ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単に身体を柔らかくするための体操ではなく、人生という荒波を航海するための「羅針盤」を調整する技術だからです。
あなたは今、靴の中に小さな小石が入ったまま歩き続けてはいないでしょうか?
最初は「少し気になるな」程度だったものが、歩き続けるうちに痛み変わり、やがては歩き方そのものを歪め、膝や腰まで痛めてしまう。
靴の中の小石は、人生における「違和感」のメタファーです。
「何かがおかしい」
「頑張っているのに、空回りしている気がする」
「この道で合っているのだろうか」
そう感じた時、あなたはどうしますか?
多くの人は、歯を食いしばり、我慢して、そのまま歩き続けようとします。
「石の上にも三年」という言葉の呪縛でしょうか。あるいは「ここで辞めたら負けだ」というエゴの声でしょうか。
しかし、ヨガの視点、そして宇宙の法則から申し上げますと、その状態で歩き続けることは推奨できません。
おかしいと思ったら、立ち止まり、靴を脱ぎ、小石を取り除く。
あるいは、靴そのものを履き替える。
つまり、「やり方を変える」ことが必要なのです。
今日は、現代人が陥りがちな「忍耐の罠」と、違和感に従ってルート変更をする勇気、そしてそのためのヨガ的な知恵について、全方位的に、そして少し深くお話ししてみたいと思います。
もくじ.
1. 現代社会の病理:「継続」という名の思考停止
現代社会では、「続けること」が無条件に美徳とされがちです。
「継続は力なり」という言葉は真実の一側面ではありますが、すべてではありません。
もし、向かっている方向が間違っていたとしたらどうでしょうか?
間違った方向へ全力疾走し続けることは、ゴールから遠ざかる努力をしていることになります。
アインシュタインの言葉とされる有名な一節があります。
「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を望むことである」
仕事でも、人間関係でも、健康法でもそうです。
「辛いけれど、頑張っていればいつか報われるはずだ」と信じて、心身をすり減らしながら同じやり方を続けている。
しかし、結果が出ない、あるいは状況が悪化しているのであれば、それは「やり方がおかしい」という明確なサインです。
現代社会のシステムは、私たちを枠にはめ込み、思考停止にさせる「振り子(エネルギー体)」のような構造を持っています。
「みんながやっているから」「今までこうしてきたから」という慣性に従うことは楽ですが、それは自分の人生を生きているとは言えません。
違和感を無視してシステムに適合しようとすることは、自分自身に対する暴力になりかねないのです。
2. ヨガ哲学が教える「アヒムサ」と「タパス」の誤解
ヨガの教えの中に「タパス(熱・苦行)」という言葉があります。
これを「苦しいことを我慢してやり抜くこと」と解釈している方が多くいらっしゃいます。
汗水を垂らし、歯を食いしばって耐えることがヨガの修行だと。
しかし、これは大きな誤解です。
本来のタパスとは、不純物を燃やし尽くすような「情熱」や「熱意」のことです。
やりたくてたまらない、没頭して燃え上がるようなエネルギーのことです。
嫌なことを無理やり続けることではありません。
そして、ヨガにはもっと重要な第一の教えがあります。
それが「アヒムサ(非暴力)」です。
他人を傷つけないことはもちろんですが、最も大切なのは「自分自身を傷つけないこと」です。
「おかしいな」「辛いな」と思いながら、無理をしてやり続けること。
それは、自分自身の魂に対する暴力ではないでしょうか。
身体が悲鳴を上げているのに、無視して働き続けること。
心が拒絶しているのに、愛想笑いをしてその場に居続けること。
これらはすべて、アヒムサに反する行為です。
ヨガの実践者(ヨギー)であるならば、自分自身に対して最も優しくあるべきです。
違和感を感じたら、それは「自分への暴力」が発生しているサインかもしれません。
