ヨガで煩悩を増やしていく人々。エゴの消費から離れ、本来の静けさに戻るために

365days

現代のヨガシーンを眺めていると、ある種の違和感を抱くことがあります。
ヨガは本来、心を波立たせる「煩悩(ぼんのう)」を減らし、内なる静けさを取り戻すための伝統的なアプローチでした。

ところが、最近ではヨガを実践すればするほど、むしろ煩悩を肥大化させている人が増えているように見受けられます。

なぜ、このような逆転現象が起こってしまうのでしょうか。
その背景には、現代の私たちが無意識のうちに囚われている「所有」や「消費」のシステムが深く関わっているのです。

今回はヨガ哲学者としての視点から、この問題の本質を丁寧に紐解いてみましょう。

 

東洋思想における「煩悩」の歴史的背景

ここで少し、ヨガや仏教が生まれた東洋思想の歴史に目を向けてみます。
今から二千年以上前、パタンジャリという聖者によって編纂された『ヨーガ・スートラ』では、私たちの心を乱し、苦しみを生み出す原因を「クレーシャ(障礙・煩悩)」と定義しました。
クレーシャとは、人間が生きる上で避けられない心の動きや苦しみの根源を指す言葉です。 具体的には以下の5つのクレーシャが挙げられます。

1. アヴィディヤー(無知:本当の自分を見失うこと)
2. アスミター(自我意識・エゴ:「私が」という過度な自意識)
3. ラーガ(愛着・欲望:快楽への強い渇望)
4. ドヴェーシャ(嫌悪・憎しみ:不快なものを極端に避けること)
5. アビニヴェーシャ(生命への執着・死や変化への恐怖)

東洋の智恵において、ヨガとはこれらのクレーシャを静め、本来の自己である「プルシャ(純粋観照者)」へと回帰するためのシステムなのです。
ちなみにプルシャとは、常に変化する心や身体とは異なり、決して揺らぐことのない私たちの魂の本質を指す言葉と言えます。
仏教においても煩悩は苦しみをもたらす根本原因とされ、これらを手放すことが悟りへの道とされてきました。

 

なぜヨガが煩悩を増やす道具になるのか

本来であれば苦しみを減らすための実践であるはずのヨガが、現代ではなぜ欲望を満たす手段に変貌してしまうのでしょう。 その理由は極めてシンプルだと言えます。
多くの人が「欲望を満たすことこそが幸せであり、満たせないことは不幸である」という固定観念を抱いているからです。
この考え方は、近代の資本主義社会が私たちに植え付けた、巧妙な「記号の消費」の罠と言わざるを得ません。
チベット仏教の指導者であるチョギャム・トゥルンパは、こうした現象を「スピリチュアル・マテリアリズム(精神的物質主義)」と呼びました。
これは、スピリチュアルな探求や修行さえも、自らのエゴ(アスミター)を満足させ、他者に対して優越感を抱くための道具として消費してしまう心の病理を指す概念です。
「痩せて綺麗になりたい」「有名になってお金を稼ぎたい」といった非常にわかりやすい欲望を叶えるためにヨガが使われるとき、私たちは知らず知らずのうちに、クレーシャを増殖させる無限ループに迷い込んでしまうのです。

 

綺麗な格好をしてSNSで「いいね」を欲しがるヨギー

最近のSNSで見かける、露出度の高いスタイリッシュなウェアを身にまとい、美しいポーズの写真とともに多くの「いいね」を求める姿は、まさにこのねじれを象徴する光景でしょう。
こうした行為は自己表現として自由であり、一方的に否定されるべきものではありません。
ただ、ヨガの本来の思想から見れば、非常に奇妙な事態が起きていると観じるのです。

なぜなら、ヨガの教えでは「エゴ(アスミター)」や「他者との比較」を手放すことを促しているにもかかわらず、SNSのシステムはその真逆である「承認欲求(ラーガ)」を刺激し、肥大化させるからです。
それはまるで、健康のために肉食を避けるヴィーガンが、本物の牛肉を好んで食べているような矛盾を感じさせます。

