インド哲学の歴史:思考の河、その源流から大海へ

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インド哲学の歴史を辿る旅は、壮大な河の流れを遡り、その源流へと向かう冒険に似ています。最初に見えるのは、様々な支流が合わさって豊かに広がる現代のヒンドゥー教や仏教という大河です。しかし、その流れを注意深く遡っていくと、論理の激流が渦巻く中世の渓谷や、物語が豊かに語られる広大な平原、そしてすべてが始まった霧深い高地の源泉へとたどり着くでしょう。

この歴史の旅は、単なる年表の暗記ではありません。それぞれの思想が、どのような時代の空気の中で、どのような問いに応える形で生まれてきたのか。その誕生の瞬間に立ち会い、思想家たちの息遣いを感じることです。それは、まるで縁側に座って、目の前に広がる庭の木々が、目には見えない風に揺れているのを静かに観察するような行為と言えるかもしれません。一本一本の木(個別の思想)が、風(時代背景)や大地(先行思想)と分かちがたく結びついていることに気づく。その気づきこそが、哲学を血肉あるものとして理解する鍵なのです。

なぜ、私たちは過去の思想家たちが格闘した「知の航海図」を紐解く必要があるのでしょうか。それは、彼らの問いが、驚くほど現代に生きる私たちの問いと響き合っているからです。「私とは何か」「世界はどのように成り立っているのか」「いかにしてよく生きるべきか」。これらの根源的な問いに対する彼らの真摯な探求は、情報過多で自らを見失いがちな現代社会において、羅針盤のような役割を果たしてくれます。さあ、時間という河を遡る旅に出かけましょう。

 

ヴェーダ期:神々と交感する宇宙の夜明け(紀元前1500年頃~紀元前500年頃)

私たちの旅は、今から三千年以上前の古代インド、アーリヤ人と呼ばれる人々が中央アジアからインド亜大陸北西部に移住してきた時代から始まります。彼らがもたらした文化と、先住のドラヴィダ系民族などの文化が混じり合う中で、インド哲学の最も古い層である「ヴェーダ」の思想が形成されました。

「ヴェーダ(Veda)」とは、サンスクリット語で「知識」や「知恵」を意味する言葉です。しかし、それは単に人間が書き記した書物ではありません。ヴェーダは「シュルティ(śruti)」、すなわち「聞かれたもの」とされ、太古のリシ(ṛṣi)と呼ばれる聖仙たちが、深い瞑想状態の中で宇宙そのものから直接聞き取った「聖なる響き」だと信じられています。それは、作曲家がメロディーを「天から降ってきた」と表現するのに似ていますが、リシたちにとってそれは比喩ではなく、宇宙の真理そのものでした。

この時代の中心となる聖典群が、四つのヴェーダです。

  • 『リグ・ヴェーダ(Ṛgveda)』:最も古く、最も重要なヴェーダ。神々への讃歌が集められており、当時の人々の世界観や自然観が生き生きと描かれています。

  • 『サーマ・ヴェーダ(Sāmaveda)』:『リグ・ヴェーダ』の讃歌に美しい旋律をつけた歌集。祭祀で詠唱されました。

  • 『ヤジュル・ヴェーダ(Yajurveda)』:祭祀の際に唱えられる祭詞や散文形式の祈りが収められています。儀式のマニュアルのような役割を果たしました。

  • 『アタルヴァ・ヴェーダ(Atharvaveda)』:病気の治癒や魔除け、商売繁盛などのための呪文や祈りが多く含まれ、民衆の日常的な願いが反映されています。

ヴェーダに登場する神々は、アグニ(Agni, 火)、インドラ(Indra, 雷帝)、ヴァルナ(Varuṇa, 天空神)、スーリヤ(Sūrya, 太陽)など、その多くが自然現象や自然の力を神格化したものです。彼らは、自然の猛威に対する畏れと、その恵みに対する感謝の対象でした。当時の人々にとって、世界は神々の力強い活動に満ちた、神秘的で生命力あふれる舞台だったのです。

このヴェーダ思想の根底には、「リタ(ṛta)」という極めて重要な概念が流れています。リタとは、太陽が昇り、月が満ち欠けし、季節が巡るという自然界の秩序、宇宙全体を貫く法則性、そして人間社会における道徳的な規範をも含む、普遍的な「天則」や「理法」を指します。このリタが乱れると、宇宙に混乱が生じると考えられていました。

そして、この宇宙の秩序(リタ)を維持し、神々との良好な関係を保つための具体的なテクノロジーが、「ヤジュニャ(yajña)」と呼ばれる祭祀儀礼でした。人々は火を焚き、供物を捧げ、讃歌を詠唱することで、神々を喜ばせ、世界の調和を保とうとしたのです。ヤジュニャは単なる迷信的な行為ではなく、人間が宇宙の運営に能動的に参加し、その秩序維持に貢献するための、極めて重要で創造的な営みと見なされていました。

 

ウパニシャッド期:内なる宇宙への旅(紀元前800年頃~紀元前500年頃)

