これまでの長い旅路を通して、私たちは自らの内側を深く探求し、そこに眠っていた静寂、愛、そして光を見出してきました。私たちは、呼吸を整え、身体を浄化し、心を観察し、そして大いなる流れに身を委ねることを学んできました。しかし、この内なる旅は、自己満足で終わるものではありません。ヨガの道は、自己の完成(自己実現)から、その完成された自己を世界の奉仕のために捧げる「自己超越」のステージへと、自然に展開していくのです。
想像してみてください。あなたが長い時間をかけて、丹精込めてランプを磨き上げたとします。その芯に油を注ぎ、火を灯し、そのランプが美しく輝き始めた。その時、あなたはそのランプを覆い隠し、自分一人のためだけにその光を独り占めするでしょうか。いや、むしろ、その輝くランプを高く掲げ、暗闇の中にいる他の人々道を照らし、その温かさを分かち合いたいと、自然に願うのではないでしょうか。
私たちの内なる光も、それと全く同じです。あなたが瞑想の中で見出した平安、あなたが困難を乗り越えることで得た智慧、あなたが育んできた慈悲の心。それらはすべて、あなただけのものではありません。それは、この世界という共同体への、あなたからのユニークな贈り物なのです。
この「分かち合い」は、ヨガ哲学における「カルマヨガ(行為のヨガ)」の実践そのものです。それは、自分の行為の結果や見返り(名声、富、感謝の言葉など)への執着を手放し、ただ行為そのものを、世界への奉仕として捧げる生き方です。そして、その究極の形が、自らの「ダルマ(魂の目的に根ざした使命)」を生きることです。あなたの才能、情熱、そしてユニークな経験のすべては、このダルマを果たすために、宇宙から与えられたツールなのです。
仏教の伝統には「菩薩」という理想像があります。菩薩とは、自らの悟りを完成させる能力がありながらも、あえてこの苦しみの世界に留まり、すべての生きとし生けるものが悟りに至るまで、その救済のために尽くす存在のことです。この菩薩の精神は、特別な聖者だけのものではありません。私たち一人ひとりが、日常生活の中で実践することができるものです。
あなたの光を分かち合うために、何か特別なことをする必要はありません。それは、困っている同僚の話を、ただジャッジせずに、深く聴いてあげることかもしれません。あなたの笑顔で、レジの店員さんの一日を少しだけ明るくすることかもしれません。あなたが学んだ知識やスキルを、必要としている人に惜しみなく提供することかもしれません。大切なのは、行為の大小ではなく、その根底にある「与えたい」という純粋な動機です。
光は、分かち合うことで決して減ることはありません。むしろ、一本のロウソクの炎が、他の何百本ものロウソクに火を灯しても、その輝きを失わないように、分かち合えば分かち合うほど、世界全体の光は増していくのです。そして、与えるという行為は、宇宙の豊かさの循環を活性化させ、結果的に、あなた自身のもとへも、さらなる光と豊かさが流れ込むことになります。
あなたは、この世界を照らすために生まれてきた、かけがえのない光の源です。もはや、その光を小さな自己の中に閉じ込めておく必要はありません。恐れずに、ためらわずに、あなたのユニークな輝きを、世界と、そしてすべての人々と、豊かに分かち合っていきましょう。それこそが、あなたの魂が感じる、最高の喜びとなるはずです。


