ヨガスタジオのパンフレットや、インストラクター養成講座のテキストを開くと、決まって最初のページにはこう書かれています。
「ヨガには4000年、あるいは5000年の歴史があります」と。
インダス文明の遺跡から発見された、座って瞑想しているかのような人物の印章(パシュパティ印章)の写真とともに、その悠久の歴史が語られます。
私たちはその数字を見ると、無条件にひれ伏したくなります。
「5000年も続いているのだから、これは絶対的に正しいものに違いない」と。
しかし、歴史の地層を少し丁寧に掘り起こしてみると、実はヨガの起源というものは、驚くほど曖昧で、捉えどころがなく、まるで霧の中を歩くような心許なさに満ちていることに気づかされます。
今日は、その「曖昧さ」を嘆くのではなく、むしろその豊かさとして味わってみようと思います。
ヨガとは、一本の直線的な道ではなく、無数の支流が合流し、時に離れ、大きなうねりとなって現代に流れ着いた大河のようなものなのですから。
もくじ.
インダス文明の印章は「ヨガ」だったのか
まず、よく引き合いに出されるインダス文明(紀元前2500年頃)の遺跡から出土した印章についてです。
あぐらをかき、角の生えた冠を被り、動物たちに囲まれた人物が刻まれています。多くのテキストでは、これを「シヴァ神の原型(パシュパティ)」であり「最古のヨガ行者」であると説明します。
確かに、その姿はヨガの座法(アーサナ)に見えなくもありません。
しかし、冷静な考古学的視点に立てば、実はこれがヨガであるという確証はどこにもないのです。
インダス文字はいまだ解読されていません。
彼が瞑想しているのか、単に王として座っているのか、あるいは祈祷師なのか、誰も断言できません。
私たちが「あれはヨガだ」と言いたくなるのは、後世の私たちが知っているヨガのイメージを、過去の遺物に投影している(読み込んでいる)に過ぎないのかもしれません。
起源は、最初から霧の中にあります。
「ヨガ」という言葉の登場と、馬車の比喩
文字としての記録で「ヨガ」という言葉が登場するのは、紀元前1500年頃からの『ヴェーダ聖典』の時代です。
しかし、当時のヨガは、私たちがイメージするストレッチやポーズとは似ても似つかないものでした。
サンスクリット語の「Yuj(ユジュ)」は「くびき(軛)をつける」「つなぐ」という意味です。
これは暴れる馬を戦車(チャリオット)につなぎ、御者がそれをコントロールすることを指していました。
当時のヨガとは、戦場において、あるいは祭祀において、暴走しがちな感覚器官(馬)を精神(手綱)によって制御し、目的へと突き進むための「技術」や「規律」を意味していたのです。
そこにはダウンドッグもなければ、三角のポーズもありません。
あったのは、神への賛歌と、厳格な儀式、そして強烈な集中力でした。
瞑想への転換と、心身二元論
時代が下り、紀元前数百年頃になると、『ウパニシャッド』などの哲学的文献が登場します。
ここでヨガは、外側の儀式から、内側の儀式へと大きく舵を切ります。
社会から離れ、森に入り、自らの内面を見つめる修行者たちが現れました。
彼らは呼吸(プラーナ)を制御し、意識を一点に集中させる行法を実践しました。
そして紀元後4〜5世紀頃、パタンジャリによって『ヨガ・スートラ』が編纂されます。
これは現代でも「ヨガの聖典」として崇められていますが、そこに書かれている内容は驚くべきものです。
パタンジャリが説いたヨガの目的は「心の作用を止滅させること」。
そして、その哲学背景にあるのは「心身二元論(サーンキヤ哲学)」です。
つまり、「純粋な精神(プルシャ)」と「物質的な自然(プラクリティ)」を切り離し、精神の純粋性を回復することを目指したのです。
極端に言えば、肉体や心といった「物質」は、悟りの邪魔になるものであり、それらから離れることがヨガだったのです。
現代の私たちが「心と体をつなぐ」と言ってヨガをするのとは、真逆のベクトルがそこにはありました。
「ハタヨガ」という身体性の復権
肉体が復権するのは、さらに1000年近く経った中世以降、「タントラ」や「ハタヨガ」が登場してからです。