その時は、勇気を持って「やり方を変える」ことが、アヒムサの実践となるのです。
3. スピリチュアルな視点:違和感は「魂」からの通知
少し視点を変えて、エネルギーや意識の話をしましょう。
私たちの内側には、「理性(マインド)」と「魂(ハート)」があります。
理性は、社会的な常識や損得勘定、他人からの評価を気にします。
「ここで辞めたら履歴書に傷がつく」「せっかくここまで投資したのだから(サンクコスト)」と囁きます。
一方、魂はシンプルです。
「快」か「不快」か。ただそれだけを知っています。
あなたが何かをしていて「重苦しい」「胸が詰まる」「モヤモヤする」と感じるなら、それは魂が「NO」と言っているサインです。
逆に、「ワクワクする」「軽やかになる」「根拠はないけど楽しそう」と感じるなら、それは魂が「YES」と言っています。
「おかしい」という感覚は、魂と理性の不一致から生じるアラート(警報)です。
カーナビで言えば「ルートから外れています」という通知音のようなものです。
それなのに、多くの人は通知音を無視して、理性の判断でアクセルを踏み続けます。
その先にあるのは、行き止まりか、事故(心身の不調)しかありません。
トランサーフィン(現実創造の技術)の観点から言えば、不快な状態で努力を続けても、そのネガティブなエネルギー放射によって、さらに不快な現実(ライフライン)を引き寄せるだけです。
「苦労すれば報われる」というのは、ある種の思い込み(過剰ポテンシャル)に過ぎません。
本当は、もっと軽やかに、スムーズに流れるルートが存在しているのです。
違和感を感じたら、それは「別のパラレルワールド(可能性の空間)へ移動しなさい」という招待状なのです。
4. 「諦める」とは「明らかに見る」こと
では、具体的にどうすればいいのでしょうか。
まずは「立ち止まる」ことです。
そして、「今のやり方ではうまくいかない」と認めることです。
日本人には「諦める」という言葉にネガティブなイメージを持つ人が多いですが、語源は「明らむ(あきらむ)」、つまり事情を明らかにしてよく見る、という意味があります。
現状を冷静に観察し、「この方法は自分には合っていない」と明らかにすること。
それは敗北ではなく、英断です。
人間関係がおかしいと思ったら:
戦おうとしたり、相手を変えようとしたりするのではなく、そっと距離を取る。あるいは、関わり方(ルート)を変えてみる。
仕事がおかしいと思ったら:
努力の方向性を変えてみる。あるいは、環境そのものを変える準備を始める。
ヨガの練習がおかしいと思ったら:
ポーズの完成形を追うのをやめて、呼吸に意識を向けてみる。あるいは、流派を変えてみる。
「逃げる」のではありません。「選ぶ」のです。
より自分らしく、より自然体でいられる道を、主体的に選び直すのです。
5. 結論:実験するように生きる
人生は深刻な修行の場ではありません。
もっと遊び心を持って、実験するように生きていいのです。
「Aというやり方を試してみた。なんだか違和感がある。結果も出ない」
「よし、じゃあ次はBというやり方を試してみよう」
科学者が実験で失敗しても、それを「失敗」とは呼ばず「データ」と呼ぶように、私たちも人生の試行錯誤をもっと軽やかに捉えていいはずです。
一つのやり方に固執(執着)する必要はありません。
執着は、エネルギーの流れを止め、淀みを作ります。
サラサラと流れる水のように、岩にぶつかったら形を変え、ルートを変え、海へと向かっていけばいいのです。
もし今、あなたが何かしらの「違和感」を抱えているのなら。
その感覚を信じてください。
あなたの感覚は、誰のアドバイスよりも正しい、あなただけの羅針盤です。
おかしいと思ったら、やり方を変えてみる。
今すぐに全てを変えられなくても、まずは「変えてもいいんだ」と自分に許可を出すことから始めてみてください。
靴の中の小石を取り除いたとき、きっと驚くほど軽やかに歩き出せる自分に気づくはずです。
ではまた。



