豊かさとは、静かに澱んだ池の水ではなく、絶えず流れ続ける清らかな川の流れのようなものです。もし川の水を堰き止め、自分のものとして溜め込もうとすれば、その水はやがて新鮮さを失い、淀み、腐敗してしまうでしょう。豊かさのエネルギーもまた、それと全く同じ性質を持っています。お金、才能、知識、愛、感謝。これらはすべて、溜め込むためにあるのではなく、世界と分かち合い、循環させるために私たちのもとを訪れる、宇宙からの預かりものなのです。
ヨガの哲学において、この循環の原理は、生命エネルギーである「プラーナ(Prāṇa)」の働きによく現れています。プラーナは、私たちの身体の内外を常に流動しています。その流れがスムーズである時、私たちは心身ともに健康で、活力に満ちています。しかし、流れがどこかで滞ると、そこに不調や病が生じます。豊かさもまた、一種のエネルギーです。それを自分のところで堰き止めてしまう「執着」や「恐れ」は、エネルギーの淀みを生み出し、結果としてさらなる豊かさが流れ込んでくるのを妨げてしまうのです。
この流れを促すための実践が、「アパリグラハ(不貪)」、すなわち執着しないこと、そして「カルマヨガ」、見返りを求めない行為です。アパリグラハは、今あるものに感謝しつつも、それに固執しない軽やかな心です。カルマヨガは、自分の行為の結果に対する執着を手放し、行為そのものを宇宙への奉仕として捧げる姿勢を指します。この二つの実践は、豊かさを「私個人の所有物」という小さな枠から解放し、「宇宙全体を流れる共有のエネルギー」という、より大きな視点へと私たちを導きます。
引き寄せの法則の観点から言えば、宇宙は真空を嫌う、と言われます。あなたが持っているものを惜しみなく手放し、分かち合う時、あなたの人生にはエネルギー的な「空きスペース」が生まれます。そして宇宙は、そのスペースを埋めるために、新しい、そしてしばしばより大きな豊かさを送り込んでくるのです。これは、「出す」から「入ってくる」という、宇宙の根源的な呼吸の法則です。与えること(吐く息)が先にあって、初めて受け取ること(吸う息)が可能になるのです。
私たちは、自分が「与える」ものがなくなってしまうことを恐れます。しかし、本当は、与えれば与えるほど、私たちの内なる泉からは、新しい水がこんこんと湧き出てくるのです。知識は、人に教えることで、より深く自分のものとなります。才能は、誰かのために使うことで、さらに磨かれます。愛は、分かち合うことで、無限に増幅していきます。
この豊かさの循環を、あなたの人生で意図的に創り出してみましょう。
まず、物理的なモノから始めるのが最も分かりやすいかもしれません。クローゼットを開けて、一年以上着ていない服はありませんか。本棚に、読み終えてもう開くことのない本はありませんか。それらを、必要としている友人にあげたり、寄付したり、あるいは感謝して手放したりすることで、あなたの生活空間とエネルギーフィールドに、新しい流れのためのスペースが生まれます。
お金に関しても、同じことが言えます。お金は、それ自体に価値があるのではなく、交換の媒体となるエネルギーです。それを恐怖から貯め込むのではなく、感謝して受け取り、そして自分や他者が喜ぶこと、社会がより良くなることに、喜びと共に使ってみましょう。喜んで支払われたお金は、ポジティブなエネルギーを帯びて世界を巡り、やがてあなたの元へと、より多くの仲間を連れて還ってくるでしょう。
あなたが持つ知識やスキルも、循環させるべき大切な豊かさです。ブログで情報を発信する、後輩に仕事を教える、友人からの相談に乗る。あなたが当たり前だと思っている知識や経験が、他の誰かにとっては喉から手が出るほど欲しいものであるかもしれません。
そして、最も簡単に、いつでもどこでも実践できるのが、感謝と賞賛の循環です。誰かの素敵なところを見つけたら、躊躇せずに言葉にして伝えてみましょう。「そのアイデア、素晴らしいね」「いつも助かっています、ありがとう」。あなたのポジティブな言葉は、相手の心を豊かにし、そのエネルギーは必ず何らかの形であなたに還ってきます。受け取った親切を、その相手に返すだけでなく、全く別の誰かに送る「ペイ・フォワード(恩送り)」も、循環を広げる美しい実践です。
豊かさの循環を創り出すとは、あなたが宇宙の豊かさの「終着点」ではなく、「中継点」になる、ということです。あなたというパイプを通して、宇宙の恵みを世界へと流していく。その時、あなたはもはや個人的な欠乏感に悩まされることはありません。なぜなら、あなたは無限の流れそのものと一体化しているからです。さあ、信頼して、その手を開いてみましょう。手放した分だけ、いや、それ以上の豊かさが、あなたの開かれた手の中に流れ込んでくることに、あなたは驚くことになるでしょう。


