古来、世界中の文化で「笑い」が持つ不思議な力は直感的に理解されてきました。日本には「笑う門には福来る」ということわざがあり、聖書にも「心の楽しみは良い薬となる」という一節があります。しかし、現代社会を生きる私たちは、いつの間にか「笑い」を、何か面白いことがあった時の「結果」としてしか捉えられなくなっていないでしょうか。ヨガ哲学の視点から見ると、「笑い」は単なる反応ではなく、自らの内側から能動的に生み出すことのできる、極めてパワフルな浄化(シャウチャ)であり、解放の技法なのです。
ヨガは、心と身体が不可分に結びついている(心身一如)ことを前提としています。心が緊張すれば身体が強張り、身体が緩めば心も解き放たれる。この原理を最もダイナミックに活用するのが「笑い」です。あなたが腹の底から笑うとき、何が起きているでしょうか。横隔膜が大きく振動し、内臓がマッサージされます。呼吸が深くなり、全身の細胞に新鮮な酸素とプラーナ(生命エネルギー)が送り届けられる。血行が促進され、身体は内側から温まります。そして、脳内ではエンドルフィンやセロトニンといった「幸福ホルモン」が分泌され、ストレスホルモンであるコルチゾールは減少していく。これはもはや、精神論ではありません。私たちの身体に組み込まれた、自然の治癒システムそのものなのです。
インドの医師マダン・カタリア博士が創始したラフターヨガ(笑いヨガ)は、この原理を巧みに応用しています。「面白いことがなくても笑う」という、一見奇妙な実践から始まるこのヨガは、「作り笑いでも、身体は本物の笑いと区別がつかず、同様の生理学的効果が得られる」という科学的知見に基づいています。参加者は、理屈抜きで「ハッハッハッ」と声を出し、身体を動かし始めます。すると、最初はぎこちなかった笑いが、集団の中で伝染し、いつしか本物の、腹の底からの笑いへと変わっていく。これは、思考(面白いから笑う)という順序を逆転させ、身体(まず笑う)から心に働きかける、非常にヨガ的なアプローチと言えるでしょう。
この「笑い」の治癒力は、ヨガの八支則におけるヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)の実践とも深く響き合います。例えば、アヒンサー(非暴力)。私たちは、他者を傷つけないことには敏感ですが、自分自身を「深刻さ」や「完璧主義」で追い詰める、内なる暴力には無自覚なことがあります。失敗した自分を責め、理想通りにいかない現実に眉をひそめる。そんなとき、その状況を笑い飛ばすことは、自分自身に対する究極の優しさ、アヒンサーの実践となるのです。また、アパリグラハ(不貪)は、物への執着だけでなく、「こうあるべきだ」という硬直した考え方への執着を手放すことも意味します。笑いは、その深刻さや執着を、一瞬で吹き飛ばす風のような力を持っています。
引き寄せの法則の文脈では、しばしば「波動(ヴァイブレーション)を高める」ことの重要性が語られます。感謝や愛が高い波動を持つとされる中で、「笑い」は、おそらく最も手軽で、即効性のある波動上昇ツールでしょう。心配や不安といった低い周波数に囚われているとき、無理にポジティブなことを考えようとしても難しいものです。しかし、ただ笑ってみる。それだけで、あなたのエネルギーフィールドは瞬時に軽やかになり、周波数が変わるのです。喜びの周波数は、さらなる喜びの出来事を引き寄せる磁石となります。深刻さは宇宙の流れを堰き止める岩のようなものですが、笑いはその岩を砕き、流れを再開させるダイナマイトなのです。
今日からできる実践は、実にシンプルです。朝、鏡の前に立ったら、自分に向かってニッコリと微笑んでみてください。最初はぎこちなくても構いません。口角を上げる、という身体的な行為が、あなたの心の状態に影響を与えます。通勤中、何か面白いことを思い出して、少し笑ってみる。仕事で小さなミスをしたら、「やれやれ、自分も人間だな」と心の中で笑ってみる。深刻な顔で問題に取り組むのをやめ、少しだけユーモアの視点を取り入れてみる。
笑いは、私たちを縛り付ける重力から魂を解き放つ、翼のようなものです。それは、人生という舞台を、眉間にしわを寄せた悲劇の主人公としてではなく、軽やかに踊る喜劇の登場人物として生きることを選択する、勇気ある宣言なのです。さあ、深呼吸をして、理由なく笑ってみましょう。あなたの内なる宇宙が、喜びに打ち震えるのを感じられるはずです。


