部派仏教の展開 – ブッダの死後 –

偉大な師、ブッダがこの世を去られた後、その教えは突然の岐路に立たされました。ブッダが説かれた「法(ダルマ)」は、生きた言葉として弟子たちの心に響き、それぞれが自らの体験を通してその真理を体得しようと努めていました。しかし、師という絶対的な拠り所を失った時、弟子たちはブッダの言葉をどのように後世に伝え、その教えの核心をいかに守り抜いていくのか、という大きな課題に直面することになったのです。

この時代の仏教の展開は、人間の理解というものの多様性、そして一つの真理が多くの人々に受け継がれていく過程で避けられない解釈の違いというものを、ありありと私たちに見せつけます。本日は、ブッダの入滅後に仏教がたどった道、特に「部派仏教(ぶはぶっきょう)」と呼ばれる時代に焦点を当て、なぜ仏教は多くのグループに分かれていったのか、そしてそこでどのような教えの深化が図られたのかを探っていきましょう。それは、単なる歴史の出来事としてではなく、教えを真に理解し、実践しようとする人間の真摯な営みの軌跡として、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

 

教えの結集 – 失われた言葉を求めて

ブッダの入滅後、弟子たちが最初に行った重要な事業が「結集(けつじゅう)」です。これは、文字通り弟子たちが一堂に会し、ブッダが生涯で説かれた教えと定められた戒律を、記憶に基づいて確認し、編集する作業でした。師の肉体は失われましたが、その言葉と精神を後世に正しく伝えることが、残された弟子たちの最優先課題だったのです。

最初の結集は、ブッダ入滅直後、マガダ国の都ラージャグリハ(王舎城)郊外の七葉窟で行われたと伝えられています。これを「第一結集」と呼びます。中心となったのは、ブッダの十大弟子の中でも特に智慧に優れたマハーカッサパでした。彼は議長となり、記憶力の優れた阿難(アーナンダ)がブッダの説法(経)を、戒律の遵守に長けた優波離(ウパーリ)が戒律(律)を、それぞれ皆の前で誦え(しょうえ)、参加者全員でそれがブッダの正しい教えであるかを確認しました。このようにして、ブッダの教えは「経蔵(スッタ・ピタカ)」として、戒律は「律蔵(ヴィナヤ・ピタカ)」として、口頭で受け継がれていくための基盤が作られました。これは、まだ文字として記録される前の、口伝による仏典編纂の始まりでした。

しかし、時が経つにつれて、様々な問題が生じてきました。ブッダが定めた戒律の運用方法や、特定の教えの解釈を巡って、弟子たちの間で意見の相違が現れ始めたのです。特に、戒律に関しては、厳格に守るべきか、あるいは時代や場所に合わせて柔軟に解釈しても良いのか、といった点で意見が分かれました。

二度目の大きな結集である「第二結集」は、ブッダ入滅から約百年後、ヴァイシャーリーで行われたと伝えられています。ここでは、ヴァッジ族出身の比丘(僧侶)たちが示した「十事」(例:正午を過ぎても食物を摂ること、金銀を受け取ることなど)が、ブッダの定めた戒律に反するか否かを巡って激しい議論が交わされました。これを巡って、保守的な立場を取る比丘たちと、より自由な立場を取る比丘たちの間で対立が深まります。

この第二結集での対立が、仏教教団が最初の大分裂を迎える契機となったと考えられています。

 

根本分裂と枝末分裂 – 多様化の始まり

第二結集での戒律を巡る対立は、単なる表面的な問題ではなく、教えの理解や僧伽(サンガ:教団)のあり方に関する根本的な考え方の違いを反映していました。この対立が最終的に、仏教史上最初の大きな分裂である「根本分裂(こんぽんぶんれつ)」へと繋がります。

分裂によって生まれた主要な二つのグループが、「上座部(じょうざぶ、テーラワーダ)」と「大衆部(だいしゅぶ、マハーサンギカ)」です。

  • 上座部(テーラワーダ): これは「長老たちの教え」を意味し、ブッダの直弟子の中でも古参で権威のある長老たちの伝統や解釈を重んじる立場でした。彼らは、第一結集で確立された経典や戒律を厳格に守り、ブッダの教えを忠実に継承しようとしました。修行においては、個人的な解脱(アルハット、阿羅漢になること)を目標とし、自らの力で煩悩を断ち切る道を重視しました。この上座部の伝統は、後にスリランカを経てミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアといった東南アジアに伝わり、「南伝仏教」として現代の上座部仏教へと繋がっています。彼らはパーリ語で伝えられた仏典(パーリ語三蔵)を正典としています。

