ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが私たちに「失うことの美学」を教えてくれるからです。
前回の記事で、変化し続けるためには荷物を下ろす必要があるとお話ししました。
今日はその実践編として、さらに深く、具体的に「手ぶら」で生きることの凄みと、その先に待っている景色について語ってみたいと思います。
「何も持たないなんて、不安じゃないですか?」
そう聞かれることがあります。
将来への備え、確かな地位、揺るぎないアイデンティティ。
私たちはそれらを「鎧」として身につけることで、不確実な未来から身を守ろうとします。
しかし、本当にそうでしょうか。
重厚な鎧は、確かに矢からは身を守ってくれるかもしれませんが、同時にあなたの動きを鈍らせ、川に落ちればそのまま沈んでしまう原因にもなります。
激流のような現代社会において、最強の防御とは、何も身につけないことです。
何も持っていない人は、何も失うことがありません。
失う恐怖がない人は、誰よりも大胆に、自由に動くことができます。
今日は、この逆説的な「無敵の境地」へ、皆さんをご案内しましょう。
「わからない」という最強の武器
私たちは「わかる」ことを良しとします。
専門知識を持ち、世界の情勢を分析し、未来を予測できる人が賢いとされます。
しかし、ヨガの視点(あるいはソクラテスの視点でもありますが)では、「私は知らない(無知の知)」という状態こそが、最も知性が開かれた状態です。
知識は、過去のデータの集積です。
つまり、知識で判断するということは、過去の物差しで未来を測るということです。
これほど変化の激しい時代に、過去の物差しは役に立つでしょうか?
むしろ、「こうあるべきだ」「こうなるはずだ」という思い込みが、目の前の新しい現実(リアリティ)を見えなくさせてしまいます。
「わからない」と認めること。
自分を謎のままにしておくこと。
これは無責任な態度ではありません。
あらゆる先入観(プリセット)を捨てて、目の前の現象をありのままに観る、純粋な「観察者」になるということです。
赤ん坊のように世界を見るとき、私たちは毎日が発見と驚きに満ちた冒険になります。
「わからない」からこそ、私たちは柔軟に変化し、即興的にダンスを踊ることができるのです。
ペインボディ(過去の痛み)を手放す
私たちがなかなか手放せない荷物の中に、「ペインボディ」と呼ばれるものがあります。
これは、エックハルト・トールが提唱した概念で、過去の感情的な痛みの蓄積です。
「あの時、あんなことを言われた」「自分はいつも損をする役回りだ」
私たちは無意識のうちに、この古い痛みの物語を反芻し、それを自分の一部(アイデンティティ)として取り込んでしまいます。
なぜでしょうか?
それは、不幸な物語であっても、「自分は何者か」を定義してくれるからです。
「かわいそうな私」「苦労している私」という役柄を手放すと、自分が何者でもなくなってしまうような恐怖があるからです。
しかし、変化し続けるためには、この古い物語を終わらせなければなりません。
ペインボディが疼き出したとき(過去の怒りや悲しみが湧いてきたとき)、それに巻き込まれず、ただ気づいてください。
「ああ、これは過去のエネルギーだ。今の私ではない」と。
自分を被害者の座から降ろすのです。
被害者でいる限り、私たちは過去に縛られ続けます。
すべての物語を手放し、ただの「生命」に戻ったとき、私たちは初めて、過去という重力圏を脱出できます。
「死」を友として、今を生き切る
少し過激に聞こえるかもしれませんが、ヨガの修行者は常に「死」を意識しています。
「シャヴァーサナ(屍のポーズ)」は、その象徴的な練習です。
私たちは毎晩、小さな死(睡眠)を迎え、毎朝、新しく生まれ変わっています。
もし、今日が人生最後の日だとしたら、あなたは今抱えている悩みを、まだ持ち続けたいと思うでしょうか?
上司の評価、SNSのいいねの数、老後の資金の心配。
死という絶対的な平等を前にしたとき、それらの「過剰な重要性」は一瞬にして消え去ります。
残るのは、「今、この瞬間をどう味わうか」というシンプルな問いだけです。
「あと1年で死ぬと思って生きる」あるいは「今年で死ぬと思ってやり切る」。
この覚悟は、投げやりな態度ではありません。
むしろ、一瞬一瞬を宝石のように大切に扱うための、究極のマインドセットです。
未来への不安(=時間の幻想)を消し去り、永遠の「今」に強烈なスポットライトを当てること。
そうして生きるとき、私たちは恐れを知らない、最強の別人格(ハイヤーセルフ)として、この世界を遊ぶことができます。
アナログな身体感覚への回帰
情報を減らし、思考を減らし、エゴを減らす。
そうして空いたスペースに何が入ってくるのか。
それは、瑞々しい「身体感覚」です。
スマホの画面を見る時間を減らし、風の感触、お茶の香り、筋肉の伸びる感覚、心臓の鼓動に意識を向けてみてください。
デジタルな情報は0と1の記号ですが、身体感覚は常に「生」のデータです。
変化に対応する直感は、頭ではなく、身体(丹田やお腹)からやってきます。
「なんとなく嫌な予感がする」「こっちの方がワクワクする」
この身体の声こそが、カオスの海を渡るための羅針盤です。
私たちが大切にしているのは、この「野生の勘」を取り戻すことです。
難しいポーズができることよりも、自分の身体の微細な変化に気づけることの方が、生きる上では遥かに重要だからです。
結論:空っぽの手で、未来と握手する
何も持たないことは、貧しさではありません。
それは、無限の可能性を受け入れるための準備(スペース)ができているということです。
両手が荷物で塞がっていたら、新しいチャンスが来ても掴むことができません。
誰かが手を差し伸べてくれても、握り返すことができません。
手ぶらで生きましょう。
過去の実績も、未来の保証も、自分を守るためのプライドも、一度地面に置いてみる。
そうして軽くなった心と身体で、今日という日に飛び込んでみる。
変化し続けることは、何かを目指して進むことではなく、余計なものを脱ぎ捨てて、本来の自分に還り続ける旅です。
その旅路は、きっとあなたが思っているよりも、ずっと気楽で、ずっと楽しいものです。
さあ、今日も縁側で、深呼吸から始めましょう。
そこにはもう、必要なものはすべて揃っていますから。
ではまた。



