ヨガのレッスン中、あるいは瞑想の最中に、
「今日の夕飯は何にしよう」
「昨日のあのメール、返信したっけ?」
「このポーズ、私だけ変じゃないかな」
そんな風に、次から次へと思考が湧いてきて止まらなくなってしまった経験はありませんか?
そして、レッスンの後で先生にこう質問したくなるかもしれません。
「どうしても考え事をしてしまうのですが、どうしたらいいですか?」
「無になれない私は、ダメなんでしょうか?」
今日は、ヨガを実践する多くの人がぶつかるこの「思考の壁」について、少し静かにお話ししてみたいと思います。
結論から申し上げますと、「考え事をしても、まったく問題ありません」。
もくじ.
思考するのは、心臓が動くのと同じこと
まず、安心していただきたいのは、思考が湧くこと自体は失敗でも間違いでもないということです。
心臓が勝手に鼓動を打ち、胃が勝手に消化をするように、脳は「考える」という機能を果たす臓器です。
生きている限り、脳は電気信号を放ち続けます。それを無理やり止めようとするのは、心臓に向かって「止まれ」と命じるようなもので、そもそも不可能なのです。
現代社会は、私たちに過剰なほどの情報処理を求めます。
仕事のタスク、SNSの通知、将来への不安。脳は常にフル回転でアイドリング状態にあります。
そんな脳がいきなり静かなスタジオに入ったからといって、急にスイッチが切れるはずもありません。
むしろ、静かになったからこそ、普段かき消されていた脳内のノイズが、より鮮明に聞こえてくるものです。
ヨガは「思考を消す」練習ではなく、「気づく」練習
多くの人が誤解していますが、ヨガや瞑想の目的は「思考をゼロにすること(無になること)」ではありません。
本当の目的は、「思考している自分に気づくこと」です。
「あ、今、夕飯のことを考えていたな」
「あ、今、過去の失敗を思い出して悔やんでいるな」
このように、思考に巻き込まれてドラマの主人公になるのではなく、一歩引いた場所からドラマを見ている観客になること。
これをヨガでは「サクシ・バーヴァ(目撃者の意識)」と呼びます。
思考が湧いたら、ただ「湧いたな」と気づく。
そして、そっと呼吸に意識を戻す。
また思考が湧いたら、また気づいて、戻す。
この「気づいて、戻す」という反復練習こそが、脳の筋トレ(マインドフルネス)であり、ヨガの実践そのものなのです。
ですから、思考が湧くたびに、あなたは「戻る練習」をするチャンスを得ているとも言えます。
考え事を「雲」として眺める
スピリチュアルな視点から少しアドバイスをさせてください。
あなたの意識を「青空」だと想像してみてください。
そして、湧いてくる思考や感情は、空に浮かぶ「雲」です。
雲は、白い雲もあれば、雨を降らす黒い雲もあります。
風に乗って流れてきて、形を変え、やがて消えていきます。
重要なのは、雲は空そのものではないということです。
どんなに分厚い雲に覆われていても、その奥にある青空(あなたの本質)は、一度も傷ついたり汚れたりすることなく、常に澄み渡っています。
「考え事をしてしまう」と悩むのは、自分を「雲」だと思っているからです。
「私はイライラしている」「私は不安だ」と同一化してしまう。
でも、あなたは雲ではありません。雲を浮かべている広大な空の方なのです。
「ああ、今日は不安という形の雲が多いな」と、ただ眺めてあげてください。
ジャッジせずに眺められたとき、雲は自然とその形を失い、流れ去っていきます。
現代人が失った「余白」を取り戻す
私たちがこれほどまでに思考の渦に飲み込まれてしまうのは、現代社会が「空白」を許さない構造になっているからかもしれません。
移動時間もスマホを見つめ、トイレの中でさえ情報を摂取し、隙間さえあれば何かで埋めようとする。
これでは、脳が情報の消化不良を起こして当然です。
ヨガの時間は、この消化不良を起こした脳のためのデトックスタイムです。
無理に思考を止めようとせず、溜め込んでいた思考のゴミ出しをしているんだな、と思ってください。
「考えちゃダメだ」と自分を責めることは、新たな思考のゴミを増やすだけです。
「まあ、いっか」
「考えてもいいよ」
そんな風に、自分自身に対して寛容であること。
それが、ガチガチに固まった心をほどく一番の近道です。
アヒムサ(非暴力)の教えは、他人だけでなく、思考が止まらない自分自身に対しても向けられるべきものです。
「ただ、戻ってくる」というシンプルな約束
レッスン中、もし考え事の旅に出かけてしまっても、焦る必要はありません。
ハッと気づいた瞬間に、旅は終わっています。
その瞬間に、あなたは「今、ここ」に帰ってきているのです。
ヨガマットは、何度でも帰ってこられる安全な場所(ホーム)です。
何度思考の彼方へ行っても、何度でも優しい呼吸というホームに戻ってくればいい。
その繰り返しの中で、少しずつ、思考の雲の切れ間から、青空が顔を覗かせる時間が長くなっていくでしょう。
考え事をしても大丈夫。
それもまた、愛すべきあなたの一部であり、ヨガのプロセスの一部なのですから。
この縁側で、一緒に空を眺める練習を続けていきましょう。
ではまた。


