ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なるエクササイズではなく、人生を根本から調律する営みだからです。
ヨガを始めて数ヶ月、あるいは数年が経った方とお話ししていると、面白い共通点に気づくことがあります。
最初は「痩せたい」「肩こりを治したい」「運動不足を解消したい」といった、明確で目に見える目的を持ってヨガの門を叩かれます。
これらはとても分かりやすい動機ですし、実際にヨガにはそのような効果があります。
しかし、長く続けている方に「なぜヨガを続けているのですか?」と尋ねると、少し困ったような顔をして、こう答えることが多いのです。
「うーん、言葉にするのは難しいんですけど……なんとなく、調子がいいんです」
「やらないと、気持ち悪いんです」
「自分に戻れる気がするんです」
そこには、もはや「痩せる」とか「柔らかくなる」といった数値化できるメリットを超えた、何か別の理由が存在しています。
今日は、この「目に見えない何か」について、そして少し踏み込んで、ヨガが持つスピリチュアルな側面についても、静かに言葉を紡いでみたいと思います。
目に見える効果は、ただの「おまけ」
現代社会は、何事にも「エビデンス(証拠)」や「成果」を求めます。
かけた時間とお金に対して、どれだけの対価(リターン)があるのか。
ヨガに対しても、多くの人がその物差しを持ち込みます。
「体重が3キロ減った」「開脚ができるようになった」「血圧が下がった」。
これらは確かに素晴らしい成果ですが、ヨガの長い歴史から見れば、これらはすべて「副産物(おまけ)」に過ぎません。
おまけを目的にしてしまうと、ヨガは苦しくなります。
体重が減らなくなったら辞めるのでしょうか?
身体が思うように柔らかくならなかったら、自分には才能がないと判断するのでしょうか?
目に見える成果だけを追い求めていると、いつか必ず壁にぶつかり、ヨガマットから足が遠のいてしまいます。
長く続けている人たちが大切にしているのは、外側の変化ではなく、内側の微細な感覚の変化です。
それは、他人の目には決して映らない、自分だけの秘められた果実のようなものです。
「目に見えない何か」の正体
では、その「目に見えない何か」とは一体何なのでしょうか。
1. 静寂という感覚
私たちの日常は、常にノイズに溢れています。外からの音だけでなく、頭の中で鳴り響く思考のノイズも凄まじいものです。
ヨガをして、ふと呼吸に意識を向けたとき、そのノイズがスッと止む瞬間があります。
真空のような、シーンとした静けさ。
その静寂に触れると、私たちは言いようのない安心感に包まれます。
「ああ、私はここにいていいんだ」という、根源的な肯定感が湧いてくるのです。
2. 流れ(フロー)の感覚
身体の中には、血液やリンパ液だけでなく、目に見えないエネルギーが流れています。
ヨガではこれを「プラーナ(気)」と呼びます。
ヨガのポーズ(アーサナ)を通して身体の詰まりが取れてくると、このプラーナが川のようにサラサラと流れ出すのを感じることがあります。
それは、ホースの捻じれが取れて、水が勢いよく流れ出した時の爽快感に似ています。
滞っていたものが流れ出すと、身体だけでなく、人生の流れ自体もスムーズになり始めます。
タイミングが合うようになったり、必要な出会いが訪れたり。
これを「運が良くなった」と呼ぶ人もいますが、単に本来の流れに戻っただけなのかもしれません。
3. つながっている感覚
そして、もう少し深い領域の話をしましょう。
ヨガ(Yoga)の語源は、サンスクリット語の「ユジュ(Yuj)」=「結ぶ・つなぐ」です。
何と何をつなぐのか。
それは、心と身体であり、自分と他者であり、そして「個としての私」と「大いなる全体」です。
深く集中しているとき、あるいはシャヴァーサナ(屍のポーズ)で深いリラックス状態にあるとき、身体の輪郭が溶けてなくなり、周りの空間と一体になるような感覚を覚えることがあります。
「私」という小さな殻が破れて、大きな命の一部であることを思い出す瞬間。
これは非常にスピリチュアルな体験ですが、怪しいものではありません。
海の一滴である波が、自分が海そのものであったことを思い出すようなものです。
この感覚を知ると、孤独感や将来への漠然とした不安が、霧が晴れるように消えていきます。
「なんだ、大丈夫じゃないか」
根拠のない、しかし絶対的な「大丈夫」という感覚。
これこそが、ヨガが与えてくれる最大のギフトかもしれません。
スピリチュアルについて、少しだけ
「スピリチュアル」という言葉に抵抗感を持つ方もいるかもしれません。
しかし、本来スピリチュアル(Spiritual)とは、「スピリット(Spirit)=息・呼吸」に由来する言葉です。
つまり、呼吸を整え、目に見えない生命の働きを大切にすることは、とても自然で、人間的な営みなのです。
ヨガを続けていると、不思議と「勘」が鋭くなります。
「この道を選んだ方がいい気がする」「今は休んだ方がいい気がする」。
理屈や損得勘定ではなく、身体の奥底から湧き上がってくる直感(インナー・コンパス)です。
これは、ヨガによってノイズが取り払われ、自分の本質(魂とも言えます)からの声が聞こえやすくなったからでしょう。
現代人は、頭(思考)を使いすぎて、この内なる声を無視することに慣れてしまっています。
しかし、人生の重要な決断において、本当に頼りになるのは、Google検索の結果ではなく、この「腹の底からの声」なのです。
目に見えない感覚を信じることは、自分自身を信じることと同義です。
日常という戦場へ、静寂を持ち帰る
私たちは、ヨガマットの上だけで生きているわけではありません。
クラスが終われば、また慌ただしい日常、仕事、人間関係、情報の洪水の中へと戻っていかなければなりません。
しかし、ヨガを通じて「目に見えない何か」に触れた人は、以前の自分とは少し違っています。
内側に、静寂というシェルター(避難所)を持っているからです。
外の世界で何が起きても、嵐が吹き荒れても、自分の内側には決して侵されない静かな場所がある。
そのことを知っているだけで、私たちは強くなれます。
優しくなれます。
余裕が生まれます。
ヨガを続ける理由。
それは、身体を鍛えるためではなく、この「内なる聖域」の手入れをするためではないでしょうか。
毎日歯を磨くように、心の埃を払い、呼吸を通し、自分自身を透明にしておく。
そうすることで、私たちは世界をより鮮やかに、より深く味わうことができるようになります。
終わりに:ただ、感じることを許す
もしあなたが今、ヨガの効果が見えなくて焦っていたり、続ける意味を見失いそうになっていたりするなら、一度「成果」を手放してみてください。
「柔らかくならなくてもいい」「痩せなくてもいい」。
そう自分に許可を出して、ただマットの上に座り、呼吸の音を聞いてみてください。
そして、目に見えない感覚に、そっと耳を澄ませてみてください。
そこには、数値化できない、言葉にできない、しかし確かに存在する「何か」があるはずです。
その感覚こそが、あなたがヨガを続ける本当の理由であり、あなたを支え続ける見えない杖となるでしょう。
大切なものは、いつだって目に見えないのです。
ではまた。


