ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが身体を柔らかくする体操ではなく、ガチガチに固まった「認識の枠組み」を解きほぐす、心のサイエンスだからです。
ふとした瞬間に、こんな風に感じることはありませんか?
「あれ、今の会話、なんだかおかしくないか?」
「世の中のこのニュース、みんな騒いでいるけれど、本当に重要なことだろうか?」
「会社のこのルール、意味がないように思えるけれど、誰も疑問を持たないのだろうか?」
自分だけが、周囲と違うリズムで生きているような感覚。
まるで、自分だけが違う脚本を渡されて舞台に立っているような、微かな疎外感。
「もしかして、おかしいのは世界ではなく、私の方なのだろうか?」と不安になることもあるかもしれません。
今日は、そんな日常に潜む「違和感」の正体について、ヨガ哲学の視点から紐解いていきたいと思います。
結論から申し上げますと、その違和感は「あっていいもの」です。
ただし、その取り扱い方を間違えると、それはただの苦しみになります。
違和感を抱えたまま、どうやってこの現代社会で軽やかに生きていくか。その智慧を分かち合いたいと思います。
もくじ.
「おかしい」と感じているのは、誰か
まず、残酷なようでいて、非常に救いのある真実をお伝えしましょう。
「普段の生活の中でおかしいなと思うことがあっても、それは『私』がおかしいと思っただけで、世間的には決しておかしなことではなかったりする」ということです。
私たちは普段、自分の目に見えている世界を「客観的な事実」だと思っています。
しかし、ヨガの教えは、それを真っ向から否定します。
私たちは、世界をありのままに見ているのではありません。
自分の「色眼鏡」を通して、世界を見ているに過ぎないのです。
ヨガ哲学では、この色眼鏡のことを「サンスカーラ(潜在印象)」と呼びます。
これは、過去の経験、教育、トラウマ、親の価値観、生まれ育った文化などによって形成された、あなた独自の「思考のフィルター」です。
例えば、犬を見て「可愛い」と思う人もいれば、「怖い」と思う人もいます。
犬という存在(事実)は一つですが、解釈(真実)は人の数だけあるのです。
あなたが「おかしい」と感じた時、それは外側の出来事そのものが「おかしい」のではありません。
あなたの内側にあるフィルターが、その出来事と摩擦を起こし、「これは私の価値観とは違う」というシグナルを出しているだけなのです。
つまり、違和感の震源地は、社会でも他人でもなく、常に「私の心の中」にあります。
現代社会という巨大な「鏡」
では、なぜ私たちは自分の感覚が「正しい」と思い込んでしまうのでしょうか。
それは、現代社会があまりにも「正解」を求めたがる病に侵されているからかもしれません。
SNSを開けば、そこには無数の「正義」が溢れています。
「これが正しい食事法だ」「これが正しい働き方だ」「あれは間違っている」「これは不謹慎だ」。
それぞれのフィルターを通した個人的な意見が、まるで絶対的な真理であるかのように叫ばれています。
これをトランサーフィンの概念を借りて説明するならば、巨大な「振り子(ペンデュラム)」が揺れている状態です。
振り子とは、人々の思考エネルギーが集まってできた集合体のことで、私たちを同調させようと強力な引力を働かせます。
「みんなが怒っているから、これは許されないことなのだ」
「みんなが良いと言っているから、これは素晴らしいものなのだ」
そうやって、私たちは自分の感覚を社会という巨大な鏡に映し出し、同調しようとします。
しかし、そこで同調できない時、強烈な「違和感」が生まれます。
ここで大切なのは、社会と戦わないことです。
「この社会はおかしい!」と声を荒らげ、正そうとすることは、鏡に向かって殴りかかるようなものです。
鏡の中の像(社会)もまた、あなたに殴りかかってくるでしょう。
戦えば戦うほど、その「おかしな現実」はあなたの人生において重要性を増し、あなたを縛り付けることになります。
現象はただ「空(くう)」である
ここで、少し視座を高くしてみましょう。
仏教には「空(くう)」という概念があります。
すべての物事には実体がない、という意味です。