  • 大衆部(マハーサンギカ): これは「大衆の集まり」を意味し、より多くの比丘や在家者を含んだ、より柔軟な立場を取ったグループです。彼らは、一部の戒律の運用を巡って上座部と対立しましたが、それ以上に、教義の解釈においても新しい視点を持つようになりました。例えば、ブッダ観においては、歴史上の人物としてのブッダだけでなく、宇宙的な存在としてのブッダ(報身仏、法身仏の萌芽)を強調したり、修行においては、個人的な解脱を目指すアルハットよりも、全ての人々を救済しようと願う「菩薩(ぼさつ)」の理想を重視したりする考え方が芽生えました。このような新しい思想は、後に大乗仏教へと発展していく源流の一つになったと考えられています。

根本分裂の後、さらに様々な要因(地理的な隔たり、特定の教師のカリスマ、戒律や教義の解釈におけるさらなる意見の相違など)によって、これらのグループから細かく枝分かれが進んでいきました。これを「枝末分裂(しまつぶんれつ)」と呼びます。最盛期には、インド各地に18部派、あるいは20部派以上ものグループが存在したと言われています。これらが「部派仏教」と呼ばれる時代を形成しました。

なぜ、このように多くの部派が生まれたのでしょうか?それは、ブッダの教えがそれだけ多様な側面を持ち、また人間の理解の仕方や重点を置く点が一人ひとり異なることの表れだと言えるでしょう。ある比丘は戒律の厳密な遵守にこそ仏道の要を見出し、ある比丘は深い瞑想による心の探求に真理を見出し、またある比丘は教えの論理的な分析に悟りへの道を見出したのかもしれません。加えて、当時のインド社会の多様性、地域ごとの文化や言語の違いなども、部派の分化を促す要因となった可能性があります。これは、まるで一つの大きな木から様々な枝が伸び、それぞれが異なる方向へと葉を広げていくようなものです。その多様性の中にこそ、仏教という教えの豊かさ、そして人間の探求心の深さを見ることができるのではないでしょうか。

 

阿毘達磨(アビダルマ)の成立 – 教えの体系化と哲学化

部派仏教の時代は、単に教団が分裂しただけではなく、仏教の教えが学問的に深く掘り下げられ、体系化された時代でもありました。各部派は、自らの教えの正当性を示し、深めるために、ブッダの説いた経(スッタ)や定めた律(ヴィナヤ)に基づいて、教えを論理的に分析・分類し、詳細な解釈を加える作業を進めました。この成果が、「阿毘達磨(アビダルマ)」と呼ばれる論書群です。

「阿毘達磨」とは、サンスクリット語で「法(ダルマ)に対するもの」「法についての優れたもの」といった意味を持ちます。これは、ブッダが説いた「法」を、より精密に、より体系的に理解しようとする試みでした。経蔵と律蔵に加えて、この阿毘達磨は「論蔵(アビダルマ・ピタカ)」として、仏教の「三蔵」を構成する重要な要素となりました。

阿毘達磨の研究は、主に以下のような点に焦点を当てて進められました。

  • 法の分析: 全ての存在や現象を、究極的な構成要素である「法(ダルマ)」に分解し、その性質や働きを詳細に分析しました。例えば、私たちの心や物質は、それぞれ独立した多くの「法」が集まって成り立っていると考え、それらの「法」の種類や性質を分類し、定義しました。

  • 心の働き: 心(チッタ)や、心と共に働く様々な精神作用(チャイッタ)を心理学的に深く分析しました。喜び、悲しみ、怒り、慈悲、智慧といった様々な心の状態や、それらがどのように生じ、どのように変化していくのかを detailed に(詳細に)探求しました。これは、苦しみの原因である煩悩を理解し、それを滅尽するための実践と深く結びついていました。

  • 縁起と業: 縁起の法則や業のメカニズムを、より精密な論理体系として構築しました。特に、説一切有部(せついっさいうぶ)という有力な部派は、「三世実有(さんぜじつう)」という考え方を主張しました。これは、過去、現在、未来の全ての「法」が実体として存在するという考え方で、業の結果が未来に現れるメカニズムを説明しようとしたものです。

