職を選ぶときの4つの質問:東洋思想とヨガ哲学から紐解く、エゴを手放すキャリア選択

365days

多くの人が、人生の節目において「どのような職に就くべきか」という問いに直面します。
現代のキャリア論では、自分の強みを活かすことや、高年収、良好なワークライフバランスを重視する傾向が強いようです。
しかし、世間の常識に倣って仕事を選んだ結果、なぜか心に不調をきたし、満たされない思いを抱え続ける人々は少なくありません。
なぜなら、世間一般的な仕事選びの基準の多くは、私たちのエゴ(アスミター)を満足させるための記号で溢れているからです。
ここで言うエゴとは、ヨガの根本経典『ヨーガ・スートラ』で説かれる「アスミター」、すなわち自我意識や虚栄心のことを指します。
自分のステータスを飾り、他者に対して優越感を得るための職選びは、長い目で見ると私たちを深い疲弊へと誘うことになるでしょう。

東洋の智恵が教える、職を選ぶときの4つの質問は以下の通りです。

・選ぼうとする職は、己の使命や果たすべき役割を意味する「ダルマ」に沿っているでしょうか。
・その仕事は、他者や社会に調和をもたらす「正命(正しい生業)」に合致していますか。
・成果や他者の評価に捉われず、目の前の作業そのものに没頭する「カルマ・ヨガ」として実践できますか。
・今の自分で十分に満ち足りていることを自覚する「サントーシャ(足るを知る)」を維持できる規模の職でしょうか。

これら4つの問いかけについて、以下にまとめていきます。

 

その選択は、あなたのダルマ(使命・本分)に沿っているか

最初の問いは、選ぼうとしている職があなたのダルマに調和しているかどうか、という点です。
ダルマ(Dharma)とは、古代インドの思想において、宇宙の秩序や調和を維持するための本分、義務、あるいは生きるべき正しい道を意味します。
現代のキャリア相談や自己啓発の世界では「あなたの好きなことやワクワクすることを選びましょう」とよくアドバイスされるものです。
しかし、ヨガの視点から見れば、その一時的なワクワクは、欲望(ラーガ)やエゴを喜ばせるための錯覚に過ぎない場合が多々あります。
ラーガとは、特定の快楽や刺激に対する強い愛着や渇望を指し、この衝動に従うだけでは一時的な満足は得られても、永続的な心の安定には至りません。
これに対して、ダルマに基づく選択とは、自分の個人的な好き嫌いを超えて「自分に今、何が求められているか」という客観的な役割に徹する態度を意味します。
例えば、特別な華やかさはなくても、目の前の環境があなたを必要としており、自らの資質がそこに無理なく生かされる状態と言えるでしょう。
精神世界の学びを深めてきた人ほど、自分の欲望をがむしゃらに追いかけるのをやめて、宇宙の大きな流れに自らを委ねる心地よさを理解しているのではないでしょうか。
エゴ(アスミター)の声を脇に置いて、今ここで自分が果たすべき自然な義務を受け入れることが、結果的に深い心の平安をもたらすのです。

 

他者や社会に調和をもたらす正命(正しい生業)か

二番目の問いは、その仕事が正命(しょうみょう)に合致しているか、という論点になります。
正命(Samyag-ajiva)とは、仏教の根本教理である八正道(はっしょうどう)の一つであり、他者を傷つけず、社会全体の調和に寄与する正しい職業のことです。
東洋思想では古くから「自他一如(じたいちにょ)」、すなわち自分と他者は地続きであり、本質的に一つであると考えます。
それゆえに、誰かを騙したり、不要な不安や欲望を煽ったりして一時的な利益を得る仕事は、めぐりめぐって自分自身の精神を激しく汚染することになるのです。
現代社会には、他者の注意力を奪い合って広告収入を得るアテンションエコノミーのようなシステムが蔓延しているのが現状でしょう。
こうした刺激の強いビジネスに身を置いて他者の関心をハックすることは、私たちの心を波立たせる「クレーシャ(煩悩)」を日々増強する結果を招きかねません。
そもそもクレーシャとは、ヨガ哲学において心に苦しみや波立ちをもたらす根本的な心理的毒素や執着を意味する概念です。
もしあなたがただ生計を立てるため、あるいは大きく稼ぐために他者の心の平安を奪う仕事を選んでいるとしたら、それは自らの内に苦しみの種をまいているのに他なりません。
誰かの苦しみを取り除き(抜苦)、穏やかさや安心感を与える(与楽)ような職を選ぶことが、自らの精神を美しく保つための絶対条件と言えます。

