「私には創造性なんてありません」。そう口にする人に、私たちはあまりにも頻繁に出会います。多くの人々が、「創造性」というものを、ピカソやモーツァルトのような天才芸術家や、世界を変える発明家だけが持つ、特別な天賦の才だと信じ込んでいます。しかし、ヨガの叡智、そして世界の様々な思想の源流を辿る時、私たちは全く異なる真実にたどり着きます。それは、「創造性は、呼吸をする能力と同じように、すべての人間に例外なく備わっている、根源的な性質である」という真実です。
あなたは今朝、何を着るかを選びましたか? それは、色や形、素材を組み合わせる創造的な行為です。夕食の献立を考えましたか? それは、冷蔵庫の中にある限られた材料から、新たな価値を生み出す創造的な行為です。友人と交わす会話、仕事で直面する問題への対処、部屋の模様替え。私たちの日常は、大小様々な創造的な瞬間の連続で成り立っているのです。
ヨガの根幹をなすサーンキヤ哲学は、この世界を「プルシャ」と「プラクリティ」という二つの原理で説明します。プラクリティとは、変化し、形作られる物質的な自然界のこと。そしてプルシャとは、それを見る純粋な意識、変化しない「観照者」であり、すべての創造の源泉です。このプルシャは、すべての人間の内側に、魂の核として静かに存在しています。つまり、あなたの本質そのものが、純粋な創造のポテンシャルなのです。あなたは、創造的な「何か」をするのではなく、あなたという「存在」そのものが創造性なのです。
日本の神道の考え方にも、これと響き合うものがあります。「分御霊(わけみたま)」という思想は、私たち一人ひとりが、宇宙の根源である大いなる神の御霊を分けていただいている、と考えます。創造主の子供である私たちは、当然のこととして、創造する力をその内に秘めているのです。
では、なぜ多くの人が自分の創造性を信じられないのでしょうか。それは、後天的に身につけた、いくつかの「創造性のキラー」によって、その力が覆い隠されてしまっているからです。
その筆頭は、「自己批判」です。「どうせ私のアイデアなんて大したことない」「うまくできるはずがない」という内なる声が、創造性の小さな芽を踏み潰してしまいます。次に「完璧主義」。失敗を恐れるあまり、最初の一歩を踏み出せず、何も生み出せない状態に陥ります。そして「他者との比較」。隣の人の素晴らしい作品を見て、自分のつたない試みを恥じ、やめてしまうのです。
もしあなたが、自分の内に眠る創造性を解き放ちたいと願うなら、ヨガの実践がその最高のガイドとなります。まず、子供のような「遊び心(リーラ)」を取り戻すこと。結果を気にせず、評価を恐れず、ただプロセスそのものを楽しむ。アーサナを完璧な形で行うことよりも、自分の身体が動く感覚、伸びる心地よさを味わうように。
次に、「静寂」の中に身を置くこと。私たちの頭の中は、常におしゃべりを続けています。瞑想や、自然の中を歩くことで、この思考のノイズを鎮める時、その静寂の隙間から、内なる魂の声、すなわち「インスピレーション」が聞こえてきます。創造性とは、何かを無理やりひねり出すことではなく、この内なる声を受け取り、それに形を与えるプロセスなのです。
あなたが呼吸をすることに、何の疑いも持たないように。あなたが創造的な存在であることにも、どうか何の疑いも持たないでください。問題は、その能力があるかないかではなく、その事実にあなたが気づき、それを受け入れているかどうか、ただそれだけです。
「私は、創造的な存在である」。この宣言を、まず自分自身に許してください。その瞬間から、あなたの人生という名の、まだ誰も見たことのない、世界でたった一つのユニークで美しい傑作を創り上げる、壮大な旅が始まるのです。


