人にご馳走することはありますか?
それとも、割り勘派でしょうか。
あるいは、奢ってもらうのが好きでしょうか。
今日は「ご馳走する」という行為について、少し深く掘り下げてみたいと思います。
単なるマナーや処世術の話ではありません。
これは、お金というエネルギーをどう循環させるか、そして自分自身の器(うつわ)をどう広げていくかという、ヨガ的な実践のお話でもあります。
もくじ.
「もったいない」と感じる心の正体
誰かに食事をご馳走するとき、一瞬でも「もったいないな」という気持ちがよぎることはあるでしょうか。
それはとても自然な反応です。
私たちは資本主義社会の中で、「自分の資産を守る」「損をしない」ことが賢い生き方だと教えられてきました。
自分のお財布からお金が出ていくことは、自分のパワーが減ることだと錯覚しているのです。
しかし、この「損をしたくない」「減らしたくない」というマインドセット(心の持ちよう)こそが、実は私たちの人生を小さく、窮屈にしている正体かもしれません。
ヨガ哲学には「アパリグラハ(不貪)」という教えがありますが、これは執着を手放すことです。
お金への執着は、最も強力なブロックの一つです。
「出したくない」と握りしめている手には、新しいものは何も入ってきません。
手放した(リリースした)瞬間に、新しい空気が入ってくるのです。
ご馳走とは「エネルギーの先出し」である
「ご馳走する」という言葉の語源をご存知でしょうか。
「馳走」とは、客人のために馬を走らせて食材を集め、奔走すること。
つまり、相手のために労力をかけ、エネルギーを注ぐことです。
スピリチュアルな視点、あるいは宇宙の法則的な視点で言えば、この世界はすべてエネルギーの循環で成り立っています。
お金もエネルギーの一形態に過ぎません。
誰かにご馳走するということは、自分から先にエネルギーを出す(アウトプットする)ということです。
呼吸と同じです。
たくさん吸いたければ、まず先にすべてを吐き出さなければなりません。
豊かさを受け取りたければ、まず先に豊かさを与えること。
これが「先出しの法則」です。
ご馳走したその瞬間は、確かにお財布の中身は減ります。
しかし、目に見えない次元では、あなたは相手に対して「信頼」や「喜び」、「感謝」というポジティブなエネルギーを貯金したことになります。
この宇宙銀行の貯金は、巡り巡って、忘れた頃に必ず利子をつけてあなたの元へ帰ってきます。
それは直接その人から返ってくるかもしれないし、全く別の予期せぬ仕事や幸運として返ってくるかもしれません。
(見返りを期待しすぎると「執着」になるので、あくまで「出したら忘れる」のがコツですが)
「ご馳走できる私」をインストールする
また、ご馳走するという行為は、自分自身に対する強力なアファメーション(自己肯定の宣言)にもなります。
レジで支払いを済ませるとき、あなたは無意識にこう宣言しているのです。
「私は、人に与えることができるほど豊かな人間だ」と。
逆に、「高いな…」「割り勘にしようかな…」と悩みながら渋々支払うとき、あなたは自分にこう言い聞かせています。
「私は、これくらいの出費で困ってしまうほど貧しい人間だ」と。
現実は、私たちが信じている通りに作られます。
もし、豊かな人生を歩みたいのであれば、まずは振る舞いから「豊かな人」になってしまうことです。
別に高級フレンチである必要はありません。
カフェのコーヒー一杯でもいいのです。
「ここは私が出すよ」と笑顔で言えるその余裕が、あなたのセルフイメージを書き換え、現実に余裕を引き寄せていきます。
相手の「受け取る練習」にもなる
一方で、ご馳走される側の視点も大切です。
誰かにご馳走してもらうとき、「申し訳ない」「悪いな」と恐縮してしまっていませんか?
実は、それは相手の「与える喜び」を奪ってしまう行為かもしれません。
ご馳走する人は、相手の喜ぶ顔が見たいのです。
「わあ、嬉しい!ごちそうさまです!」と満面の笑みで受け取ってくれることこそが、相手への最大のお返し(リターン)になります。
あなたが気持ちよく受け取ることは、相手の徳を積む行為を手伝っているとも言えます。
ご馳走することは「与える練習」、ご馳走されることは「受け取る練習」。
この美しい循環の中に、罪悪感は必要ありません。
誰にご馳走するか、という選球眼
もちろん、誰彼構わず散財すればいいというわけではありません。
自分の大切なエネルギー(お金)を使うのですから、そこには意識的であるべきです。
「この人と一緒にいると楽しい」「この人を応援したい」「この人から学びたい」
そう心から思える相手に使いましょう。
嫌われたくないから、見栄を張りたいから、という「恐れ」や「エゴ」からご馳走しても、そこには重たいエネルギーが乗ってしまいます。
純粋な「喜び(Joy)」からお金を使うこと。
「美味しいね」と共感し合える時間を共有すること。
その時間の質こそが、何よりの贅沢であり、人生の財産となります。
終わりに:スマートな循環の起点になる
現代社会は、どうしても「奪い合い」の競争に見えることがあります。
パイの奪い合い、利益の奪い合い。
しかし、一歩引いて見てみれば、世界は十分に豊かです。
誰かが先に「どうぞ」と差し出すことで、その場の空気がふっと緩み、温かい循環が生まれ始めます。
あなたも、その循環の起点(スターター)になってみませんか。
次に誰かと食事に行くときは、ほんの少しの勇気と遊び心を持って、「今日は私が」と言ってみてください。
その時、あなたの内側で何かがカチッと切り替わる音を、きっと聞くことができるはずです。
縁側でのお茶なら、いつでも私がご馳走しますので、気軽にお越しくださいね。
ではまた。


