はじめに──なぜ現代人に東洋思想が必要なのでしょうか。
情報があふれ、選択肢が増え続ける現代社会。便利になればなるほど、なぜか「生きづらさ」を感じる人が増えています。
私自身もシステムエンジニアをやっておりましたが、当時は日に日に疲弊していってしまいました。
テクノロジーは進化し、物質的な豊かさは増した。それでも、多くの人が慢性的な疲労を抱え、将来への不安を手放せず、自分が何者かわからないまま日々をやり過ごしています。
その問いに対して、EngawaYogaは2,500年以上前から受け継がれてきた東洋思想の中に、現代人への答えがあると考えています。
禅・老子・ブッダの教えなどの東洋思想──これらは単なる宗教や哲学ではなく、今この瞬間をいかに生きるかという、極めて実践的な智恵の体系です。
EngawaYogaでは、それらの教えをヨガと融合させ、東京という都会の中で日常的に実践できる形に落とし込んでいこうとトライしております。
難しいことをしようとしているわけではなく、さまざまな書物で伝えれていることを実践してみよう、そうすれば何か掴めるかもしれない、何か気づけるかもしれない、そんな気軽な試みです。
もくじ
禅──「ただ座る」という革命
東洋思想の中で、EngawaYogaが最も深く影響を受けているもののひとつが禅です。
禅の本質は、道元禅師の言葉「只管打坐(しかんたざ)」に凝縮されています。「ただひたすらに坐ること」。それだけです。何かを得ようとしない。何かになろうとしない。ただ坐る。本当にただ坐るだけ。
これは一見シンプルすぎるように思えます。しかし実際にやってみると、いかに私たちが「何かをしようとすること」に縛られているかがわかります。瞑想しようとする、リラックスしようとする、悟ろうとする、考えないようにしようとする──その「しようとすること」自体が、瞑想の妨げになっているのです。
しようとすること、これがエゴの働きです。(悪いとかいう意味ではありません)
EngawaYogaのSIQAN(シカン)は、この禅の精神に影響されています。「ただゆるめる」というSIQANのモットーは、只管打坐の簡易バージョン、もしくはスピリチュアルバージョンと言ってもいいかもしれません。作為をやめること。努力をやめること。そこからはじめて、瞑想が「向こうからやってくる」のです。
禅はまた、日常のすべてが修行であるという考え方も持っています。坐禅の時間だけが禅ではなく、掃除も、食事も、歩くことも、すべてが修行の場です。EngawaYogaが「掃除やお片付けは基本」とし、スタジオの環境整備に細心の注意を払っているのも、この禅の精神からきています。
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老子──「無為自然」という生き方
次に、EngawaYogaの思想に深く影響を与えているのが老子の哲学です。
老子の核心概念は「無為自然(むいしぜん)」です。作為をせず、自然のありようにしたがって生きることです。川の流れに逆らわず、風の動きに逆らわず、ものごとが自然に展開するのに任せていく。
現代人はこの逆をやっています。コントロールしようとする。計画通りに進めようとする。思い通りの結果を出そうとする。そしてうまくいかないとき、苦しむ。
老子はこう言っています。「為学日益、為道日損(学を為せば日々益し、道を為せば日々損す)」。学問は日々積み上げるものだが、道(タオ)は日々削ぎ落とすものだと。
EngawaYogaが「増やすのではなく、減らす」というコンセプトを中心に据えているのは、まさにこの老子の哲学に基づいているというのは言い過ぎですが、似ているところはあるのかもしれません。
JIQANの「引き算から始める自己探究」も、ENQAN・SIQANの「余計なことをしない」という姿勢も、すべて老子の無為自然と深くつながっています。
また老子の「上善如水(じょうぜんはみずのごとし)」という言葉も示唆深いです。最高の善は水のようなものだ、と。水は低いところに流れ、万物を養い、争わない。EngawaYogaが「急がず、騒がず、淡々と」というスタジオの空気感を大切にしているのも、この水のような生き方への敬意からです。
大学生の頃からこの上善如水という言葉は好きでした。
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ブッダの教え──「苦しみ」の正体を知る
3つ目の柱はブッダ(釈迦)の教えです。
ブッダが最初に説いたのは「四苦八苦」──人間の苦しみの構造でした。しかしブッダが伝えたかったのは、苦しみそのものではなく、苦しみには原因があり、その原因を取り除けば苦しみは消えるということでした。
