ヨガを推奨しておりますが、時には心拍数を上げるような強度の高い運動もまた、心身を目覚めさせる素晴らしいアプローチとなります。
その一つとして知られるのが「タバタ式トレーニング(Tabata Protocol)」です。
20秒の全力運動と10秒の休憩を8セット、合計たったの4分間。
この極めて短い時間に凝縮された強烈な負荷が、驚くべき身体能力の向上をもたらすことは科学的にも証明されています。
しかし、今日はその身体的な効果(心肺機能や代謝アップ)について語りたいのではありません。
この「4分間」という時間の濃度について、そしてそれが私たちの日常という時間の捉え方をどう変容させるかについて、ヨガ的な視点からお話ししてみたいと思います。
現代人は「薄い時間」を生きている?
現代社会を見渡すと、私たちは常に何かに追われています。
「忙しい、時間がない」が口癖になり、効率化を求めて倍速で動画を見たり、マルチタスクで仕事をこなしたりしています。
しかし、そうやって詰め込んだ時間は、果たして「濃い時間」と言えるでしょうか。
むしろ、意識が散漫になり、一つひとつの瞬間を味わうことなく、ただ消費してしまっている「薄い時間」の連続ではないでしょうか。
スマホを見ながらの食事、上の空での会話、ただ流れていく通勤時間。
私たちは物理的な時間は生きていても、その瞬間に意識が不在(マインドレス)であることがあまりにも多いのです。
「今、ここ」にいない時間。それは、実質的には生きていない時間とも言えるかもしれません。
タバタ式の4分間は、逃げ場のない「今」そして評判は悪い
さて、タバタ式トレーニングを実践したことがある方はご存知でしょうが、あの4分間には「上の空」でいる隙間など一瞬たりともありません。
心臓が破裂しそうなほどの拍動、筋肉の悲鳴、荒れ狂う呼吸。
その強烈な身体感覚は、私たちの意識を強制的に「今、ここ」へと引き戻します。
明日の会議の心配や、昨日の失敗への後悔など、入り込む余地がないのです。
そこにあるのは、純粋な生存本能と、目の前の1秒を乗り切るという強烈な集中だけ。
これはある意味で、非常に荒々しい形の「動的な瞑想」とも言えます。
雑念が消し飛び、意識と身体が完全に一致する瞬間。
たった4分間ですが、その密度は、漫然と過ごす数時間にも勝る「生の実感」を私たちに与えてくれます。
「4分間」の価値が変わると、一日が変わる
タバタ式を習慣にすると、面白い変化が訪れます。
それは「4分あれば、人は変われる」という体感が細胞レベルで刻まれることです。
今まで「たった4分じゃ何もできない」と思ってスマホを眺めて潰していた隙間時間が、急に輝き出します。
「4分あれば、部屋の掃除ができる」
「4分あれば、本を数ページ読んで深く思索できる」
「4分あれば、ただ静かに座って呼吸を整え、心をリセットできる」
タバタ式で味わったあの濃密な時間の使い方が、日常のあらゆる場面へと波及していくのです。
これは、ヨガで言う「アタ(Atha)=今、この瞬間」を大切にする精神と同じです。
時間の長さではなく、深さや質に目を向けること。
一瞬一瞬に全力を注ぐ(それは必ずしも激しく動くことではなく、深く味わうことも含みます)という姿勢が、人生の解像度を上げていきます。
ヨガとタバタ、静と動の統合
もちろん、常にタバタ式のように全力疾走し続けることはできません。それは交感神経を疲弊させ、燃え尽きを招きます。
だからこそ、ヨガのような静かな時間が必要です。
タバタ式で極限まで交感神経を高め、身体を燃焼させた後に訪れる、シャヴァーサナ(屍のポーズ)の静寂。
このコントラストは強烈です。
動いたからこそわかる静けさ。
全力を出し切ったからこそ訪れる、深い脱力。
この「陰と陽」の振れ幅が大きいほど、私たちの生命力はしなやかに、そして強靭になります。
ヨガだけでは少し物足りない、あるいは逆に、日々が忙しすぎて運動する時間なんて取れないという方にこそ、この「4分間の魔法」を体験していただきたいのです。
それは単なるダイエット法ではありません。
漫然と流れる時間を断ち切り、自分自身の主権を取り戻すための、短くも鋭い儀式なのです。
「時間がない」と嘆く前に。
今日という日の中に、あなただけの「濃い4分間」を作ってみませんか。
その一滴の濃密な時間が、薄まった日常全体を、鮮やかに染め変えていくかもしれません。
ではまた。


