨガの運動会から降りませんか。
難しいポーズができなくてもいい。
みんなと同じリズムで動けなくてもいい。
「上級者」という称号も、「初心者」という卑下も、すべて手放してしまいましょう。
あるのは、その日、その瞬間のあなたの呼吸だけです。
隣の人と比べる必要のない、昨日の自分を超えようとする必要すらない、絶対的な安心感のある場所。
ただ座り、目を閉じ、一息つく。
その一呼吸の深さに気づいたとき、あなたはすでにヨガの核心に触れています。
派手なポーズよりも、静かな呼吸の中にこそ、本当の「アドバンス(前進)」があるのですから。


