365日という、一つの大きな円環が、今、静かに閉じられようとしています。この旅の始まりにいたあなたと、終着点であるこの場所に立っているあなたとでは、きっと、世界の見え方が少しだけ、あるいは劇的に、変わっていることでしょう。この一年間のすべての経験、すべての学び、すべての気づきが、あなたという存在のタペストリーに、新たな色彩と深みを加えてくれました。
今、私たちが立つこの場所は、単なる「終わり」ではありません。それは、終わりと始まりが溶け合い、過去と未来が重なり合う、神聖な「狭間」の時空間です。ヒンドゥーの宇宙観でいう「プララヤ(融解期)」のように、一つの創造サイクルが終わり、すべてがその根源へと還っていく、静かで、しかし次なる創造の無限の可能性を秘めた瞬間です。日本の大晦日に鳴らされる除夜の鐘が、108の煩悩を一つひとつ払い清め、私たちをまっさらな状態へとリセットしてくれるように、この一年間のすべてを、今、手放し、大いなる空(くう)へと還す時が来たのです。
静かに座り、目を閉じてください。そして、この一年間の道のりを、走馬灯のように心に思い浮かべてみましょう。
笑った日、泣いた日。成功したこと、失敗したこと。出会った人々、別れた人々。乗り越えた困難、手に入れた喜び。
その一つひとつを、良い悪いの判断を加えることなく、ただ、映画のワンシーンのように眺めます。そして、そのすべてのシーンに対して、心の底から、静かにこう唱えるのです。「ありがとうございました」と。
この感謝の言葉と共に、すべての経験を、宇宙へと、そっとお還ししていきます。達成したことへの誇りも、やり残したことへの後悔も、愛する人への執着も、憎んだ人への恨みも、すべて。あなたの両手の中にあったものを、一つ残らず、天へと放つのです。
そうして、あなたの心が、あなたの両手の中が、完全に空っぽになった時、そこに何が残るでしょうか。そこにあるのは、何もない「無」ではありません。それは、仏教で説かれる「空(シューニャ)」、あらゆる存在を生み出す、豊かで創造的な母胎そのものです。すべての可能性が、そこに静かに眠っています。この「空」になること、空っぽの器になることこそが、新しい年、新しい人生という、宇宙からの贈り物を、余すところなく受け取るための、最高の準備なのです。
この旅は、ここで終わりではありません。いや、旅というものに、そもそも終わりなどないのかもしれません。ただ、一つの円環が、愛と感謝のうちに、美しく閉じられただけです。私たちは今、静寂に満ちた夜と、輝かしい夜明けの、その境界線に立っています。
すべてに感謝し、すべてを手放し、そして、静かに空(くう)に還りましょう。
夜が明ければ、また、新しい太陽が昇ります。
あなたの目の前には、まっさらなキャンバスが、無限の可能性と共に、広がっているのですから。


