ヴァイシェーシカ哲学:原子論と範疇論 – 世界の構成要素

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私たちの目の前には、実に多様な世界が広がっています。一杯の白湯をたたえた素朴な陶器の器、縁側の濡れ縁に落ちた一枚の紅葉、頬を撫でるそよ風、そして、それらを感じている「私」という意識。この無数の現象、無数の存在から成り立つ世界は、一体、何からできているのでしょうか。この根源的な問いに、驚くほど冷静な分析のメスを入れたのが、古代インドのヴァイシェーシカ(Vaiśeṣika)学派です。

ヴァイシェーシカ哲学は、しばしば「インドの原子論」として紹介されます。しかし、その射程は単なる物質の分析に留まりません。それは、存在する「ありとあらゆるもの」を分類し、その関係性を解き明かし、世界の構造を一枚の巨大な設計図のように描き出す、壮大な知の試みでした。彼らは、この世界の徹底的な理解こそが、苦しみの原因である無知を取り除き、最終的な解放である「解脱(モークシャ)」へと至る道だと考えたのです。

この学派の創始者は、紀元前数世紀頃の人物とされる聖仙カナāda(カナーダ)です。「カナダ」という名前は「米粒を拾い食いする者」を意味するとも言われ、その質素な生活ぶりから、徹底した思索に没頭した人物像が浮かび上がってきます。彼が著したとされる根本経典が『ヴァイシェーシカ・スートラ』です。

この講では、ヴァイシェーシカ学派がどのように世界を解剖し、その構成要素を突き止めていったのか、その緻密で論理的な思考の旅路をたどっていきましょう。それは、まるで宇宙のライブラリに足を踏み入れ、存在のすべてが整然と並べられた書架を眺めるような、知的な興奮に満ちた体験となるはずです。

 

パダールタ:世界を理解するための「範疇」という名のメガネ

ヴァイシェーシカ哲学の根幹をなすのが、「パダールタ(Padārtha)」という概念です。これは「語(pada)によって指し示される対象(artha)」を意味し、一般に「範疇」と訳されます。私たちが言葉で指し示すことのできる、存在するすべてのものを、いくつかの基本的なカテゴリーに分類しようという試みです。

なぜ、彼らはこれほどまでに分類にこだわったのでしょうか。それは、混沌として見えるこの世界に、論理的な秩序を見出すためでした。無数の現象や存在を、いくつかの基本的な「型」に整理することができれば、世界を正しく、体系的に理解することができる。そして、その「正しい知識(jñāna)」こそが、アートマン(真我)が何であり、何でないかを見極め、輪廻の軛(くびき)から解放されるための鍵だと考えたのです。

ヴァイシェーシカ学派は、当初、世界に存在するすべてを以下の六つのパダールタに分類しました。

  1. ドラヴィヤ(Dravya) – 実体

  2. グナ(Guṇa) – 属性・質

  3. カルマ(Karman) – 運動・作用

  4. サーマーニャ(Sāmānya) – 普遍・共通性

  5. ヴィシェーシャ(Viśeṣa) – 特殊・個別性

  6. サマヴァーヤ(Samavāya) – 内属

後に、これらの範疇では説明しきれない「ないこと」を説明するために、七番目の範疇としてアバーヴァ(Abhāva)、すなわち「非存在」が加えられました。それでは、これらの範疇がそれぞれ何を意味するのか、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。

 

第一の範疇 ドラヴィヤ(実体):世界の基盤をなす九つの要素

まず、すべての存在の基盤となるのが「ドラヴィヤ(Dravya)」、すなわち「実体」です。実体とは、属性(グナ)や運動(カルマ)が宿るための「土台(基体)」となるものです。例えば、「青い器」があるとき、「器」そのものが実体であり、「青い」という色は属性です。色は、器という実体がなければ存在できません。

ヴァイシェーシカ学派は、この世界を構成する実体は、以下の九種類しかないと考えました。

  1. 地(Pṛthivī)

  2. 水(Āpas)

  3. 火(Tejas)

  4. 風(Vāyu)

  5. 空(Ākāśa)

  6. 時(Kāla)

  7. 方(Diś)

  8. 我(Ātman)

  9. 意(Manas)

最初の四つ、地・水・火・風は、多数の「原子(パラマーヌ)」から構成される複合的な実体です。私たちが普段目にしている土や石、川の水、蝋燭の炎、吹く風はすべて、これ以上分割できない究極的な粒子である原子が集まってできたものだと考えました。

