「常にポジティブでいなさい」「ネガティブな感情は手放しなさい」―巷に溢れる自己啓発のメッセージは、私たちを心地よくさせる一方で、ある種の戸惑いも生み出します。では、私たちの内から湧き上がってくる怒りや悲しみ、不安といった感情は、一体どう扱えばよいのでしょうか。それらは単に「悪しきもの」として、見ないように蓋をし、捨て去るべきなのでしょうか。
ヨガの叡智は、ここでも私たちに深い洞察を与えてくれます。怒りや悲しみは、決して罰や失敗の証ではありません。それらは、あなたの感情のナビゲーションシステムが発する、極めて重要な「軌道修正」のサインなのです。それは、カーナビが「ルートを外れました。新しいルートを検索します」と冷静に告げる音声ガイダンスのようなもの。あなたを責めているのではなく、ただ事実を伝え、目的地へと戻るための手助けをしようとしているのです。
例えば、「怒り」という感情が湧き上がってきた時を考えてみましょう。この燃え上がるようなエネルギーは、多くの場合、「あなたの重要な価値観が踏みにじられようとしている」あるいは「あなたの守るべき境界線が侵されようとしている」という警告です。誰かの無神経な一言にカッとなった時、それはあなたの「尊厳」という価値観が脅かされたサインかもしれません。理不尽な要求に憤りを感じた時、それはあなたの「公正さ」という領域が侵害されたアラームなのです。怒りは、破壊的なエネルギーに見えますが、その本質は、あなたが何を大切にし、何を守りたいのかを、燃えるような熱量で教えてくれる、パワフルなメッセンジャーなのです。
同様に、「悲しみ」という感情もまた、貴重な情報を運んできます。悲しみは、「あなたが大切にしていた何かを失った(あるいは、得られなかった)」という事実を告げています。失恋の痛みは、あなたがどれほど深く愛する能力を持っていたかを。目標を達成できなかった時の落胆は、あなたがどれほど真剣にその夢を追いかけていたかを。悲しみは、あなたの愛や情熱の大きさを、その不在によって逆説的に証明してくれるのです。
東洋思想の観点から見れば、これらの不快な感情は、心身のエネルギー(気)の流れに「滞り」や「不調和」が生じていることを示しています。その原因を探り、流れを本来の健やかな状態に戻す必要があることを、身体が自ら知らせてくれているのです。このサインを無視したり、薬で無理やり感覚を麻痺させたりすることは、火災報知器が鳴っているのに、その音をうるさいからと止めてしまうようなものです。火元を突き止め、消火するという本来の作業に着手しなければ、問題は解決しません。
ですから、怒りや悲しみに襲われた時、すぐにそれを追い払おうとするのではなく、まずその感情の存在を認め、一呼吸おいてみてください。そして、自分自身に優しく問いかけるのです。「この怒りは、私の何が脅かされていると教えてくれているのだろう?」「この悲しみは、私が本当に大切にしていたものが何だったかを、教えてくれているのではないか?」。この内なる対話を通して、あなたは感情に飲み込まれる客体から、そのメッセージを読み解く主体へと変わることができるでしょう。
怒りや悲しみは、あなたをより自分らしい、魂の望む道へと引き戻すために現れた、忠実なガイドです。その声に耳を傾ける勇気を持つ時、ネガティブに見えた感情は、自己発見と成長のための、この上なくありがたい贈り物へと姿を変えるのです。