 

結果への執着を手放し、カルマ・ヨガ(無私なる行為)として没頭できるか

三番目の問いは、あなたがその仕事を行う際、結果に対する執着を手放すことができるかという姿勢に集約されるでしょう。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』では、見返りや結果を気にせず、ただ目の前にある自らの行為そのものに純粋に没頭する「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」の教えが詳しく書かれています。
私たちが仕事で苦痛を感じる最大の理由は、常に他人からの評価や売上、役職といった行為の果実に心が囚われている点にあると言えます。
そうした外側の条件は、どれほど努力しても私たちのコントロールが及ばない領域に属する外部のノイズに過ぎません。
そこで自分自身にこう問いかけてみてください。 「もし誰からも称賛されず、目に見える見返りが最小限であっても、私はこの作業を淡々と続けたいと思えるだろうか」と。
答えがイエスであるならば、その仕事はあなたにとって非常に健全なカルマ・ヨガの実践の場となります。
ただ目の前の作業に意識を100%注ぎ込むとき、主客の境界線は消え去り、行為そのものが心地よい瞑想状態へと変化していくはずです。
結果への執着を手放した職選びこそが、あなたの日常をエゴの戦場から、静寂の修行場へと変容させてくれるに違いありません。

 

サントーシャ(足るを知る)を守り、生活を引き算できるか

最後の問いは、その職があなたのサントーシャを損なうことなく、生活をミニマルに保てるか、という問いです。
サントーシャ(Santosha)とは、サンスクリット語で「足るを知る」こと、すなわち今ここにある満ち足りた状態をそのまま受け入れる知恵を意味します。
多くの人は、より高価なものを消費し、他人よりも贅沢な暮らしをするために、さらに多くの給料がもらえる職を追い求めがちです。
しかし、そのために自分の健康的な時間や大切な注意力を削り売りしているのだとしたら、本末転倒と言わざるを得ません。
どれほど高収入であっても、常に精神が張り詰め、余計なものを消費することでしかストレスを発散できない状態は、豊かな生活からほど遠いと言えます。
ヨガにおけるミニマリズムとは、単にモノを持たないことではなく、自分に本当に必要な量を見極め、余分な欲望を削ぎ落としていく引き算の生き方です。
必要十分な収入を得ながら、自らの内観や沈黙の時間を十分に確保できる仕事こそが、本当の意味で私たちを自由にしてくれます。
職を選ぶときは、自らの時間と心のゆとりを削ってまで、そのお金が本当に必要なのかを冷静に問い直す姿勢が不可欠です。
身体と心をユルユルに解きほぐし、生命本来の軽やかさを感じるスペースを残しておくこと。
それこそが、物質社会に埋もれずに自分軸で生きるための究極の選択基準となるでしょう。

 

終わりに:都会で覚醒し、淡々と生きるために

私たちは日常の大半の時間を仕事に費やして生きています。 だからこそ、仕事という存在をエゴ(アスミター)を満足させるための道具にしてはいけません。
それは自分のクレーシャ(煩悩)をいたずらに増やし、自らを苦しめるだけのスパイラルに陥る危険性を孕んでいるからです。
職を選ぶということは、単に生きる手段を探すだけでなく、自らの精神をどのように整えていくかという日々の修行の場を選ぶことに他なりません。
世間の掲げるきらびやかな記号の消費を一度止めて、静かにこの4つの質問を自らに投げかけてみてください。
私たちが日々大切にしている、日本一簡単な瞑想(SIQAN)のステップのように、ただ静かにそこに在る感覚を思い出しましょう。
自らの内にすでにある満ち足りた輝きに気づいたとき、あなたは最も自然で、最もあなたらしい静かな生業に出会うことができるはずです。