  • 悟りへの道筋: 悟り(涅槃)に至るための修行の段階や、アルハットが到達する心の状態などを詳細に分析・体系化しました。

部派仏教における阿毘達磨の研究は、仏教を単なる信仰や倫理規範としてだけでなく、高度な哲学体系、心理学、認識論としても発展させました。それは、教えをより深く、論理的に理解しようとする人間の強い探求心の表れであり、後の時代の仏教思想に計り知れない影響を与えました。有名な仏教論書であるヴァスバンドゥ(世親)の『アビダルマ倶舎論』は、説一切有部の阿毘達磨をまとめたものであり、中国や日本を含む東アジア仏教において、仏教教理の基礎として長く学ばれました。

しかし、この阿毘達磨の研究には、ある種の限界もありました。あまりにも「法」を実体視し、固定的なものとして分析することに終始したため、ブッダが説いた「諸法無我」「空」といった、あらゆるものが固定的な実体を持たないという根本的な真理から離れていってしまったという批判も生じました。この批判が、次に起こる仏教の大きな流れ、大乗仏教の出現へと繋がっていきます。

 

部派仏教の広がりと現代への繋がり

部派仏教の時代は、仏教がインド国内だけでなく、周辺地域へと伝播していく時代でもありました。特に、インドのアショーカ王の時代には、仏教の布教が積極的に行われ、スリランカに仏教が伝えられました。ここで確立された上座部の仏教は、長い歴史の中で独自の発展を遂げ、今日のスリランカや東南アジア諸国の仏教(テーラワーダ仏教)の直接の祖先となります。彼らはパーリ語の三蔵を厳格に守り、アルハットを目指す修行を中心とした伝統を今日まで守り続けています。

一方、インド北西部を中心に栄えた部派の教えは、シルクロードを通って中央アジア、そして中国へと伝わりました。これらの地域では、後に興る大乗仏教が主流となりますが、部派仏教、特に説一切有部の阿毘達磨は、大乗仏教の学問的な基盤として重要視され、多くの論書が漢訳され、研究されました。日本の仏教においても、奈良時代の南都六宗の一つである倶舎宗(くしゃしゅう)は、この『アビダルマ倶舎論』を研究する宗派でした。

このように、部派仏教は、単なる過去の歴史上の出来事ではなく、現代の仏教に直接的、間接的に繋がる重要な時代であったと言えます。南伝仏教としてブッダの原始的な教えと戒律を現代に伝え、北伝仏教においてはその学問的な成果が後の大乗仏教の展開に不可欠な土台となったのです。

 

部派仏教が私たちに教えてくれること

部派仏教の時代は、仏教が「教え」として成熟し、多様な解釈の可能性を開いた時代でした。それは、偉大な師の言葉を、その本質を失うことなく、いかに多くの人々に、そして後の時代に伝えていくかという、教団として、あるいは人間の知性としての真摯な挑戦でした。分裂は一見ネガティブな出来事に見えるかもしれませんが、それぞれの部派が独自の視点から教えを深く探求したことは、仏教思想全体の豊かな発展に繋がりました。阿毘達磨という体系的な研究は、人間の心や存在のメカニズムを分析する、仏教独自の深遠な心理学、哲学、認識論を生み出したのです。

現代の私たちは、インターネットの普及により、世界中の様々な仏教の伝統や解釈に触れる機会を得ています。部派仏教の歴史を知ることは、なぜ仏教の中に様々な宗派や考え方が存在するのかを理解するための重要な手がかりとなります。それは、異なる解釈や伝統を単に「違う」と否定するのではなく、それぞれがブッダの教えの異なる側面を捉え、それを深めようとした人間の営みであることを理解し、尊重することの重要性を教えてくれるのではないでしょうか。私たち一人ひとりの仏教に対する理解もまた、それぞれの経験や視点によって異なる「部派」のようなものかもしれません。その多様性を認め、互いに学び合う姿勢こそが、現代において仏教の智慧を深めていく上で大切なことのように思われます。

ブッダの入滅後、その教えは弟子たちの手によって守られ、伝えられ、そして多様な形で展開していきました。この部派仏教の時代は、その後の仏教の歴史において、まさに揺籃期であり、学問的なが築かれた時代でした。そして、この時代の多様な探求の中から、やがて仏教はさらなる大きな変革期を迎えることになります。

次の記事では、部派仏教の展開の中で芽生え、やがて仏教の新たな潮流となった「大乗仏教」の出現に焦点を当てていきます。全ての存在の救済を目指す「菩薩」の理想や、「空」という深遠な思想は、どのようにして生まれ、人々の心に響いていったのでしょうか。仏教思想史における最もドラマチックな展開の一つを、共に探求していきましょう。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。