ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なるストレッチや健康体操ではなく、私たちが本来持っている「心の王座」を取り戻すための、極めて体系的なシステムだからです。
現代社会には、様々な「ヨガ」が溢れています。
ホットヨガ、パワーヨガ、空中ヨガ、ビールヨガ……。
入り口がたくさんあることは素晴らしいことです。しかし、もしあなたが「身体を動かしてスッキリしたけれど、家に帰るとまた不安が襲ってくる」「ポーズは上達したけれど、人間関係の悩みは尽きない」と感じているなら、それはヨガの「入り口」で立ち止まっているからかもしれません。
今日は、すべてのヨガの源流であり、最高峰とも呼ばれる「ラージャヨガ(Raja Yoga)」について、少し深くお話しします。
これは、マットの上だけでなく、人生そのものを変容させる「心の科学」のお話です。
もくじ.
ラージャヨガとは何か?「王のヨガ」の意味
ラージャ(Raja)とは、サンスクリット語で「王」を意味します。
つまりラージャヨガとは「王のヨガ」あるいは「王道ヨガ」という意味です。
これは、王様だけが行う特別なヨガという意味ではありません。
「自分自身の心(マインド)を支配する王になる」ためのヨガという意味です。
私たちは普段、自分の心の主人になれているでしょうか?
怒りたくないのに怒ってしまう。不安になりたくないのに考えてしまう。食べたくないのに食べてしまう。
多くの場合、私たちは心の主人ではなく、感情や欲望という暴れ馬に振り回される「奴隷」の状態にあります。
ラージャヨガは、この暴れ馬の手綱をしっかりと握り、自分の意志で人生という馬車をコントロールするための実践法です。
この教えは、紀元前2〜4世紀頃に賢者パタンジャリによって編纂された『ヨガ・スートラ』という経典に基づいています。
この経典の中で定義されるヨガの目的は、あまりにも有名かつシンプルです。
「Yogas chitta vritti nirodhah(ヨーガス チッタ ヴリッティ ニローダフ)」
=ヨガとは、心の作用(思考の波)を死滅(制御)することである。
ポーズが綺麗にできることでも、痩せることでもありません。
心の波を静め、湖面のように凪いだ状態にすること。それこそが、ラージャヨガ、ひいてはヨガ本来の目的なのです。
現代ヨガ(ハタヨガ)との違い
私たちが普段スタジオで行っている、ポーズ(アーサナ)を中心としたヨガは、一般的に「ハタヨガ(Hatha Yoga)」と呼ばれます。
ハタヨガは、肉体や呼吸といった「生理的なエネルギー」を操作することで、心にアプローチする方法です。身体から入るルートと言えます。
対してラージャヨガは、瞑想や倫理観、集中力といった「精神的なプロセス」を直接扱うことで、心を制御する方法です。心から直接入るルート、あるいはハタヨガの先にあるゴールと言ってもいいでしょう。
実は、ハタヨガは本来、ラージャヨガ(瞑想)を深めるための準備運動として開発されました。
身体が痛かったり、病気だったりすると、長時間座って瞑想することはできません。
だから、まずはアーサナで強健な身体を作り、プラーナヤーマ(呼吸法)でエネルギーを整え、その上でラージャヨガの瞑想に入っていく。
この順序が、伝統的なヨガの在り方です。
現代では準備運動の部分だけが切り取られ、「ヨガ=ポーズ」と認識されてしまっていますが、それは氷山の一角に過ぎません。
8つの階段「アシュタンガ・ヨガ(八支則)」
ラージャヨガの実践は、非常に論理的でシステマチックです。
パタンジャリは、心の静寂に至るためのプロセスを8つの段階(支則)に分けて説きました。これを「アシュタンガ(8本の枝)・ヨガ」と呼びます。
(※現代のアシュタンガ・ヨガという流派とは別の、ヨガ哲学の根幹となる概念です)
ヤマ(Yama):禁戒
日常生活で「やってはいけないこと」。非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪。
社会的な道徳というよりは、心の平安を乱さないためのエネルギー管理術です。嘘をついたり盗んだりすれば、心は動揺し、瞑想どころではなくなります。
