日々、私たちは多くの情報、やるべきこと、そして未来への漠然とした不安を心と身体に抱え込んで生きています。朝、目が覚めた瞬間から、脳は昨日のことや今日の予定、明日の心配事をめぐり始め、まるで常に全力疾走しているかのようです。どこかで聞いた話や、インターネットで見かけた情報、誰かのアドバイス。良いと言われるものは、とりあえず取り入れてみようとする。そうして積み重なった知識や期待が、知らず知らずのうちに私たち自身の「肩の荷」となっていることに気づかないまま過ごしがちです。
瞑想、という言葉を聞くと、多くの人は静かで厳粛な雰囲気の中で、特別な座り方をし、心を「無」にしなければならない、といったイメージを持つかもしれません。あるいは、深く集中して、何か神秘的な体験をしなければならないと思う方もいるでしょう。しかし、もしあなたが今、瞑想に興味はあるけれど、どう始めて良いか分からない、難しそうだと感じているなら、そして、少しでも心の重荷を下ろしたいと願っているなら、今日お伝えしたいのは、そんな難解なものではありません。
瞑想とは、突き詰めれば、究極にシンプルな行為です。それは「ただ座る」という、これ以上ないほどミニマルな実践から始めることができます。そして、その「ただ座る」という行為の中に、私たちが抱える様々な「荷物」を手放し、自分自身を解き放つための秘密が隠されているのです。
「頑張らない」勇気:「ただゆるめる」瞑想の実践へ
私たちは、何かを成し遂げようとする時、どうしても「頑張る」ことに意識を向けがちです。瞑想においても、「上手に瞑想しよう」「心を無にしよう」「深い集中を得よう」と、知らず知らずのうちに力んでしまうことがあります。しかし、瞑想において最も大切なのは、実はその逆。「頑張る」ことではなく、「ゆるめる」ことなのです。
ここで提案したいのは、「ただゆるめる瞑想」です。これは、特別な呼吸法をしたり、何か特定のイメージを思い描いたり、難しい哲学を理解しようとしたりする必要は一切ありません。ただ、身体の力を抜き、心の緊張を解き放つことに意識を向けます。
椅子に座っても良いし、床にあぐらをかいても良いでしょう。大切なのは、あなたが一番楽に、しばらくの間じっとしていられる姿勢を選ぶことです。背筋は軽く伸ばし、肩の力を抜きます。そして、目を閉じても良いし、半開きにしても良いでしょう。
さあ、準備ができたら、「ただ、ゆるめて」みてください。
まずは身体の感覚に意識を向けます。頭のてっぺんから足の先まで、順番に意識を移しながら、力が入っている部分はないかを感じてみます。もし、どこかに力みを感じたら、「ああ、力が入っているな」とただ気づき、その部分をそっと緩めてみます。顔の周り、肩、背中、お腹、手、足……気づいたところから、少しずつ力を抜いていきます。まるで、硬く握りしめていたものを、そっと開いていくように。
次に、心の状態に意識を向けます。頭の中で様々な思考が駆け巡っていることに気づくかもしれません。過去の後悔、未来への不安、今日のToDoリスト…。様々な感情が湧き上がってくるかもしれません。楽しいこと、悲しいこと、イライラすること…。それらを無理に止めようとしたり、消そうとしたりする必要はありません。「ああ、今こんなことを考えているな」「こんな気持ちを感じているな」と、ただ、そのままを認めます。そして、それらの思考や感情を、青い空に浮かぶ雲のように、あるいは目の前を流れていく川のように、「ただ眺める」練習をします。思考や感情に巻き込まれず、それらを「手放す」ように、そっと流れていくに任せるのです。
この「ただゆるめる」という行為は、私たちが普段いかに多くの力みや緊張を抱えて生きているかに気づかせてくれます。そして、その力みを手放すことで、心身が本来持っている軽やかさやスペースを取り戻していくプロセスなのです。これは、まるで肩の荷を下ろすような感覚です。重い荷物を背負っていると、身体も心もこわばりますが、そっと下ろした途端、ふっと軽くなるあの感じです。
頑張って「起こす」ものではない:「ゆるめば起こる」瞑想
瞑想について「何か特別な体験が起こるのではないか」「心が無になる瞬間があるのではないか」と期待している人もいるかもしれません。確かに、瞑想を深めていくと、集中が高まったり、深い安らぎを感じたりすることがあります。しかし、それは「頑張って起こす」ものではなく、「ゆるめることで自然に起こってくる」ものなのです。
