35.アヴィディヤー(無明) – 全ての苦しみの根源を知る

自己啓発

もし、私たちの苦しみや悩みのすべてが、たった一つの根本的な「誤解」から生じているとしたら、あなたはどう思いますか。ヨガの聖賢パタンジャリは、『ヨーガ・スートラ』の中で、まさにそのように断言しています。その根本的な誤解こそが、「アヴィディヤー(Avidyā)」です。日本語では「無明」と訳され、文字通り「明るくないこと」「知らないこと」を意味します。これは、仏教においてもすべての苦悩(四苦八苦)の根源とされる、極めて重要な概念です。

アヴィディヤーとは、単に知識がない、物知りではない、ということではありません。それは、世界の真実の姿、そして自分自身の本質を「ありのままに見ていない」という、もっと根源的な認識の歪みを指します。パタンジャリは、このアヴィディヤーが具体的に何を指すのかを、明確に定義しています(ヨーガ・スートラ2章5節)。

それは、

  1. 非永続的なものを、永続的なものと見誤ること。

  2. 不浄なものを、清浄なものと見誤ること。

  3. 苦しみを、楽しみと見誤ること。

  4. 非我(アートマンでないもの)を、我(アートマン、真我)と見誤ること。

この四つの誤解こそが、アヴィディヤーの正体です。そして、このアヴィディヤーという肥沃な土壌から、アスミター(我執)、ラーガ(愛着)、ドヴェーシャ(嫌悪)、アビニヴェーシャ(死への恐怖)という、他の四つの苦悩の原因(クレーシャ)が芽生えてくるのです。アヴィディヤーは、いわば全ての苦しみの「親玉」なのです。

一つひとつを、私たちの日常に引き寄せて考えてみましょう。

1. 非永続的なものを、永続的なものと見誤る。

私たちは、若さ、健康、財産、地位、人間関係といった、絶えず変化し流転するもの(非永続的なもの)が、永遠に続くかのように錯覚し、それにしがみつきます。しかし、現実は非情です。若さは失われ、健康は衰え、財産は形を変え、愛する人との別れも訪れます。変化こそがこの世の唯一の常であるにもかかわらず、私たちはその真理に目を背け、変化に抵抗することで苦しみを生み出しているのです。

2. 不浄なものを、清浄なものと見誤る。

これは、特に身体への執着を指していると解釈されます。私たちの身体は、どれだけ美しく見えようとも、老廃物を排出し、やがては朽ちて土に還る、不浄な要素の集合体です。しかし、私たちはこの身体を究極的に清らかな「私」であると信じ込み、その外見に一喜一憂し、過剰に飾り立て、老いや病を極端に嫌悪します。身体は魂の神聖な乗り物ですが、身体そのものが魂なのではありません。この誤解が、容姿へのコンプレックスや、老いへの恐怖を生み出します。

3. 苦しみを、楽しみと見誤る。

感覚的な快楽は、一見すると「楽しみ」のように思えます。美味しいものを食べる、欲しいものを手に入れる、賞賛される。しかし、ヨガの賢者たちは、これらの快楽には常に「苦しみ」の種が内包されていると見抜きました。快楽は一瞬で過ぎ去り、さらなる刺激を求める渇望を生みます。そして、手に入れたものを失うことへの不安や、他者との比較による嫉妬など、新たな苦しみ(ドヴェーシャやラーガ)を引き起こすのです。私たちは、刹那的な刺激を本当の幸福(アーナンダ)と勘違いし、苦しみのサイクルを延々と回し続けています。

4. 非我を、我と見誤る。

これが、アヴィディヤーの核心です。前項「私は誰か?」でも触れたように、私たちは、本来の自分ではないもの――身体、思考、感情、役割、所有物といった「非我(アートマンでないもの)」――を、「本当の私(我、アートマン)」であると固く信じ込んでいます。この壮大な勘違いこそが、他のすべての誤解を生み出す根本原因なのです。

さて、このアヴィディヤーの概念は、「引き寄せの法則」を実践する上で、私たちに極めて重要な示唆を与えてくれます。もし私たちがアヴィディヤーという色のついた眼鏡をかけたまま世界を見ているとしたら、私たちの「願い」そのものが、この誤解に基づいたものになってしまうでしょう。

「永遠の若さが欲しい」と願うのは、非永続的なものを永続的と見誤るアヴィディヤーです。

「もっとお金があれば幸せになれるのに」と願うのは、苦しみを楽しみと見誤るアヴィディヤーかもしれません。

「あの人のようになりたい」と願うのは、非我を我と見誤るアヴィディヤーから生じる比較の苦しみです。

アヴィディヤーの状態から発せられた願いは、たとえ叶ったとしても、真の幸福や平安をもたらしません。むしろ、新たな執着や不安を生み出し、私たちをさらに苦しみの迷宮へと誘うのです。それは、間違った地図を頼りに宝探しをするようなものです。いくら努力しても、目的地にはたどり着けません。

では、どうすればこの無明の闇から抜け出せるのでしょうか。パタンジャリは、そのための光として「ヴィヴェーカ(識別知)」を提示します。識別知とは、永続的なものと非永続的なもの、我と非我を、明確に見分ける智慧のことです。そして、この智慧は、ヨガの八支則(アシュタンガ・ヨガ)の実践によって磨かれる、と説きます。アーサナを通して身体の非永恒性を学び、プラーナーヤーマでエネルギーの流れを感じ、瞑想によって思考と自己を分離する。これらすべての稽古が、アヴィディヤーの眼鏡を外し、世界をありのままに見るためのトレーニングなのです。

引き寄せの法則を本当に自分の人生に活かしたいと願うなら、まず取り組むべきは、自分の内なるアヴィディヤーに気づくことです。自分が何を「当たり前」だと信じ込んでいるのか。どんな「誤解」に基づいて世界を見ているのか。この自己探求こそが、あなたの願いを純化し、真の豊かさへと繋がる唯一の道標となるでしょう。闇を知ることなしに、光を真に理解することはできないのですから。


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。