年末が近づくと、世の中はどこか「終わり」の雰囲気に包まれます。カレンダーの最後のページをめくり、一年という区切りを迎える時、私たちは達成感や安堵と共に、一抹の寂しさや、何かが過ぎ去っていくことへの感傷を覚えるかもしれません。しかし、自然界の叡智に目を向けるならば、そこに絶対的な「終わり」は存在しないことに気づかされます。冬の枯れ木は死んだのではなく、春の芽吹きのために、静かにエネルギーを蓄えているのです。夜の闇は、新たな朝の光を準備するための、神聖な子宮なのです。
ヨガ哲学の宇宙観では、創造(シュリシュティ)、維持(スティティ)、そして破壊あるいは融解(プララヤ)という、壮大なサイクルが永遠に繰り返されると説きます。この「終わり」に見えるプララヤの時期は、実は、すべての存在がその根源へと還り、次の新たな創造のための無限の可能性を秘めた、最も豊かでパワフルな状態なのです。
この宇宙的なサイクルは、私たちの意識の内側でも常に起こっています。深い瞑想やシャヴァーサナの後に訪れる、思考が止んだ完全な静寂。その静けさの中に、あなたは何を感じるでしょうか。多くの人は、それを「無」や「空虚」と捉え、恐れを感じるかもしれません。しかし、その静寂に深く留まることを学ぶ時、私たちは、それが空っぽなのではなく、あらゆる創造性の源泉となるエネルギーで満ち満ちていることに気づきます。それは、仏教で説かれる「空(シューニャ)」、道教で語られる「虚」の境地です。何もないからこそ、すべてを生み出すことができる。まっさらなキャンバスだからこそ、どんな絵でも描くことができるのです。
一年という旅の終わりに私たちがすべきことは、騒がしく新年を迎える準備をすることだけではありません。その前に、意識的に、この創造的な静寂の海へと深く潜っていく時間を持つことです。今年一年の経験、達成したことへの誇り、やり残したことへの後悔、そのすべてを一旦手放し、思考のおしゃべりを止め、ただ静寂の中に座ってみる。その時、私たちは、終わりと始まりが分かちがたく結びついているという宇宙の真理を、身体で理解します。
真の始まりは、喧騒の中で立てる派手な計画の中から生まれるのではありません。それは、すべてが終わり、すべてが還り着いた後の、深く、穏やかな静寂の中から、まるで泉の水が湧き出るように、自然に、そして静かに立ち上がってくるものなのです。それは、エゴの欲望から生まれた計画ではなく、魂の最も深いところからの呼び声、真の「サンカルパ(誓願)」です。
年の瀬の慌ただしさの中で、一日、ほんの数分でも構いません。すべての活動を止め、目を閉じ、あなたの内なる静寂に耳を澄ませてみてください。そこには、終わったことへのノスタルジアはなく、これから始まることへの不安もありません。ただ、永遠に続き、そして永遠に新しい、「今」という名の、終わりのない始まりが、静かにあなたを待っていることでしょう。