私たちは結果を求めがちですが、「ただゆるめる瞑想」においては、何か特別な結果を得ようとしないことが重要です。何も起こらなくても良いのです。ただ座り、ただゆるめる。そのシンプルで地道な実践を続けること自体に価値があります。
身体がゆるみ、心がゆるんでくると、普段は気づかなかった自分自身の内側の声や感覚に気づきやすくなります。呼吸が自然と深くなったり、身体の微細な感覚を感じたり、あるいは頭の中で響いていた思考のノイズが静かになったり。これらは、無理にコントロールしようとした結果ではなく、力みを手放し、内側がゆるんだことで自然と「起こってきた」変化です。
東洋思想においては、「無為自然」の思想があります。これは、人為的な作為や計らいを加えようとせず、物事の自然な流れに任せる生き方です。瞑想における「ゆるめば起こる」という姿勢は、まさにこの無為自然の精神に通じます。頑張って何かを「しよう」とするのではなく、力を抜いて「ただ在る」こと。その「ただ在る」という状態の中に、本来の自分自身と繋がる道が開かれるのです。
知識や経験を手放し、変容を受け入れる
私たちは、人生の様々な段階で、多くの知識や経験を得てきました。それは私たちを成長させ、社会の中で生きていくための助けとなります。しかし、時にはその得た知識や経験、あるいはそこから生まれた固定観念が、私たちをがんじがらめにしてしまうことがあります。
「こうあるべきだ」「これはこういうものだ」「自分はこういう人間だ」といった考えは、かつては自分を守るためのものだったかもしれませんが、時を経て、新しい可能性を閉ざしてしまう「荷物」となることがあるのです。
瞑想の実践は、こうした内側の「荷物」に気づき、それを手放していくプロセスでもあります。特に、「ただゆるめる瞑想」は、頭の中のあれこれを手放す絶好の機会を与えてくれます。「今まで得た知識を、ちょっと手放していただきたいのです」。そして、過去の成功体験や失敗体験から生まれた「こうすればうまくいくはずだ」「どうせ自分にはできない」といった思い込みも、「色々と得たものをとにかく一度手放します」と決めて、そっと横に置いてみましょう。
何かを強く握りしめていると、そこに新しいものは入ってきません。しかし、一旦手放してみると、そこにぽっかりとスペースが生まれます。そして、「新しいものが入ってくるのですね」。それは、予期せぬ洞察かもしれないし、新しい視点かもしれないし、あるいは自分自身の内側からの新鮮なエネルギーかもしれません。この「手放す」というプロセスが、私たちに内側からの変容をもたらすのです。
思考や感情、過去の自分といった内的な「荷物」を手放し、心身がゆるんで軽くなると、私たちの内側から発せられるエネルギー、いわゆる「波動」が変わってくると言われます。「ゆるん人からうまくいく」という言葉があるように、肩の荷を下ろし、リラックスした状態は、物事をスムーズに進める助けとなります。また、「瞑想すると出会うことが変化する」と言う人もいます。これは、自分自身の内面が変化することで、周囲の世界の見え方が変わったり、引き寄せられる出来事や人々が変わってきたりすることを指しているのかもしれません。
さあ、「実践しよう」
瞑想は難しいものではありません。特別な場所も、道具も、深い知識も必要ありません。あなたが今いるその場所で、ただ座る。そして、ただゆるめる。そこからすべては始まります。
今まで瞑想について読んだり聞いたりした知識は、一旦忘れてしまっても大丈夫です。それは、あなたの旅の助けになることもありますが、時には旅に出る足かせになることもあります。今はただ、「実践しよう」。あなたの身体と心に問いかけ、どこに力みがあるかを感じて、そこをゆるめてみてください。
毎日ほんの数分でも構いません。朝起きてすぐでも、夜寝る前でも、仕事の合間でも良いでしょう。スマホから離れて、ただ座り、ただゆるめる時間を持つ。それは、あなた自身に贈る、最もシンプルで、最も豊かな時間となるはずです。
この「シンプル瞑想」、「ただ起こる瞑想」は、あなたの中にある力を信じることから始まります。無理に何かになろうとせず、ただ今の自分を受け入れ、ゆるめること。その静かで穏やかな実践が、あなたを本来の自分へと導き、肩の荷を下ろし、内側からの変容をもたらしてくれるでしょう。さあ、深呼吸をして、そっと目を閉じ、あなたの「ゆるめる」旅を今、ここから始めてみませんか。