こうした活動に熱心な人々が、ヨガが目指す「心の静止」にどの程度近づいているのかは、あえて言葉にしなくても想像がつくのではないでしょうか。

 

スムージーを飲みたがるヨギー

また、ヨガの練習を始めた途端、急にスムージーをはじめとする特定の食事法に傾倒する人が増えるのは興味深い現象です。

健康的な生活を志向すること自体は、非常に素晴らしい取り組みと言えます。
しかし冷静に観察すると、スムージーとヨギー(ヨガを実践する人)の間には、直接的な因果関係はほぼ存在しないことに気づくでしょう。

ヨガの根本経典にスムージーという言葉は登場しませんし、ミキサーのような現代のテクノロジーを駆使することが修行に必須であるはずもないのです。
もし「スムージーを飲んでいる自分」という記号を消費し、おしゃれなライフスタイルに執着しているのだとしたら、それもまた一種の煩悩(ラーガ)だと言えるでしょう。

ヨガには、与えられた環境や今ここにあるものに満足する「サントーシャ(足るを知る)」という重要な教えが存在します。
今ここにあるシンプルな状態で満足することを忘れ、次々と新しい物質やスタイルを追い求めることは、本来のミニマリズム的な生き方とは対極にあると言わざるを得ません。

 

ポーズができることしか考えていないヨギー

アクロバティックで難易度の高いポーズ(アーサナ)ができることばかりに執着する姿も、よく見られる光景です。
ポーズの練習自体は、身体を整え、滞っているエネルギーを流すためにとても有効な手段でしょう。
しかし、ポーズを完璧にこなすこと自体が目的になってしまうと、それは「他者よりも優れていたい」というエゴの競争に成り下がってしまいます。

本来のヨガにおいて、アーサナは瞑想を深めるための「土台」に過ぎないのです。
身体の声に耳を傾けることを忘れ、形だけの難しさを追う行為は、心を波立たせる原因を自ら作り出しているのと同じと言えるでしょう。
自分のエゴを満足させるためのポーズは、内なる本質とのつながりを完全に分断してしまいます。

 

自己満足しか考えていないヨギー

さらに、自分の心身が癒やされればそれでいいという、極めて個人的な自己満足に終始するヨギーの存在も散見されるところです。
東洋思想の根底にあるのは「自他一如(じたいちにょ)」、すなわち自分と他者は地続きであり、本質的に一つであるという調和の世界観に他なりません。
自分の都合の良い世界だけに閉じこもり、他者への思いやりや社会全体の調和から目を背けてしまう行為は、ヨガを口実にして自らのエゴを内側に囲い込んでいるだけに過ぎないでしょう。

EngawaYogaでは「集合的無意識の大掃除」というテーマを掲げていますが、これは単なる個人のリラックスを超えて、社会全体の波動を軽くしていくことを目指しているのです。

 

余計なことをやめて、本来の軽さを取り戻す

ヨガの哲学において、煩悩(クレーシャ)は決して力づくで排除すべき悪ではないと観じています。
それを敵視するのではなく、まず自分の中にその欲望があることを素直に「理解し、乗りこなす」姿勢が求められるでしょう。
本当に必要なのは、あれこれと新しいものを付け足して自分を飾ることではなく、不要な執着やプライドを手放していく「引き算の生き方」です。

私たちの主宰するクラスでは、身体を解きほぐし、重力すら観じなくなるような瞑想(SIQAN)などを提案しています。
都会の喧騒の中でこそ、外側の記号を消費するのをやめて、静かに自分の内観を深めてみてはいかがでしょうか。
きっと、すでに自分の中に満ちていた「サントーシャ(足るを知る)」の輝きに、自然と気づくことができるはずです。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。