五番目の「空(アーカーシャ)」は、音の属性を持つ媒体であり、空間そのものと理解されます。これは単一で、常住で、遍満する実体です。六番目の「時(カーラ)」と七番目の「方(ディシュ)」もまた、過去・現在・未来や、東・西・南・北といった認識の基盤となる、単一で常住な実体とされます。

そして、最も重要なのが八番目の「我(アートマン)」と九番目の「意(マナス)」です。アートマンは、意識の主体であり、知、苦、楽などの属性を持つ、常住で遍満する実体です。これは個々人に一つずつ存在し、輪廻の主体となります。マナスは「心」や「思考器官」と訳され、アートマンと感覚器官を結びつけ、一度に一つのことしか認識できない、原子的な大きさの実体とされます。

ここで重要なのは、アートマンもまた「実体」という範疇の一つとして、客観的に分析されている点です。ヴァイシェーシカ哲学の目的は、このアートマンが、地や水といった他の物質的な実体や、身体、感覚器官とは全く異なるものであることを、論理的に明らかにすることにあるのです。

 

ヴァイシェーシカの原子論:世界の究極的構成要素(パラマーヌ)

ヴァイシェーシカ哲学の最大の特徴の一つが、その精緻な原子論「パラマーヌ・ヴァーダ(Paramāṇu-vāda)」です。

「パラマーヌ(Paramāṇu)」とは、地・水・火・風の四つの実体を構成する、それ以上分割不可能な究極の粒子を指します。これらの原子は、球体であり、常住(永遠)で、それ自体は感覚で捉えることはできません。

この原子論は、西洋古代ギリシアのデモクリトスの原子論としばしば比較されます。しかし、両者には決定的な違いがあります。デモクリトスの原子論が、世界のすべてを原子の運動に還元する唯物論であったのに対し、ヴァイシェーシカの原子論は、原子(物質)の他に、アートマン(精神)、神(イーシュヴァラ)の存在を認める多元的実在論です。物質世界は原子から成りますが、それだけが世界のすべてではないのです。

では、目に見えない原子から、どのようにして私たちが認識できる世界が生まれるのでしょうか。ヴァイシェーシカは、そのプロセスを次のように説明します。

まず、二つの原子(パラマーヌ)が結合して、「二原子体(ドヴィヤヌカ, dvy-aṇuka)」という最小の複合体を形成します。この二原子体はまだ微細すぎて見ることはできません。次に、三つの二原子体が結合して、「三原子体(トリヤヌカ, try-aṇuka)」を形成します。この三原子体になって初めて、私たちはそれを微小な粒子(太陽光の中に見える塵のようなもの)として認識できるようになります。そして、この三原子体がさらに結合を重ねることで、私たちが日常で目にする様々な物体が形成されるのです。

世界の創造と破壊も、この原子の結合と分離によって説明されます。世界の終末期(プララヤ)には、神の意志によってすべての複合体が分解され、原子の状態に戻ります。そして、新たな創造期が始まると、生物の未成熟なカルマ(業)に従い、神の意志のもとで原子が再び結合を始め、新たな世界が創造されるのです。

この壮大な宇宙観は、世界の無常と、その背後にある永遠の原子、そしてそれらを司る神の存在を示唆しています。

 

残りの範疇:世界を織りなす関係性の網の目

世界が九つの実体から成ることが分かりました。しかし、世界は単に実体が転がっているだけではありません。そこには色や形があり、動きがあり、共通点や相違点があり、様々な関係性があります。これらを説明するのが、残りのパダールタです。

 

グナ(属性・質)とカルマ(運動・作用)

「グナ(Guṇa)」は実体に宿る性質のことで、全部で24種類が挙げられます。色、味、香、触といった感覚的な質から、数、量、分離、結合といった関係的な質、さらには知、楽、苦、欲望、憎悪といったアートマンに固有の質まで含まれます。重要なのは、グナは必ずドラヴィヤ(実体)という土台なしには存在し得ない、ということです。

「カルマ(Karman)」は実体に属する動きや作用を指します。上昇、下降、収縮、伸長、歩行(一般的な移動)の五種類に分類されます。カルマもまた、実体なしには存在できません。

 

サーマーニャ(普遍)とヴィシェーシャ(特殊)

「サーマーニャ(Sāmānya)」は、個々の事物に共通して存在する「普遍性」です。例えば、目の前にいる様々な牛(黒い牛、白い牛、大きな牛、小さな牛)に共通する「牛であること」、すなわち「牛性」がサーマーニャです。これは個々の牛とは別に、実在する概念だと考えられました。