ヴェーダ時代が数百年続くと、インド社会にも変化が訪れます。農業生産が安定し、鉄器の使用が広まり、都市国家が形成され始めました。社会が複雑化し、人々の生活に余裕が生まれると、一部の人々はヴェーダの儀式万能主義に疑問を抱き始めます。「本当に供物を天に捧げるだけで、世界の真理に到達できるのだろうか?」と。

このような思索の気運の中から、ヴェーダ哲学の新たな潮流、「ウパニシャッド(Upaniṣad)」が生まれます。ウパニシャッドとは、「(師の)近くに(upa)、座る(ni-ṣad)」という意味の言葉です。その名の通り、森の中で師匠と弟子が膝を突き合わせ、対話を通して宇宙と自己の深遠な秘密を探求する、密儀的な哲学の営みを象徴しています。それは、公開された儀式ではなく、身体的な近さの中で受け渡される「秘教」でした。ここには、真の知恵とは書物から学ぶだけでなく、人格的な触れ合いの中で、身体を通して感得されるものであるという、インド的な知のあり方が示されています。

ウパニシャッドの哲人たちが到達した核心的な思想、それがインド哲学の最高峰とも言われる「梵我一如(brahma-ātma-aikya)」です。この壮大な思想を理解するために、二つの重要な概念を見ていきましょう。

  • ブラフマン(Brahman, 梵):ヴェーダの神々を超えた、宇宙の根本原理であり、究極の実在です。それは人格的な神ではなく、世界のあらゆるものを生み出し、支え、そして最終的にすべてが帰っていく、非人格的で、言葉では表現し尽くせない超越的な「それ」です。ブラフマンは、時間、空間、因果関係を超えた、万物の源泉であり、本質そのものです。

  • アートマン(Ātman, 我):私たち一人ひとりの中にある、個人の本質的な自己、真我のことです。それは肉体や、移ろいやすい心、感情、思考といった表面的な自己(自我)の奥深くに存在する、不変で永遠の「魂」です。

そしてウパニシャッドの聖仙たちは、驚くべき結論に達します。宇宙の究極原理であるブラフマンと、個人の本質であるアートマンは、本質において同一である(梵我一如)、と。有名な『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』の塩水の比喩は、このことを見事に示しています。師は弟子に、水に塩を溶かし、その水の上、真ん中、底を舐めさせます。どこを舐めても塩辛いことを確認させた後、師は言います。「お前はその塩を見ることができない。だが、それは確かにここに存在している。それと同じように、この身体の中に真実在(アートマン)はある。それこそが真理であり、それこそがアートマンであり、お前はそれなのだ」と。

この「梵我一如」の思想と並行して、ウパニシャッド期にはインド思想を特徴づけるもう一つの重要な世界観が確立されました。それが「輪廻(saṃsāra)」と「業(karma)」の思想です。

  • 輪廻(サンサーラ):生命は死んで終わりではなく、アートマンは新たな肉体を得て、何度もこの世に生まれ変わり続けるという考え方です。この生死のサイクルは、人間だけでなく、動物や神々、さらには地獄の衆生までをも含む壮大な循環として描かれます。

  • 業(カルマ):サンスクリット語で「行為」を意味します。人が行うあらゆる行為(身体的、言語的、精神的なものすべて)には、必ず結果が伴うという因果応報の法則です。善い行いは善い結果(来世での幸福)を、悪い行いは悪い結果(来世での不幸)をもたらし、その蓄積された業が、次の生でどのような存在として生まれるかを決定すると考えられました。

この輪廻と業の思想は、人生における幸・不幸や境遇の違いを説明する論理として、インド社会に広く受け入れられていきました。しかし同時に、この終わりなき生と死のサイクルは、一種の「苦しみ」の連鎖とも見なされました。そこで、ウパニシャッドの哲人たちの究極の目標は、「解脱(mokṣa, モークシャ)」となります。モークシャとは、この輪廻のサイクルから完全に解放され、二度と生まれ変わることのない永遠の平安の境地に至ることです。そして、その解脱を可能にする唯一の方法が、「梵我一如」の真理を、単なる知識としてではなく、自己の存在の全体で悟ることだとされたのです。

 

叙事詩期:物語られる哲学(紀元前400年頃~紀元後400年頃)

ウパニシャッドの深遠な哲学は、主に修行者や思索家の間で探求されました。しかし、その教えがより広く民衆に浸透していくためには、新たな媒体が必要でした。その役割を果たしたのが、インドの二大叙事詩『マハーバーラタ(Mahābhārata)』と『ラーマーヤナ(Rāmāyaṇa)』です。

これらの叙事詩は、単なる英雄譚や神話の集大成ではありません。それは、人々の具体的な生き方の指針となる「ダルマ(dharma)」を、登場人物たちの葛藤や行動を通して物語る、壮大なケーススタディ集なのです。

ダルマとは、ヴェーда時代の「リタ」の概念から発展したもので、個人や社会が従うべき「法」「義務」「正義」「倫理」などを包括する極めて多義的な言葉です。王には王のダルマが、戦士には戦士のダルマが、父親には父親のダルマがあります。叙事詩は、人生の様々な局面において、人は自らのダルマをいかにして見出し、遂行すべきかという問いを投げかけます。