ニヤマ(Niyama):勧戒
日常生活で「やるべきこと」。清浄、知足、苦行、読誦、自在神への祈念。
自分自身の内側を整える習慣です。特に「知足(サントーシャ)」は、現代人にとって最強の処方箋です。
アーサナ(Asana):坐法
瞑想のために、快適で安定した姿勢を保つこと。
ここで言うアーサナは、アクロバティックなポーズではなく、長時間動かずに座っていられる強さと柔軟性を指します。
プラーナヤーマ(Pranayama):調気
呼吸法によって、生命エネルギー(プラーナ)をコントロールすること。
呼吸と心は繋がっています。呼吸を整えることで、心の暴走を物理的に鎮めます。
プラティヤハラ(Pratyahara):制感
五感(視覚、聴覚など)を外側の対象から引き離し、内側に向けること。
スマホを見ない、静かな環境に身を置くなどして、感覚のプラグを抜く段階です。
ダーラナ(Dharana):凝念(集中)
心を一つの対象(呼吸、マントラ、ロウソクの火など)に縛り付けること。
一点集中。気が散っても、何度でもそこに戻ってくる練習です。
ディアナ(Dhyana):静慮(瞑想)
ダーラナが途切れなく続いている状態。
努力して集中するのではなく、自然に集中が続き、対象と自分が一体化していくプロセスです。ここからが本当の「瞑想」です。
サマディ(Samadhi):三昧
瞑想の究極の状態。
「私」という意識(エゴ)が消え去り、対象そのものになりきる状態。至福、悟り、解脱とも呼ばれます。
このように、ラージャヨガは「生き方(ヤマ・ニヤマ)」から始まり、「身体(アーサナ・呼吸)」を整え、「感覚(プラティヤハラ)」を閉じ、「意識(ダーラナ・ディアナ・サマディ)」を変容させていく、全方位的なアプローチなのです。
現代社会とラージャヨガの必要性
なぜ今、この古代の知恵が必要なのでしょうか。
それは、現代社会が「心の作用(チッタ・ヴリッティ)」を極限まで増幅させる仕組みになっているからです。
SNSの無限スクロール、消費を煽る広告、将来への不安を植え付けるニュース。
私たちの心は24時間休むことなく波立ち、刺激を求め、比較し、渇望しています。
この「マインド・ワンダリング(心の迷走)」こそが、現代人の慢性的な疲労や不幸感の根本原因です。
ラージャヨガは、この終わりのないゲームから降りるための「緊急停止ボタン」です。
「私は肉体ではない」「私は感情ではない」「私は思考ではない」
そうやって自分自身を客観視(識別)し、心の波に飲み込まれない「不動の自分」を確立すること。
外側の状況がどうであれ、内側の平穏は誰にも奪えないと知ること。
これは、VUCAと呼ばれる不確実な時代を生き抜くための、最強のライフスキルと言えるでしょう。
スピリチュアルな視点:本当の自分(真我)との再会
最後に少し、スピリチュアルな視点からお話しします。
ラージャヨガが目指す「心の死滅」の先には、何があるのでしょうか?
心が静まり返ったとき、虚無になるわけではありません。
雲が晴れた空に太陽が現れるように、私たちの本質である「プルシャ(真我・魂)」が輝き出します。
私たちは普段、汚れた鏡(波立った心)を通して世界を見ています。だから世界が歪んで見え、苦しみが生じます。
ラージャヨガの実践によって鏡の汚れを拭き取り、波を鎮めることができれば、鏡にはありのままの世界と、神聖な自分自身が映し出されます。
あなたは本来、何も欠けていない、完全で満ち足りた存在です。
何かを得る必要も、誰かになる必要もありません。
ただ、そのことを忘れてしまっている「心の無知(アヴィディヤー)」があるだけです。
ラージャヨガは、長い旅路の果てに「なんだ、最初からここにいたのか」と気づく、家路への地図です。
難しい修行のように思えるかもしれませんが、まずは1日5分、静かに座って目を閉じ、自分の呼吸を見つめることから始めてみませんか。
それは、あなたがあなた自身の王座へと戻るための、小さくて偉大な第一歩なのです。
静寂の中にこそ、答えがあります。
思考を手放し、ただ、そこに在ってください。
ではまた。