一方、「ヴィシェーシカ(Viśeṣa)」は、この学派の名前の由来ともなった、極めて独創的な概念です。これは、永遠に存在する個々の原子を、他のすべての原子から区別する究極的な「特殊性」あるいは「個別性」を指します。同じ種類の原子(例えば、地の原子)は、すべての属性(グナ)が同じです。では、なぜ一つの地の原子が、別の地の原子と区別できるのか。それを可能にするのが、それぞれの原子に内在するヴィシェーシャなのです。これは、存在の根本的な「個」を保証する原理と言えるでしょう。

 

サマヴァーヤ(内属)とアバーヴァ(非存在)

「サマヴァーヤ(Samavāya)」は、二つの事物が切り離せない仕方で結びついている「内属」という関係性を指します。例えば、糸と布の関係です。糸は布の部分ですが、布から糸だけを物理的に「分離」することはできません。また、実体とその属性(器と青さ)、実体とその運動(走る人と走り)、普遍とその個物(牛性と個々の牛)の関係もサマヴァーヤです。これは、世界が決してバラバラな要素の寄せ集めではなく、有機的に結びついた統一体であることを示しています。

最後に、「アバーヴァ(Abhāva)」、すなわち「非存在」です。これは後に加えられた範疇ですが、「この部屋に象はいない」という認識が成立するのはなぜか、という問いに答えるものです。ヴァイシェーシカは、「象の非存在」というものが、この部屋に実在しているからだと考えました。つまり、「ない」ということもまた、認識の対象となる一つの「存在」のあり方だと捉えたのです。

 

ニヤーヤ学派との融合と解脱への道

ヴァイシェーシカ哲学は、その世界の分析的な構造において、ニヤーヤ学派と非常に親和性が高いものでした。ニヤーヤ学派が「どのようにして正しく知るか」という認識論・論理学を探求したのに対し、ヴァイシェーシカは「知られるべき対象である世界とは何か」という形而上学・存在論を探求しました。

この二つの学派は、いわば車の両輪のような関係にあり、後には「ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派」として一つの学派に統合されていきます。ヴァイシェーシカが提示した世界の設計図(パダールタ論)を、ニヤーヤが確立した論理的な証明方法(プラマーナ)によって検証し、確立していくという、知の協同作業が行われたのです。

そして、忘れてはならないのは、この緻密な世界の分析が、単なる知的遊戯ではなかったということです。その最終目的は、常に「解脱(モークシャ)」にありました。パダールタの真の知識を得ることによって、修行者は「私(アートマン)」が、身体や心(マナス)、感覚器官といった他の実体や、苦楽といった属性とは異なる、永遠で純粋な存在であることを明確に悟ります。この識別知こそが無知を滅ぼし、カルマの連鎖を断ち切り、二度と輪廻の世界に生まれ変わることのない、永遠の静寂へと導くと考えられたのです。

 

結論:世界の解剖学がもたらすもの

ヴァイシェーシカ哲学の探求は、まるで世界のすべてを解剖台に乗せ、その隅々までを冷静な目で観察し、分類し、ラベルを貼っていくような、驚くべき知的営為でした。その原子論は現代物理学の視点から見れば素朴に映るかもしれません。しかし、その根底にある、経験と論理に基づいて世界の構造を解明しようとする科学的な精神、そして世界の複雑さを秩序立てて理解しようとする哲学的な探求心は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

この哲学は、私たちに二つの視点を授けてくれます。一つは、世界を究極的な要素にまで還元して見る「分析の視点」。もう一つは、それらの要素が「サマヴァーヤ」という切り離せない関係性によって結びついていることを知る「統合の視点」です。

縁側から見える石ころ一つ、庭の草木一本も、ヴァイシェーシカの哲学者にとっては、原子の集合体であり、属性の宿る実体であり、普遍性と特殊性の具体例でした。日常のありふれた風景の中に、宇宙を貫く壮大な論理と秩序を見出す。それは、ヨガの実践において、自身の呼吸や身体の微細な感覚に意識を向け、そこに宇宙との繋がりを見出す営みと、どこか響き合うものがあるのではないでしょうか。

ヴァイシェーシカの知の旅は、私たちが当たり前だと思っているこの世界の成り立ちを、改めて深く問い直すきっかけを与えてくれます。そしてその問いの先に、自己とは何か、生きるとは何かという、より根源的な問いへの扉が開かれているのです。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。