どんな時もジャストタイムで人は物事に出会ってます。
人との出会いも、すべてはジャストタイムです。
誰かが遅刻してきても、事故があっても、それらは必然で今必要があって出会っていることです。
なぜそうなのかは置いておいて、そういうものであると思うとわかってきます。
本質が「必要なことしか起こらない」のですからそうなのですが、そのように認識していくこで、目の前に起こる現実が必然だと感じられるように働くということでもあります。
ジャストタイムですべては起こっており、それはそれが最善なのですから、余計なことは悩む必要がなくなります。
ジャストタイムで起こっているので判断を挟まなくていい
すべてのことはジャストタイムで起こっています。
そのように世の中はできているそうです。
今、目の前に起こっている出来事が偽りのない、あなたとって必然の出来事というわけです。
この文章を読んでいることが、あなたにとって必要であり、必然であり、ベストであるから読んでいるのです。
必然だと思って出来事を眺めてみると、現実が変わってきます。
辛いことがあったり、嫌なことがあっても必然だと思って捉え直してみてください。
他にも選択肢があったのに、今やっていることを選んでいるのです。
そこに何かしかの意味があります。
必ずあるのです。
それを腑に落としていくと人生も変化していきます。
脚下照顧
禅の言葉に脚下照顧というものがあります。
簡単に言いますと、いまここを大切にするということです。
自分の足元をよく見て行動しなさいと、禅では言います。
他を見たり、他人と比べるのではなく、自分の本性と向き合っていくことです。
自分こそに答えがあるということでもあります
隣の芝生を「あーじゃこーじゃ」言うのではなく、己の現実に向き合うことです。
脚下照顧という言葉は、己の現実と向き合うことが何よりも人生の助けになるということを示しています。
自分ではない何かにむかって意見や理屈を言う前に、まずは自分の足元を見よということですね。
禅でも、そのようにいまここを大切にしています。
今の己に起こっていることを見ずして、先には進めないということであり、今の現実こそが真の現実であり人生そのものであるということです。
人との待ち合わせに遅れても、遅れられてもそれはピッタリなこと
すべては必要が起こっていると言いました。
人ととの待ち合わせだった同じです。
少し相手が遅れてきても、それは必要があったから遅れてきています。
物理的な理由の話ではなくて、大きな視点での話です。
相手に対して怒ってもなんの意味もありません。
相手もいろんな理由を並べるかもしれませんが、その理由にも何も意味がありません。
あなたにとって必要だから起こっているだけです。
遅刻がいけないことだとして、そのいけないことが、本当にいけないことなのでしょうか。
それはわかりません。
人間万事塞翁が馬のように、何が功を奏するのかもわかりません。
今、目の前に起こっていることこそ、最善であるということを理解して行動することが大切になるのです。
終わりに:あなたにとってジャストなことが起こっている
大丈夫です。
あなたにとってジャストなことが起こっていることは間違いありません。
それ以外のことが起こっていないこと自体が、真実です。
何か嫌なことが起こっても、自分を咎める必要はありません。
そこからどうするかです。
今ここからどうするかが全てです。
今を大切にすることです。
どんなことが起こっても、変なことが起こっても、嬉しいことが起こっても、喜ばしいことが起こっても、あなたの本質的な人生からみると、常に必要・必然・ベストなことが起こっているのです。