人生が壮大な演劇(リーラ)であるならば、私たち俳優に与えられた課題は、自分に割り当てられた「役割」をいかにして見出し、それをどのように演じきるか、という点に集約されます。この「役割」という言葉は、ヨガの文脈では「ダルマ(Dharma)」という、より深く、広範な意味を持つ概念として語られます。
ダルマとは、単に社会的な職業や立場を指す言葉ではありません。それは、宇宙の秩序の中であなたという存在が担うべき、固有の「天命」や「なすべきこと」を意味します。それは、あなたというユニークな楽器だけが奏でることのできる、宇宙の交響曲におけるあなただけのパートなのです。インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』は、他人のダルマを完璧にこなすよりも、たとえ不完全にしかできなくても、自分自身のダルマを生きることの方がはるかに優れている、と力強く説きます。
では、どうすれば自分のダルマ、つまり天命とも呼べる役割を見つけることができるのでしょうか。多くの人は、それが何か特別な、劇的なものであるかのように考え、外側に探し求めます。しかし、ダルマは「なる」ものではなく、自分の中に「すでにある」ものに気づくプロセスです。そのヒントは、あなたの日常の中に、ごく自然な形で現れています。
あなたが時間を忘れて没頭できることは何ですか?
あなたがそれをしている時、心が躍り、内側からエネルギーが湧いてくることは何ですか?
人から「ありがとう」と感謝されたり、「あなたにはそういう才能があるね」と言われたりすることは何ですか?
こうした問いへの答えの中に、あなたのダルマの種は隠されています。それは、必ずしも社会的に高い地位や名声を得るような、華々しい役割である必要は全くありません。子供を慈しみ育てる母親であること。一本のネジを完璧に作り上げる職人であること。病める人の心に寄り添う看護師であること。ただ、道端で出会う人に心からの笑顔を向けること。そのすべてが、宇宙の視点から見れば等しく尊く、かけがえのないダルマなのです。
そして、最も重要なのは、その役割を「どのように」演じるか、です。多くの人は、役割を「義務」や「責任」として、あるいは「自己犠牲」として捉え、歯を食いしばって演じようとします。しかし、それでは行為が重くなり、やがては燃え尽きてしまうでしょう。ダルマを生きる上で最も大切なことは、それを「愛と喜びをもって」演じることです。
その役割を演じること自体に、純粋な喜びを見出す。その行為を通して関わる人々や世界に対して、愛と貢献の気持ちを持つ。この時、あなたの行為は、結果への執着から解放された「カルマヨガ」へと昇華されます。それはもはや、あなたを縛る重荷ではなく、あなたを解放し、魂を輝かせるための翼となるのです。
この「自分の役割を喜びと共に生きる」という在り方は、最も自然で、かつ最もパワフルな「引き寄せ」の状態そのものです。なぜなら、あなたが自分のダルマを生きている時、あなたの放つ波動(ヴァイブレーション)は、最も純粋で、最も高い周波数になるからです。宇宙は、その澄んだ音色に共鳴し、あなたの役割遂行をサポートするために、必要な人、物、情報、機会を、まるで魔法のようにあなたの元へと引き寄せてくれるのです。あなたはもはや、必死で流れに逆らって泳ぐ必要はありません。ただ、ダルマという大きな流れに身を任せれば、宇宙があなたを最適な場所へと運んでくれるのです。
あなたに与えられた役割は、他の誰にも演じることのできない、あなただけの聖なる役務です。それを義務感で仕方なく演じるのか、それとも、この上ない名誉として、愛と喜びに満ちて演じきるのか。その選択こそが、あなたの人生という演劇を、退屈な悲劇にするか、輝かしい喜劇にするかを決定づける、唯一の鍵なのです。


