私たちは毎日の生活の中で、驚くほど多くの思考に囲まれて暮らしています。
「あれをしなければならない」「なぜあんなことを言われたのだろう」といった、止めどない思考が頭の中を駆け巡っているのではないでしょうか。
このような状態が続くと、心も身体も疲れ果て、深い疲労感に襲われがちです。
実は、こうした絶え間ない脳内のおしゃべりは、私たちの「左脳」の過剰な働きによるものと考えられます。左脳は言語、論理、分析、そして過去や未来への執着を担当する領域です。
一方で、直感、身体感覚、全体性、そして「いま、ここ」の瞬間を感じ取るのが「右脳」の役割と言えます。現代社会は左脳を酷使する環境に満ちており、私たちは無意識のうちに感覚を失いがちです。
だからこそ、そろそろ右脳の感覚に立ち戻る「右脳回帰」が必要になってくるのでしょう。そして、それこそが本来のヨガの目的そのものに他なりません。
もくじ
左脳の自動思考という現代病
私たちが頭の中で勝手に行っている独り言は、「自動思考(じどうしこう)」と呼ばれています。これは、私たちが能動的に「考えよう」と決めて考えているものではありません。心臓が自分の意志とは関係なく動き続けているのと同じように、脳が勝手に紡ぎ出しているノイズのようなものです。
社会の中で生きるためには、他者に自分の考えを論理的に説明する責任が生じるでしょう。自分の中で起こった感覚的な出来事を、「これこれこういう理由だから、こうなった」と言葉ででっち上げる能力を磨くうちに、私たちは左脳を優位に使う癖をつけてしまいました。
左脳はルールを重んじ、物事を白黒はっきり分け、まだ見ぬ未来の不安や、過ぎ去った過去の後悔を頭の中で再生し続けます。
ヨガの根本経典『ヨーガ・スートラ』では、このような心の絶え間ない動きを「チッタ・ヴリッティ(心の揺らぎ)」と呼び、それを静めることこそがヨガであると定義しました。つまり、ヨガの起源からして、過剰に働き続ける左脳のおしゃべりを静止させることが求められていたのです。
私たちが日々感じているストレスや不安の大部分は、目の前の現実そのものではなく、左脳が作り出したストーリーに起因しています。この思考のストーリーから距離を置くために、感覚の世界へと意識をシフトさせるプロセスが重要と言えるでしょう。
身体感覚という錨。右脳へと意識を降ろす技術
では、どのようにすれば過剰な左脳の働きを抑え、右脳優位の状態へと回帰できるのでしょうか。その最も強力でシンプルな方法が、自分の「身体感覚(しんたいかんかく)」に意識を集中することです。
人間の脳は、感覚に深く意識を向けているとき、同時に言葉による思考を働かせることが難しいという性質を持っています。例えば、足の裏が地面に触れている感触や、呼吸によってお腹が膨らみ、しぼんでいく動きに意識を完全に留めてみてください。その瞬間、頭の中の自動思考は一時的にストップしていることに気づくはずです。
ヨガ哲学において、この実践は「プラティヤーハーラ(制感)」や「ダーラナー(集中)」のプロセスに重なります。制感とは、外側に向かう五感のエネルギーを内側へと引き戻すことであり、集中とは、一つの対象に意識を繋ぎ止めることです。
私たちは普段、意識(アテンション)をすべて頭の位置、すなわち左脳の領域に置いて生活しがちです。これを、胸やお腹(丹田・たんでん)のあたりまで、物理的に「降ろす」イメージを持つことが極めて有効になってきます。
意識を頭から体へと降ろしていくことで、頭の中は文字通り空っぽになり、静寂が訪れるでしょう。この状態のとき、私たちは自分の内側に備わる大いなる存在、すなわち「プルシャ(純粋観照者)」の視点を取り戻していると言えます。心や身体の動きをただ見つめているだけの静かな存在こそが、本来のあなたに違いないのです。
アーサナ(ポーズ)は右脳回帰のための装置
現代のヨガレッスンでは、アクロバティックなポーズを上手にこなすことや、柔軟性を高めることが重視される傾向にあります。しかし、それはヨガが本来目指している本質から少しズレてしまっているのかもしれません。
ポーズを上手にやろうとするとき、私たちの左脳は「正しいか、間違っているか」「他人より優れているか、劣っているか」を判断し始めます。これでは、ヨガをしながら左脳の自動思考をさらに活発にしているようなものです。
ヨガにおいてアーサナ(ポーズ)を行う真の目的は、身体という名の「いま、ここ」の装置に意識を繋ぎ止めることにあります。身体を動かし、筋肉が伸びる感触や、重力を受けている感覚をただ純粋に「感じる」こと。その感覚的な世界に没頭しているとき、左脳のルールや評価システムは一切機能しなくなります。
ポーズの上手さや美しさに執着することを手放し、身体をユルユルに解きほぐしていくプロセスそのものがヨガなのです。東洋思想における「自他一如(じたいちにょ)」、すなわち自分と世界の境界線が消えていく感覚は、思考が静まり、右脳的な調和に満たされたときに初めて体感されます。ポーズができるかどうかを競うのをやめ、ただ身体の微細な感覚を味わうことへとシフトしていきましょう。
思考を削ぎ落とすミニマリズムの生き方
右脳に回帰するということは、生活の中に「余白」を作るミニマリズムの思想とも深く共鳴する営みと言えます。現代社会は、常に新しい情報や物質を付け足していく「足し算の生き方」を私たちに求めがちです。「もっと知識を増やさなければ」「もっと洗練されたライフスタイルを送らなければ」という強迫観念は、すべて左脳の仕業に他なりません。
ヨガには、自分に与えられた現状に満足する「サントーシャ(足るを知る)」という重要な智慧があります。新しい情報を取り込むのを一度やめて、脳内を整理し、余計な自動思考というゴミを削ぎ落としてみてください。
情報過多の現代において、最も贅沢なのは、物質的に豊かなことではなく、精神的に「空っぽで静かであること」ではないでしょうか。何も考えていない、ただここに存在しているという感覚の心地よさを、私たちは思い出すのが先決でしょう。
私たちが主宰するEngawaYogaでは、身体の緊張を根本から解放し、ただ座るだけの日本一簡単な瞑想(SIQAN)をおすすめしています。難しいテクニックは必要なく、ただ意識を身体に預けて、内なる静寂が広がっていくのを見届けるだけです。この「引き算の生き方」を実践することで、自然と左脳の自動運転が止まり、右脳的な安らぎがあなたの内側を満たしていくでしょう。
おわりに:頭のおしゃべりを止めて、感覚の世界へ
左脳が作り出す過去や未来の幻影にエネルギーを注ぐのを、そろそろ終わりにしませんか。
今この瞬間に目の前にある現実、そしてあなたを支えている身体の感覚こそが、唯一信頼できるリアルです。ヨガの練習とは、身体を柔らかくする運動ではなく、このリアルへと意識を繋ぎ止めるためのトレーニングなのです。
日々の生活の中で、数分だけでもスマートフォンや思考のループから離れ、身体の内側の温かさに意識を向けてみてください。頭の中で繰り広げられる「自分をめぐる物語」から解放されたとき、世界は驚くほど鮮やかで、優しさに満ちていることに気づくでしょう。
右脳回帰とは、何か特別な能力を開発することではなく、私たちが本来持っていた無邪気で穏やかな意識を取り戻すプロセスです。都会の騒がしさの中に身を置きながらも、自らの内なる静寂と深く繋がり、軽やかに生きていきましょう。