雨が降っているとします。
ある人は「恵みの雨だ」と喜び、ある人は「憂鬱な天気だ」と嘆きます。
しかし、空から見れば、ただ「H2Oのしずくが重力に従って落下している」という物理現象があるだけです。
そこに「良い」も「悪い」も「おかしい」もありません。
意味づけをしているのは、常に人間の都合(エゴ)なのです。
あなたが「おかしい」と思ったその出来事も、宇宙的な視点で見れば、ただ「そういう現象が起きている」という事実に過ぎません。
その会社にはそういうルールがある。その人はそういう発言をした。世間ではそれが流行っている。
ただ、それだけのことです。
そこに「おかしい」というラベルを貼り付けているのは、あなた自身のマインド(思考)なのです。
こう言うと、「では、何も感じるなということですか?」と問われることがありますが、そうではありません。
感じてもいいのです。
ただ、その感情に「同一化」しないでほしいのです。
スピリチュアルな処方箋:ただの「観客」になる
では、具体的なアドバイスをいたしましょう。
違和感を感じた時、それを排除しようとしたり、相手を論破しようとしたり、あるいは自分を責めたりするのをやめてみてください。
ただ、「ああ、私は今、これをおかしいと感じているな」と気づくだけにするのです。
これをヨガでは「サクシ(目撃者・観照者)」の視点といいます。
映画館で映画を見ている自分を想像してください。
スクリーンの中(現実世界)では、理不尽な展開や、奇妙な出来事が映し出されています。
あなたはそれを見て、「なんだこれ、変なストーリーだな」と思うかもしれません。
でも、わざわざスクリーンに向かって「間違っている!」と叫びに行ったりはしませんよね。
ただ、席に座って、ポップコーンを食べながら眺めているはずです。
現実世界でも、同じことをするのです。
「世間的にはこれがおかしくないらしい。でも、私にはおかしく見える。ふーん、なるほど、面白いね」
そのくらいの軽やかさで、通り過ぎるのです。
重要度を下げるのです。
深刻にならないことです。
あなたが「おかしい」という判断(ジャッジメント)を手放した時、世界はあなたに対して牙を剥くのをやめます。
「自分はおかしいと思うけれど、あなたはそう思うんですね。それもまた一つの世界ですね」
と、多様な並行世界(バリアント)の存在を認めること。
それが、真の自由です。
身体に還る、という最終手段
それでも、どうしても頭が納得せず、イライラやモヤモヤが消えない時があるでしょう。
現代人は頭(思考)ばかりが肥大化し、身体がお留守になっています。
頭で処理しきれない違和感は、身体の緊張として蓄積します。
そんな時は、思考で解決しようとするのを諦めて、身体に意識を戻してください。
ヨガのアーサナ(ポーズ)をとるのも良いですし、ただ深呼吸をするだけでも構いません。
眉間の力を抜き、奥歯の噛み締めを解き、肩を落とす。
吐く息と共に、「正しさ」への執着を吐き出していく。
身体が緩むと、不思議なことに「ま、いっか」と思えるスペースが心に生まれます。
「おかしい」と思っていたことが、どうでもいい些末なことに思えてきます。
これが、ヨガがもたらす恩恵です。
終わりに:あなただけの「縁側」を持つ
世の中には、いろいろな人がいます。いろいろな価値観があります。
その中には、あなたにとって理解不能なものもたくさんあるでしょう。
それはそれで、いいのです。
無理に合わせる必要もなければ、無理に否定する必要もありません。
ただ、あなたの中に、世間の喧騒から離れた静かな場所を持っておくこと。
自分自身の感覚を大切にしながらも、他者をジャッジせず、ただあるがままに世界を眺められる場所。
それが、私たちがEngawaYogaで伝えたい「縁側」のような境地です。
あなたが「おかしい」と感じたその感性は、あなたを守る羅針盤でもあります。
でも、その羅針盤を他人に押し付けたり、他人と比べるために使わないでください。
ただ、あなたが心地よい方向へ進むためだけに使えばいいのです。
世界はおかしくないし、あなたもおかしくない。
ただ、そこに多様な「踊り」があるだけです。
そのダンスを、深刻にならず、軽やかに楽しんでいきましょう。
ではまた。