特に、世界最長の叙事詩である『マハーバーラタ』は、パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子の間の王位継承を巡る壮絶な戦いを描いていますが、その中には哲学、宗教、政治、倫理に関する膨大な教えが含まれています。

この『マハーバーラタ』の一部でありながら、独立した聖典としても絶大な影響力を持つのが、『バガヴァッド・ギーター(Bhagavad-gītā)』、すなわち「神の歌」です。これは、パーンダヴァ軍の英雄アルジュナが、親族や師と戦うことに苦悩し、戦意を喪失した際に、彼の御者として付き添っていたクリシュナ神(ヴィシュヌ神の化身)が、彼を諭し、宇宙の真理と行為の道を説くという対話形式の物語です。この聖典は、ウパニシャッドの難解な哲学を、より実践的でアクセスしやすい形で示し、後のヒンドゥー教の思想に決定的な影響を与えました。

 

六派哲学の時代:知の饗宴(紀元前後~中世)

ウパニシャッドの思索と、仏教やジャイナ教といった新たな宗教の挑戦を受け、インド思想界は活気に満ちた論争の時代へと突入します。様々な思想家たちが自らの学派を立ち上げ、互いに論駁し、影響を与え合いながら、その哲学体系を極めて精緻なものへと発展させていきました。このうち、ヴェーダの権威を認める「アースティカ(āstika, 正統派)」の六つの学派を総称して、「六派哲学(ṣaḍ-darśana)」と呼びます。

これら六派は、しばしば二つ一組で論じられます。

  1. サーンキヤ(Sāṃkhya)学派ヨーガ(Yoga)学派

    • サーンキヤは、世界を「プルシャ(Puruṣa, 純粋精神)」と「プラクリティ(Prakṛti, 根源的物質)」という、完全に独立した二つの原理からなると考える、徹底した二元論です。プルシャは意識そのものであり、変化せず、行為の主体ではありません。一方、プラクリティは、心や感覚器官、身体、そして世界の森羅万象すべてを展開させる可能性を秘めた、活動的な物質原理です。私たちの苦しみは、本来は傍観者であるプルシャが、プラクリティの展開(心の働きや身体の変化)を「自分のものである」と誤って自己同一視することから生じると分析しました。解脱とは、この混同を断ち切り、プルシャが自らの純粋なあり方を取り戻すことです。

    • ヨーガは、このサーンキヤ学派の理論を実践的な方法論へと体系化したものです。聖者パタンジャリが編纂したとされる『ヨーガ・スートラ(Yoga Sūtra)』は、ヨーガを「心の作用を止滅すること(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」と定義し、そのための八段階の修行法(アーサナ、プラーナーヤーマ、瞑想など)を具体的に示しました。サーンキヤが「なぜ苦しむのか」を理論的に解明したとすれば、ヨーガは「ではどうすれば苦しみから逃れられるのか」という実践的な処方箋を提供したのです。

  2. ニヤーヤ(Nyāya)学派ヴァイシェーシカ(Vaiśeṣika)学派

    • ニヤーヤは、論理学と認識論を探求した学派です。論争の時代において、いかにして正しい知識(プラマーナ)を獲得し、誤った主張を論破するかは死活問題でした。彼らは、直接知覚、推論、類比、信頼できる証言という四つの正しい認識手段を確立し、論証のための厳密な形式(五分作法)を整えました。

    • ヴァイシェーシカは、世界の構成要素を分析する自然哲学、原子論の学派です。彼らは、世界は地・水・火・風の四種類の原子(パラマーヌ)の結合によって作られていると考え、実体、属性、運動など、世界を構成するカテゴリー(パダールタ)を分析しました。ニヤーヤが認識の「方法」を探求したのに対し、ヴァイシェーシカは認識の「対象」である世界そのものを分析したと言えるでしょう。

  3. ミーマーンサー(Mīmāṃsā)学派ヴェーダーンタ(Vedānta)学派

    • ミーマーンサーは、ヴェーダの解釈学、特にヴェーダの中で儀礼(ヤジュニャ)を規定した部分の解釈を専門としました。彼らは、ウパニシャッドの内面主義的な思索や、仏教のヴェーダ批判に対抗し、ヴェーダに書かれた儀礼を正しく遂行することこそが最高のダルマであり、それ自体が天界での幸福などの良い結果をもたらすと主張しました。

    • ヴェーダーンタは、「ヴェーダの終極」を意味し、ウパニシャッドの哲学を継承・発展させた学派です。梵我一如の思想を中核に据え、ブラフマンとは何か、世界と個人の関係はどうなっているのかといった形而上学的な問いを深く探求しました。このヴェーダーンタ学派は、後にシャンカラの不二一元論、ラマーヌジャの限定不二一元論、マドヴァの二元論など、様々な解釈を生み出し、中世以降のインド思想の主流となっていきます。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。