ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なる健康体操ではなく、私たちが無意識に抱え込んでしまった「心の力み」をほどくための、非常に精巧なシステムだからです。
皆さんは、何かを強く願いすぎて、かえってうまくいかなかった経験はありませんか?
「絶対にこの商談を成功させなければならない」と意気込むほど言葉に詰まったり、「この人しかいない」と恋い焦がれるほど相手が離れていったり。
実はこれ、単なる偶然や不運ではありません。
そこには、エネルギーの法則とも言える明確なメカニズムが働いています。
これを、ある種の哲学体系では「過剰ポテンシャル」と呼びます。
現代社会は、構造的にこの過剰ポテンシャルを生み出しやすい環境にあります。
私たちは知らず知らずのうちに、人生のあらゆる局面に「過剰な重要性」を与え、自ら流れをせき止めてしまっているのかもしれません。
今日は、この「過剰ポテンシャル」という視点から、現代社会の生きづらさと、ヨガ的な解決策について、少し深く、静かに思索してみたいと思います。
過剰ポテンシャルとは何か?
専門的な用語のように聞こえるかもしれませんが、定義はとてもシンプルです。
過剰ポテンシャルとは、「ある対象に対して、実際以上の意味や重要性を与えた時に生じる、エネルギーの歪み」のことです。
例えば、床に置かれた幅30センチの板の上を歩くとします。
誰でも簡単に、鼻歌を歌いながら歩けるでしょう。
しかし、その板が地上200メートルのビルの間に架けられていたらどうでしょうか?
足はすくみ、心臓は早鐘を打ち、一歩も動けなくなるか、あるいはバランスを崩して落ちてしまうかもしれません。
板の幅も、歩くという行為も、物理的には何も変わっていません。
変わったのは、あなたがそこに与えた「重要性」です。
「落ちてはいけない」「死ぬかもしれない」という過剰な重要性が、空間に緊張状態(過剰ポテンシャル)を生み出し、自然なパフォーマンスを阻害したのです。
自然界は、常にバランス(平衡状態)を保とうとする性質があります。
どこかに過剰なエネルギーの偏りが生まれると、それを解消しようとする力、つまり「平衡力」が働きます。
先ほどの例で言えば、あなたが「落ちてはいけない」と強く思えば思うほど、平衡力はあなたを突き落とそうとする方向へ働きます。
なぜなら、あなたが落ちてしまえば、その過剰な緊張状態は解消され、エネルギーのプラスマイナスがゼロに戻るからです。
現代社会という「重要性」の工場
私たちが生きるこの現代社会は、まさにこの「過剰ポテンシャル」を大量生産する巨大な工場のようです。
資本主義経済や能力主義社会は、常に私たちに「重要性」を突きつけてきます。
「成功しなければならない」
「お金持ちにならなければならない」
「誰よりも優れていなければならない」
「常に美しくあらねばならない」
「効率的でなければならない」
テレビをつければ不安を煽るニュースが流れ、SNSを開けばキラキラとした他人の生活が目に飛び込み、「今のままのあなたでは不十分だ」と囁きかけてきます。
私たちは、仕事に、人間関係に、お金に、そして自分自身という存在に、とてつもなく重い「意味」を背負わせてしまっています。
「交換の論理」に支配された社会では、自分の価値を常に外部からの評価で証明し続けなければなりません。
そこには常に緊張があり、比較があり、競争があります。
この張り詰めた空気こそが、過剰ポテンシャルそのものです。
私たちは、人生という道を歩いているつもりで、実は地上200メートルの綱渡りを強いられているような状態なのかもしれません。
これでは、疲れてしまうのも無理はありません。
そして皮肉なことに、その「何とかしなければ」という必死な思い(執着)こそが、望む現実を遠ざける最大の原因となっているのです。
ヨガの視点:執着(ラーガ)を手放す
ヨガの古い経典『ヨガ・スートラ』では、私たちの苦しみの原因の一つとして「執着(ラーガ)」を挙げています。
これはまさに、過剰ポテンシャルのことです。
何かを強く求め、握りしめること。
それはエネルギーの流れを止める行為です。
ヨガでは、「アビャーサ(修習)」と「ヴァイラーギャ(離欲)」の二つを車の両輪のように大切にします。
