ヨガブームが来ていませんか?(2016/06/23現在)

365days

 

最近、街を歩いているとヨガスタジオの看板を頻繁に見かけるようになった。熱気の中で汗を流すスタイルや、お洒落なウェアを身にまとってポーズを決める姿が、メディアでも連日のように取り上げられている。2016年の今、日本には確実なヨガの波が押し寄せている。

しかし、この賑やかさを目の当たりにするたび、少し立ち止まって考えてみたくなる。私たちが消費しているものは、本当にヨガなのだろうか。

きらびやかなスタジオでポーズの美しさを競うことや、ダイエットの手段として消費されること。それ自体を否定するつもりは毛頭ない。身体を動かす爽快感は素晴らしいものだし、健康への意識が高まるのは良いことだ。それでも、ヨガの本質はもっと静かで、むしろ地味な場所にあると感じてしまう。

プロの作家として、またヨガを哲学として探求する立場から、この現代のブームの裏側にあるものを少し深く掘り下げてみたい。

 

ヨガという言葉の起源

そもそも、ヨガとは何なのだろう。初心者の方にも分かりやすいように、まずはその定義から始めたい。

ヨガという言葉は、古代サンスクリット語の「ユジュ(yuj)」という動詞に由来している。この言葉には「繋ぐ」「結びつける」「御する」といった意味がある。馬車に馬を繋ぎ止める軛(くびき)を指す言葉でもある。

つまりヨガとは、バラバラになりがちな私たちの心と身体、そしてこの世界を再び一つに結びつけるための実践を意味する。

紀元前に編纂された古典、パタンジャリの「ヨガ・スートラ」において、ヨガは次のように定義された。「チッタ・ヴリッティ・ニローダハ」。これはサンスクリット語で「心の働きの止滅」を意味している。

チッタは「心」、ヴリッティは「動きや渦」、ニローダハは「静止や制御」だ。私たちの頭の中で常に渦巻いている思考の波を静め、穏やかな湖面のような状態を取り戻すこと。これこそがヨガの本来の目的である。ポーズを綺麗に取ることがゴールなのではなく、ポーズを通じて心の波を静めることこそが主眼なのだ。

 

東洋思想の歴史的な背景

ヨガの歴史を紐解くと、その根底には深い東洋思想の河が流れている。起源は今から数千年前のインダス文明にまで遡ると言われている。

紀元前、インドの地で誕生した古代の哲学書「ウパニシャッド」の時代に、ヨガの思想的な基礎が築かれた。ここで説かれたのが「梵我一如(ぼんがいにょ)」という概念だ。

梵我一如とは、宇宙の根本原理である「ブラフマン(梵)」と、個人の本質である「アートマン(我)」が、実は全く同一のものであるという思想を指す。私たちは社会の中で「自分」という個別の存在として生きているが、本質的には宇宙の大きな循環の一部に過ぎない。この真理を頭での理解を超えて、身体感覚として体験するための方法論がヨガであった。

この思想はのちに仏教へと受け継がれ、中国や日本に渡って「禅(ぜん)」の文化へと昇華していく。禅の語源はサンスクリット語の「ディヤーナ(静慮・瞑想)」であり、まさにヨガの瞑想そのものだ。

呼吸を整え、姿勢を正し、今この瞬間にただ座る。私たちが日常の喧騒から離れて静けさを求める心の動きは、何千年も前から東洋の先祖たちが繰り返してきた営みと完全にシンクロしている。

 

頭の中のおしゃべりを止める

現代を生きる私たちは、情報過多の時代を生きている。スマートフォンを開けば果てしないニュースが流れ込み、仕事や人間関係のタスクが頭を離れない。

実は、人間の苦しみの多くは「頭の中のうるさいおしゃべり」から生まれている。私たちは過去の出来事を後悔し、まだ見ぬ未来の不安に怯える。この頭の中の自動思考は、まるで勝手に暴れ回る猿のようだ。東洋の伝統ではこれを「モンキーマインド」と呼ぶ。

頭の声が大きくなると、私たちは「今、ここ」にある現実を見失ってしまう。自分を責める声、他者を批判する声、あれが足りない、これが欲しいという欲望の声。これらはすべて、エゴが作り出す幻影だ。

