ヨガのアサナを苦行にしないこと【ヨガは戦いではない】

YOGA&BODY-ヨガと身体

ヨガを推奨しております。
ですが、時々少し心配になることがあります。
スタジオで、あるいはSNSの画面越しに、まるで自分自身と戦うかのようにヨガをしている人を見かけるからです。
眉間に深い皺を寄せ、歯を食いしばり、呼吸を止めて、プルプルと震える身体を無理やりねじ曲げる。
「もっと深く」「もっと完璧に」「昨日の自分を超えなければ」
その姿は、修行僧というよりも、見えない敵と格闘する戦士のようです。

ハッキリと申し上げます。
それはヨガではありません。
少なくとも、ヨガが本来目指している「調和」や「結合」とは真逆の方向へ進んでしまっています。
アサナ(ポーズ)は、自分を痛めつけるための苦行(タパス)ではありません。
それは自分自身への「愛の練習」であり、身体という神殿に対する祈りのようなものであるはずです。

今日は、なぜ私たちがアサナを苦行にしてしまうのか、そしてどうすればそこから抜け出し、本当のヨガの喜び(アーナンダ)に触れることができるのかについて、少し深く、静かにお話ししてみたいと思います。

 

現代社会が持ち込む「達成」の病

なぜ、私たちはマットの上でさえ頑張ってしまうのでしょうか。
それは、私たちが生きている現代社会のシステム(OS)が、そのまま私たちの思考パターンになっているからです。

資本主義社会は「より多く」「より速く」「より高く」を善とします。
成長しなければならない。
結果を出さなければならない。
他人より優れていなければならない。
この「達成の病」に侵されたままヨガマットの上に立つと、アサナは単なる「攻略すべきタスク」に変わります。

「開脚ができるようになったらゴール」
「逆立ちができたら上級者」
「汗をかけばかくほどデトックス」

私たちは無意識のうちに、身体を「道具」として扱い、エゴという主人がその道具を酷使して、何か(柔軟性や美しい写真)を得ようとしてしまいます。
しかし、ヨガの聖典『ヨガ・スートラ』には、アサナの定義としてこう書かれています。
「スティラ・スカム・アーサナム」
アーサナとは、安定していて(スティラ)、快適な(スカム)姿勢であること。

「快適」なのです。苦痛ではありません。
もしあなたがポーズの中で痛みや苦しさを感じているなら、それはアサナではありません。ただの我慢大会です。
自分をいじめることを「努力」と勘違いしてはいけません。

 

「心地よさ」の中にしか、変化は生まれない

生理学的な観点から見ても、苦行のようなストレッチは逆効果です。
筋肉には「伸張反射」という機能があります。急激に伸ばされたり、痛みを感じたりすると、身体を守るために筋肉は逆にギュッと縮こまろうとします。
つまり、痛みを我慢して伸ばせば伸ばすほど、身体は硬くなっていくのです。

身体が変わるのは、「安心」した時だけです。
「ああ、ここは安全だ」「これ以上無理をさせられないんだ」と身体が(神経系が)理解した時、初めて筋肉はフッと緩み、関節は可動域を広げてくれます。
北風と太陽の寓話と同じです。
力づくでコートを脱がそうとしても(無理やり伸ばしても)、身体は頑なに抵抗します。
ポカポカとした太陽のような、優しい呼吸と眼差しを向けることで、身体は自然とほどけていくのです。

アサナの目的は、形の完成度ではありません。
その形の中で、どれだけ深くリラックスできるか。
どれだけ自分自身に対して優しくなれるか。
その「質」が問われているのです。

 

スピリチュアルな視点:身体との対話

少しスピリチュアルな視点でお話ししましょう。
あなたの身体は、あなたの魂が宿る「家」であり、今世を生きるための唯一無二の「パートナー」です。
そのパートナーの声を無視して、無理やり言うことを聞かせようとする関係性は、果たして健全と言えるでしょうか?

「もっと曲がれよ!」と命令するのは、独裁者(エゴ)の態度です。
「今日はここまでだね、教えてくれてありがとう」と耳を傾けるのが、ヨガの実践者(ヨギ)の態度です。

アサナの練習中、身体は常にあなたに話しかけています。
「ちょっと右膝が痛いよ」
「呼吸が浅くなってるよ」
「今日は疲れているから、もう少し休みたいよ」

その微細な声をキャッチし、「分かったよ」と応えてあげること。
ポーズを緩めたり、プロップス(補助具)を使ったりして、身体が喜ぶ位置を探してあげること。
この対話のプロセスそのものが、自己愛(セルフラブ)の実践です。

マットの上で自分の声を無視する癖がついている人は、マットの外でも自分の本音を無視してしまいます。
逆に、マットの上で自分の身体を丁寧に扱えるようになれば、日常生活でも自分の感情や直感を大切にできるようになります。
アサナを苦行にしないことは、人生を苦行にしないための練習なのです。

 

「できない自分」を許す勇気

アサナを苦行にしてしまうもう一つの原因は、「できない自分」を受け入れられない弱さです。
周りの人は綺麗にポーズをとっているのに、自分だけ膝が曲がっている。
それが恥ずかしいから、無理をしてしまう。
これは「プライド」という名の重荷です。

ヨガは、できない自分に出会うための旅でもあります。
身体が硬いこと、バランスが取れないこと、集中が続かないこと。
それらすべてを「ああ、今の私はこうなんだな」と、ジャッジせずにただ認めること。
それをヨガでは「サントーシャ(知足)」と言います。

完璧でなくていいのです。
不格好でもいいのです。
その不完全な自分のままで、今、ここに呼吸をして存在していることの奇跡を味わうこと。
それができたら、もうあなたは上級者です。
ポーズの完成度なんて、宇宙の視点から見れば、本当にどうでもいいこと(些末なこと)なのですから。

 

終わりに:アサナを祈りに変える

もし明日、マットの上に立つなら、戦うのをやめてみてください。
眉間の力を抜いて、口角を少し上げて(「内なる微笑み」と言います)、ただ呼吸の波に身を委ねてみてください。

ポーズをとるのではなく、ポーズが「起こる」のを待つ感覚で。
身体が伸びたがっている方向に、少しだけ手伝ってあげる感覚で。

すると、アサナは苦行ではなく、歓びになります。
エネルギー(プラーナ)が指先まで流れ、身体の内側から光が満ちてくるような感覚。
それはまるで、身体を使った祈りです。
世界への感謝と、生命への賛歌です。

ヨガは、あなたを苦しめるためにあるのではありません。
あなたを自由にするためにあるのです。
どうか、そのことを忘れないでください。
心地よい風が吹く縁側で、ただ座っているときのような穏やかさを、どんなポーズの中にも持ち運んでいけますように。

ではまた。


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。