苦しみの根本原因は「執着」です。あれが欲しい、こうでなければならない、変わってほしくない──こうした執着が、苦しみを生み出します。
エゴが執着を生み出します。イコールと言ってもいいかもしれません。エゴから離れること、執着を手放していくことは、苦しみから離れるのに大事なことです。
EngawaYogaが「手放すこと」を実践の中心に据えているのは、このブッダの洞察に同意しているからです。ENQANのアーサナで身体の執着を手放す。JIQANの内観で自己への執着を手放す。SIQANの瞑想で思考・感情への執着を手放す。3つのメソッドはすべて「手放し」のプロセスとして設計されています。
またブッダは「中道(ちゅうどう)」も説いています。苦行でも快楽でもなく、その中間を歩くことが悟りへの道だと。EngawaYogaが「ゆるくでも継続する」「本気だが急がない」という姿勢を取っているのも、この中道の精神です。
頑張ること、努力することはエゴの働きです。それは執着を生み苦しみにつながります。ですので、それらからも離れないといけません。
ヨガ哲学──パタンジャリの八支則
東洋思想の文脈でヨガを語るとき、欠かせないのがパタンジャリの「ヨーガ・スートラ」と八支則です。
八支則とは、ヨガの実践のための8段階の指針です。ヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)・アーサナ(座法)・プラーナーヤーマ(調気法)・プラティヤーハーラ(感覚制御)・ダーラナー(集中)・ディヤーナ(瞑想)・サマーディ(三昧)の8つから構成されます。
現代のヨガはアーサナ(ポーズ)に偏りがちですが、本来のヨガは生き方の総体です。他者を傷つけない(アヒンサー)、嘘をつかない(サティヤ)、必要以上に執着しない(アパリグラハ)──これらはすべて日常の生き方の指針です。
EngawaYogaではENQANでアーサナを深めながら、SIQANで瞑想(ディヤーナ)へ、JIQANで内省(ダーラナー)へとアプローチしています。八支則の実践を、現代の都市生活の中で無理なく統合していけるよう設計されているのです。
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東洋思想とヨガをEngawaYogaで実践するということ
禅・老子・ブッダ・ヨガ哲学──これらの教えは、すべて同じ方向を指しています。
手放すこと。作為をやめること。本来の自分に戻ること。
EngawaYogaはこれらの智恵を「知識として学ぶ」のではなく、「身体で実践する」場所です。アーサナで、瞑想で、内観で、日々の生活の中で。東洋思想の本質は、頭で理解するものではなく、身体と経験を通じて会得するものだからです。
■ 東洋思想が現代人にもたらすもの
東洋思想の実践を続けることで、何が変わるのでしょうか。EngawaYogaでの体験から見えてくるのは、以下のような変化です。
・メタ認知能力の向上:陰陽を俯瞰する視点が身につくことで、物事を大きな流れの中で捉えられるようになります。
・手放す力:執着の手放し方を、身体レベルで学ぶことができます。
・今この瞬間への集中:「いまここ」に意識を向ける力が高まります。
・利他の心の芽生え:自我への執着が薄れることで、自然と他者への関心が広がります。
■ まとめ──EngawaYogaは東洋思想の実践道場
EngawaYogaは、東洋思想の知識を学ぶ場所ではありません。身体で実践する場所です。
禅の「只管打坐」をSIQANで体験する。老子の「無為自然」をJIQANの引き算で実践する。ブッダの「手放し」をENQANのアーサナで体現する。ヨガ哲学の八支則を日常生活に統合する。
それぞれの思想が、EngawaYogaの3つのメソッドを通じて、現代人が実践できる形に翻訳されています。
■ よくある質問
Q. 宗教的な要素はありますか?
特定の宗教への帰依を求めるものではありません。禅・老子・ブッダの教えは、宗教として信じるものではなく、生き方の智恵として実践するものとしてEngawaYogaでは扱っています。
Q. 東洋思想の知識がなくても参加できますか?
まったく問題ありません。むしろ先入観なく体験できる方が、変容が起きやすいこともあります。
Q. どのクラスが東洋思想と最もつながっていますか?
すべてのクラスが東洋思想やスピリチュアリティをベースにしていますが、特にJIQANは内観を最も直接的に実践するクラスです。SIQANは禅の「只管打坐」の精神に最も近いクラスです。
Q. ヨガ哲学を体系的に学べますか?
ENQANのクラスでは毎月ヨガ哲学(東洋思想なども)のテーマを設定し、アーサナと哲学を統合して深めていきます。また365日配信のメールマガジン「あるがままに生きるヒント365」では、日々の実践のヒントをお届けしています。