アビャーサとは、努力して練習すること、行動することです。
一方、ヴァイラーギャとは、その結果に対して執着しないこと、手放すことです。
現代人は、アビャーサ(努力)は得意です。
しかし、ヴァイラーギャ(手放し)が圧倒的に不足しています。
「絶対に結果を出したい」「失敗したら終わりだ」と、結果をコントロールしようと必死になります。
しかし、ヨガは教えます。
「行為はあなたのものだが、結果はあなたのものではない」と。
結果を宇宙(あるいは自然の摂理)に委ねたとき、過剰ポテンシャルは消滅します。
すると不思議なことに、障害物がなくなり、物事がスムーズに流れ始めるのです。
スピリチュアルな処方箋:重要性を引き下げる
では、具体的にどうすればこの過剰ポテンシャルを解消し、人生の流れを良くすることができるのでしょうか。
いくつかの心構え(処方箋)をご提案します。
1. 「どうでもいい」とつぶやく
これは投げやりになるという意味ではありません。
過剰に高まった重要性のレベルを、正常値に戻すための魔法の言葉です。
失敗しても死ぬわけじゃない。嫌われても世界が終わるわけじゃない。
「ま、どうでもいいか」「なるようになるさ」と口に出してみることで、カチコチに固まったエネルギーの結び目がフッと緩みます。
世界は、あなたが思っているほど深刻な場所ではありません。
もっと遊び心(リーラ)を持って、ゲームのように人生を楽しめばいいのです。
2. ユーモアを持つ
過剰ポテンシャルは、深刻さを好みます。
逆に、ユーモアや笑いは過剰ポテンシャルの天敵です。
どんなに辛い状況でも、その中に「おかしみ」を見つけること。
自分の失敗を笑い飛ばすこと。
笑いが起こった瞬間、その場の緊張(ポテンシャル)は一気に解放されます。
眉間にしわを寄せて瞑想するよりも、一度大笑いする方が、よほど高い波動に整うことさえあるのです。
3. 行動でエネルギーを散らす
頭の中で悩み続けていると、エネルギーはそこに滞留し、巨大なポテンシャルとなります。
不安や心配で頭がいっぱいになったら、身体を動かしてください。
ヨガのアーサナ(ポーズ)でもいい、散歩でもいい、掃除でもいい。
行動は、過剰に溜まったエネルギーを物理的に消費し、希釈してくれます。
「案ずるより産むが易し」とは、行動によってポテンシャルが解消され、物事が動き出す現象を見事に言い当てています。
4. 「すでに持っている」感覚で生きる
「欲しい」と強く願うことは、「私は持っていない」という欠乏感を宇宙に宣言することになり、さらなる欠乏を引き寄せます。これも過剰ポテンシャルの一種です。
そうではなく、すでに満たされている感覚、感謝の周波数にチューニングを合わせること。
朝、目が覚めたこと。呼吸ができること。お茶が美味しいこと。
今あるものに目を向け、充足感の中に安住するとき、過剰な渇望は消え去ります。
外的な何かを得ようと必死になるのではなく、内側から満たされること。
それが最強の「引き寄せ」のベースとなります。
縁側に戻り、ただ、在る
縁側に座って、庭の木々を眺めているとき。
そこには「生産性」も「効率」も「評価」もありません。
ただ、風が吹き、光が差し、鳥が鳴いている。
その「ただ、在る」という感覚こそが、過剰ポテンシャルが完全にゼロになった状態、すなわち「空(くう)」の状態です。
このゼロポイントに立ったとき、私たちは初めて、自分の魂が本当に望んでいることが何なのかを聞き取ることができます。
世間が押し付けた「重要性」ではなく、内なる声に従って生きること。
それが、あなたの本来の人生ライン(運命)に乗るということです。
もし今、あなたが人生の重荷に押しつぶされそうになっているなら。
それは能力が足りないからでも、努力が足りないからでもありません。
ただ、荷物が「重要すぎる」と思い込んでいるだけかもしれません。
一度、その荷物を縁側にドサッと下ろしてみませんか。
そして、一杯のお茶を飲みましょう。
手ぶらになった身体の軽さに気づいたとき、停滞していた現実は、音を立てて動き出すはずです。
私たちは、もっと自由でいい。
もっと適当でいい。
バリアントな空間(可能性の空間)は、リラックスしたあなたの前にこそ、その無限の扉を開いてくれるのですから。
ではまた。