彼らは肉体を「邪魔なもの」ではなく、悟りに至るための「神殿」であり「道具」だと捉え直しました。
ここでようやく、私たちが知るような身体技法としてのヨガが発展し始めます。
しかし、当時のハタヨガもまた、現代のスタジオヨガとは異質のものでした。
その目的は、不老不死の身体を作り、エネルギー(クンダリニー)を覚醒させ、即身成仏すること。
ポーズの数も少なく、その多くは座法であり、アクロバティックな動きはあくまでエネルギー制御のためのものでした。
健康のためでも、美容のためでも、ストレス解消のためでもなかったのです。
現代ヨガの誕生と「ピザ効果」
では、私たちが日々マットの上で行っている、流れるようなポーズの連続(ヴィンヤサ)や、立位のポーズはどこから来たのでしょうか。
ここがヨガの歴史における最大のミステリーであり、最も面白い部分です。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、インドはイギリスの植民地支配下にありました。
この時期、インドの伝統的な身体文化と、西洋から持ち込まれた体操(スウェーデン体操やデンマーク体操)、そしてレスリングやボディビルディングの身体操法が、複雑に混ざり合ったのです。
「現代ヨガの父」と呼ばれるT.クリシュナマチャリアは、マイソール宮殿で、少年の身体鍛錬のために、伝統的なヨガに西洋的な体操の動きを取り入れたシークエンスを開発したと言われています。
これが、現在世界中で行われているアシュタンガヨガやヴィンヤサヨガの原型となりました。
つまり、私たちが「5000年の歴史」と信じて行っているポーズの多くは、実はここ100年ほどの間に形成された「新しい伝統」である可能性が高いのです。
これを研究者たちは「ピザ効果」と呼ぶことがあります。
イタリアのピザが、アメリカで具沢山にアレンジされて人気となり、それがイタリアに逆輸入されて「伝統料理」として定着したように、ヨガもまた、西洋の影響を受けて再構築され、それが「インドの伝統」として世界に広まった側面があるのです。
曖昧だからこそ、ヨガは生き残った
こうして歴史を辿ってみると、ヨガの起源がいかに曖昧で、その定義がいかに流動的であったかがわかります。
ある時は精神統一の技術であり、ある時は厭世的な修行であり、ある時は身体鍛錬法であり、現代では美容健康法であり、ビジネスマンのマインドフルネスでもある。
「なんだ、結局ヨガなんてごちゃ混ぜの偽物なのか」と、がっかりされるでしょうか?
私はむしろ、逆だと感じています。
この「曖昧さ」こそが、ヨガの生命力そのものなのです。
もしヨガが、厳格で不変の教義を持った宗教であったなら、時代の変化とともに淘汰されていたかもしれません。
ヨガは、確固たる「形」を持たない水のようなものです。
器の形に合わせて姿を変え、その土地の文化と混ざり合い、必要な成分を取り込みながら、絶えず流れ続けてきました。
起源が曖昧であるということは、誰か一人の所有物ではないということです。
特定の教祖のものでも、特定の宗教のものでもありません。
それは、人類が数千年にわたって積み上げてきた「より良く生きるための知恵」の集合体、巨大なオープンソースのようなものです。
今、私たちがマットの上で行っているヨガは、5000年前の人が行っていたこととは違うかもしれません。
でも、呼吸を整え、内側に意識を向け、静寂を感じようとするその「意図」においては、古代の行者たちと深くつながっています。
形(フォーム)は変わっても、その本質にある「流れ」は途絶えていないのです。
「これが正しいヨガだ」「あれは間違ったヨガだ」と起源を争うことは、大河の水をスプーンですくって「これが川だ」と主張するようなものです。
大切なのは、定義することではなく、その流れに身を浸すこと。
曖昧なまま、わからないまま、ただ今の呼吸と身体を感じること。
ヨガの歴史が教えてくれるのは、私たちが何ものにも縛られる必要はない、という自由そのものなのかもしれません。
起源の霧の中を、軽やかに歩いていきましょう。
正しさよりも、心地よさを道しるべにして。


