エゴから離れるためにやっていることでエゴを強化してしまう矛盾というタイトルですが、実際問題、こういったことは多々起こっていることでしょう。
エゴから離れるというのは人として目指す方向だと私は勝手に思っております。
自分勝手に自分さえ良ければいいというのがエゴです。
これを手放していく、それが成長だと思っております。
詳しくは波動の法則をご覧ください。
エゴを減らしていこうとしてはずが、エゴを増やしてしまうというのはスピリチュアルや宗教の世界だけでなく、ヨガの世界でもあります。
わかりやすいところでは、身体や心を整えるためにアーサナ(ヨガのポーズ)を練習していた筈が、ポーズの完成や人よりも優れていたい気持ちが強くなり、アーサナにこだわってしまったり、競ったり比べてしまたりして、エゴが強化されていくのです。
身に覚えがある人も多いことでしょう。
それを批判したいわけではなく、そういうことが起こってしまうということです。
それに気づいてまた鍛錬していくことですね。それでOKかと思います。
こちらの「エゴ(自己意識)を解体するための精神的な教えや修行を、逆にエゴを強化し、自分を飾るために『所有・利用』してしまう罠」というのは既に指摘されている方がおり、これと一言で表す単語もありました。
それはスピリチュアル・マテリアリズム(精神的物質主義)という言葉です。
チベット仏教の指導者であったチョギャム・トゥルンパ・リンポチェが1973年の著書『唯物主義の超克(Cutting Through Spiritual Materialism)』で提唱した概念だそうです。
物質主義(マテリアリズム)がお金や車、高級品をコレクションして自己を誇示するのと同じように、スピリチュアルの世界でも同じ構造の「コレクションと執着」が起きてしまう現象を痛烈に批判した言葉です。
こんな言葉があったのを前は知りませんでした。ずっと問題になっていたのでしょうね。
気づくと、そんなつもりもなくてもいつの間にか、このような物質主義に絡め取られてしまっている。
私もそういったことはありました。
私の場合は知識への渇望ですね。
もっと勉強して(瞑想もして)と知識と鍛錬を積んでいけば、何かしらの場所へと到達できるのではないかと思っていました。
今ではわかってたことですが、「もっともっと」と求めたところでそれは魔境です。それは執着です。結果としては重くなってしまう。エゴを強化してしまう。軽くしていくことではなく重くなることになってしまう。
たまたま、私は人と比べることなどには興味が向かなかったですが、自己鍛錬へと強欲になっていましたね。
精神的物質主義の主なサイン(よくある罠)
精神的物質主義の罠は非常に巧妙で、本人は「熱心に真理を追い求めている」と思っているケースがほとんどです。具体的には以下のような形で現れます。
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知識や体験のコレクション 高名な先生のワークショップ、特別な呼吸法、瞑想のディプロマ(資格)、あるいは「神秘的な覚醒体験」などを集め、それを自分の「ステータス」にしてしまう。
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スピリチュアルな優越感 「私は波動(エネルギー)が高い、あの人は低い」「私は目覚めているが、周囲はまだ眠っている」といった、精神性をベースにした新たな階層意識(ジャッジメント)を生み出してしまう。
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現実逃避としての利用(スピリチュアル・バイパシング) 人間関係のトラブルや自分自身のドロドロした感情など、現実世界の生々しい課題と向き合うことを避け、「すべては一つ」「高次元の視点」といった言葉で蓋をしてしまう。
私は勉強オタクみたいになってましたね。なんでも本を読んでやろうと意気込んでいました。
私は書籍でしたが、ディプロマ(資格)の収集家になってしまう人も見受けられますね。(ヨガの資格になんてなんの権威も価値もありません)
現代社会の構造の問題もあるかもしれませんが、やはり囚われてしまいますよね。気持ちはわかります。
学ぶことは楽しいですが、もっと学べば自分が変わるとか、プロフィールを育てることに躍起になってしまうことにハマってしまう。
ヨガに関していえば、そういうものではないのは当然です。
何か特別なトレーニングコースはありませんし、特別な人に習わないとヨガが深まらないようなものでもないからです。
ヨガを実践していくことでわかってくるのでしょう。
私はプロフィールに資格は一つくらいでいいのではないかと思っていたし、または一つも書かれていないくらいでいいと思っていたのですが、そうともいかないようですね。
世間の評価というのは難しいものです。ヨガやスピリチュアルというジャンルに限っては、資格収集家や自慢癖のある人には近づかない方がよろしいのではないでしょうか。
逆にそういったエゴに惹かれてしまう場合は、自分の状態がそのような状態だというのがわかるので、気付けるタイミングでもあるでしょう。
気づくためのチェックリストがあります。
それは意識の段階です。
「手放しのすすめ」という良書に意識の段階がまとめられています。
- 恥 (20):自己否定
- 罪悪感 (30):自責の念
- 無気力 (50):絶望感
- 悲しみ (75):失意
- 恐怖 (100):不安
- 欲望 (125):執着
- 怒り (150):攻撃性
- プライド (175):見栄
- 勇気 (200):変革の意志
- 中立 (250):柔軟性
- 意欲 (310):楽観主義
- 受容 (350):許し
- 理性 (400):深い理解
- 愛 (500):無条件の愛
- 喜び (540):内なる充足
- 平和 (600):静寂
- 悟り (700-1000):純粋意識
こちらの書籍もおすすめなのですが、なんかおすすめすること自体が精神的物質主義に陥りそうですね。やれやれ。
この意識の段階のキーワードを観じとってみるだけでも良い内観になると思います。
あとは、どう実践したらいいのか問題ですが。
謙虚に素直に、どの段階にいるのかを自分で顧みることしたら、より良い方向へと自ら実践していくことです。よく言われる気づいて実践するということです。結局は「どうしたらいいのか」ではなくて「気づいて行動する」しかないようです。
プライドの段階がありますが、ここが一つ難関に思います。
不安、執着、攻撃性などは気付きやすいです。
不安癖のある人もいるでしょう。
断捨離をしていても、将来への不安が出ることもあることでしょう。これがとてもわかりやすい不安感です。
未来に対して無計画になれということではないので悪しからず。
執着も気付きやすいと思います。
執着というのは、「それが無くなる(できない)と嫌だと強く思う」時に現れやすいです。
とまぁ、全部網羅して書いていると大変なので、今日はこのくらいにしますが、結局は自分のことを自分で気づいていくしかないということです。
気づけるための周りからのサポートはあります。
どんな人からもサポートがきているのです。
見えない存在からのサポートもあります。
ですから、一人で気づくと言ってもこのようにサポートもあります。
素直に謙虚に実践ですね。
最近も私も色々とわかったことがあります。
一つは「やっぱり必要があってそれは起こっている」ということ。
感覚的に腑に落ちた体験がありました。
足立幸子さんの「あるがままに生きる」に書かれていることですが、「自分に対して嫌なことをして気づかせる人も、生まれてくる前にそのような行動をとるように一緒に決めてきた」というようなニュアンスが書かれています。
それがですね、わかったのです。
体感として「おおおおおおお、そういうことだったのか。マジ感謝!」みたいになったのです。
とてもノリが軽くて申し訳ありませんが、わかった感がありました。
そういうことかと。
自分だけでなく周りの方々のこともわかったのです。
なんかわかっちゃった感じ。
わかったら実践です。
ではまた。







