私たちが普段スタジオで行っている、マットの上でポーズをとるヨガ。
そのルーツを辿っていくと、ある一人の偉大な人物に行き着きます。
その名は、T.クリシュナマチャリア(Tirumalai Krishnamacharya)。
「現代ヨガの父」とも呼ばれる彼ですが、果たして本当に彼がすべての始まりなのでしょうか?
そして、彼が伝えたかったヨガと、私たちが今行っているヨガは、同じものなのでしょうか?
今日は少し歴史の紐を解きながら、現代ヨガの起源と、その背後にあるヨガ本来の姿について、静かに考えてみたいと思います。
現代ヨガの系譜図:すべての道は彼に通ず
もし、あなたが「アシュタンガヨガ」や「アイアンガーヨガ」といった言葉を聞いたことがあるなら、その影響力の大きさは想像に難くないでしょう。
アシュタンガヨガの創始者、パタビ・ジョイス。
アイアンガーヨガの創始者、B.K.S.アイアンガー。
そして、ヴィニヨガを広めた息子、T.K.V.デシカチャー。
世界的に有名なこれらのヨガ指導者たちは皆、クリシュナマチャリアの直弟子です。
つまり、現在世界中で行われている多くのハタヨガ(ポーズをとるヨガ)の流派は、元を辿ればクリシュナマチャリアという一本の源流から分かれた支流なのです。
その意味で、「現代のポーズを中心としたヨガの起源は彼にある」というのは、歴史的な事実と言って差し支えないでしょう。
マイソール宮殿での実験:ヨガと体操の融合
しかし、ここで一つ興味深い事実があります。
1930年代、インドのマイソール宮殿でクリシュナマチャリアが教えていたヨガは、少年たちのための身体鍛錬法としての側面が強かったと言われています。
当時、インドはイギリスの植民地支配下にありました。
民族主義が高まる中で、「強く健康なインド人」を育成するためのプログラムとして、伝統的なヨガに、西洋の体操やレスリング、武術の動きが組み込まれていきました。
流れるように動く「ヴィンヤサ」のスタイルや、ダイナミックなポーズの連続は、こうした時代背景の中で、若者たちの身体を鍛えるために編み出された革新的なメソッドだったのです。
ですから、私たちが「数千年の歴史がある」と思っているヨガのポーズの多く(特に立位のポーズや連続的な動き)は、実はここ100年ほどの間に体系化された、比較的新しいものなのです。
彼が本当に伝えたかったこと
では、クリシュナマチャリアは単なる「体操の発明家」だったのでしょうか?
そうではありません。ここが最も重要な点です。
彼は晩年、アクロバティックなポーズ指導から離れ、一人ひとりの体質や年齢、心の状態に合わせた、より静かで内面的なヨガ(ヴィニヨガ)の指導に力を注ぎました。
彼が残した言葉に、ヨガの本質が凝縮されています。
「人がヨガに合わせるのではない。ヨガが人に合わせるべきだ」
若い頃のパタビ・ジョイスには厳格で激しいアシュタンガヨガを授け、病弱だったアイアンガーには道具(プロップス)を使った回復のためのヨガを教え、一般の人々には呼吸とマントラを重視したヨガを処方しました。
彼にとって、ポーズ(アーサナ)は目的ではありませんでした。
あくまで、その人の心身を整え、神聖なものと繋がるための「手段(方便)」に過ぎなかったのです。
形から入り、心に至る
現代のヨガシーンでは、どうしても「ポーズの美しさ」や「身体的な難易度」に注目が集まりがちです。
それは、クリシュナマチャリアが若き日に開発したメソッドの一部が、フィットネスとして切り取られ、世界に広がった結果かもしれません。
しかし、彼の教えの根底にあったのは、常にヴェーダやヨガ・スートラといった伝統的な聖典の智慧でした。
身体を動かすことは、暴れる心を鎮めるための準備運動です。
呼吸を整えることは、プラーナ(生命エネルギー)をコントロールし、内なる静寂へと入っていくための鍵です。
起源がどこにあるかを知ることは大切ですが、もっと大切なのは、私たちが今、マットの上で何を感じているかです。
もし、ポーズの完成度にこだわりすぎて苦しくなっているなら、それはクリシュナマチャリアの本意ではないでしょう。
逆に、シンプルな動きの中に深い呼吸と静けさを見出せているなら、それはたとえ最新のメソッドであっても、ヨガの伝統的な精神を受け継いでいると言えます。
現代の私たちが受け継ぐべきバトン
クリシュナマチャリアから始まった現代ヨガの流れ。
それは、時代に合わせて形を変えながら生き続ける、ヨガという生命力の現れです。
形(アーサナ)から入ることは、決して悪いことではありません。
身体が変われば、呼吸が変わり、呼吸が変われば、心が変わります。
その入り口を広く、魅力的なものにしてくれた功績は計り知れません。
しかし、私たちはそこで立ち止まらず、その先へと進む必要があります。
身体の鍛錬から、心の静寂へ。
外側の形から、内側の響きへ。
「現代ヨガの父」が本当に伝えたかったバトンは、ポーズの技術ではなく、自分自身と誠実に向き合い、調和(ユニオン)を目指す、その精神性の中にあるのだと思います。
座りながら、そんなヨガの歴史という大河に思いを馳せてみるのも、また一興です。
流れの中に身を置きながら、ただ、今の呼吸を感じてみましょう。
ではまた。