ヨガのプラクティスは、この肥大化したエゴの声を静めるための強力な道具となる。マットの上に立ち、ただ自分の身体の感覚に意識を向けてみる。右足の裏が床を押す感覚、背骨が伸びていく感覚、そして鼻腔を通り抜ける空気の冷たさ。

身体というリアルな拠り所に意識を100パーセント注ぎ込むとき、不思議と頭の中の声は消えていく。思考が静止したその瞬間、私たちは本来の静かな自分自身(本体)へと戻ることができる。

 

ミニマリズムとしてのヨガ

現代社会は、私たちに「もっと多く」を求める。もっとお金を、もっと地位を、もっと知識を、もっと美しさを。

しかし、ヨガの思想はそれとは真逆の方向を向いている。それは徹底的な「引き算」であり、ミニマリズムの思想そのものだ。

ヨガの倫理規定(ヤマ・ニヤマ)の中には、「アパリグラハ(不貪:必要以上に所有しないこと)」や「サントーシャ(知足:満ち足りていることを知ること)」という教えがある。

私たちは外側に何かを付け足さなくても、すでにそのままで完全な存在である。呼吸ができる身体があり、今この瞬間に生きている。それだけで十分に満たされているという事実に気づくこと。これが知足の精神だ。

ヨガを実践するために、たくさんの道具や広いスペースは必要ない。畳一枚分のスペースと、自分の身体、そして呼吸があれば、どこでも始めることができる。多くの所有を手放し、内側の静けさだけを頼りに生きる姿勢は、現代のミニマリズムの本質と深く共鳴している。ブームに踊らされて新しいウェアを買い漁る必要など、本当はないのだ。

 

身体と呼吸へのアプローチ

では、実際にどのようにしてヨガを進めていけばよいのだろうか。 EngawaYogaが大切にしているのは、きわめてシンプルな身体へのアプローチだ。

まずは呼吸に意識を向けることからすべてが始まる。私たちは普段、無意識に浅い呼吸を繰り返している。緊張している時やストレスを感じている時、息は胸のあたりで浅く速くなる。

それを意図的に、深く、穏やかな呼吸へと変えていく。息を吸うときに吸気(すういき)が身体の隅々を満たし、吐くときに呼気(はくいき)が余計な緊張を外へと連れ出していく様子を観察する。

次に、その呼吸に合わせて身体を動かしていく。無理に難しいポーズ(アーサナ)に挑戦する必要はない。大切なのは、自分の身体の声を聴くことだ。どこが硬いのか、どこが心地よいのか。

ポーズを取っている最中、もし頭の中で「もっと柔らかくならなければ」とか「あの人より上手くやりたい」という思考が湧いてきたら、それに気づいてそっと手放す。ジャッジ(評価)をしないこと。ただそこにある感覚をありのままに受け入れる。

この練習を繰り返すうちに、身体の軸が整い、同時に心の軸も定まっていく。肉体の余計な力みが抜けると、精神の緊張も自然と解けていくものだ。身体と心は、決して切り離すことのできない一つの生命現象だからである。

 

ブームの先にあるもの

2016年のこのヨガブームは、いずれ去るかもしれない。新しい健康法やトレンドが登場すれば、メディアの関心はそちらへ移るだろう。

だが、それで構わないのだ。流行として消費される表面的なヨガが消え去った後にこそ、本当にヨガを必要とする人々のための静かな空間が残る。

私たちが求めているのは、一時的なリフレッシュや、他人に誇示するための健康美ではないはずだ。日々の慌ただしさの中で見失いそうになる、自分自身の中心にある静けさ。何が起きても揺らぐことのない、穏やかな大地のような安心感。それに出会うために、私たちはマットの上に座る。

形にとらわれず、ただ今日という一日の終わりに、あるいは始まりに、静かに目を閉じて呼吸を数えてみる。それだけで、あなたはすでに立派なヨガの実践者だ。

世間のブームがどうであれ、私たちは淡々と、自分の呼吸を続けていけばいい。身体の感覚に耳を澄まし、今この瞬間に深く寛ぐこと。その静かな革命は、いつでもあなたの内側から始めることができる。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。