宇宙に存在するあらゆるエネルギーの中で、最もパワフルで、最も根源的であり、そして唯一、使っても決して減ることのないものがあります。それが「愛」です。私たちはしばしば、愛を誰か特定の個人に向けるロマンティックな感情や、家族に対する情愛といった、限定的なものとして捉えがちです。しかし、ヨガや世界の叡智が指し示す愛とは、そのような個人的な感情の領域をはるかに超えた、宇宙全体を貫く結合の力、すべての存在を一つに結びつける根源的なエネルギーそのものを指します。
ヨガの道の一つに、「バクティ・ヨガ(Bhakti Yoga)」という信愛のヨガがあります。これは、神や宇宙といった大いなる存在への、絶対的な愛と献身を通して悟りに至る道です。バクティの実践者は、祈り、歌い、踊ることを通して、個人的なエゴ(アハンカーラ)を溶かし、大いなる愛の流れと一体になることを目指します。この道が教えてくれるのは、愛とは私たちが「生み出す」ものではなく、本来私たちの内に、そして宇宙に遍満しているものであり、私たちはその流れを受け取るための「器」となるだけでよい、ということです。
ヨガの八支則の第一段階であるヤマ(禁戒)の筆頭に挙げられる「アヒンサー(Ahiṃsā)」、すなわち非暴力の教えも、この宇宙的な愛の現れです。アヒンサーは、単に他者を傷つけないという消極的な行為に留まりません。その本質は、すべての生きとし生けるものへの深い共感と愛に基づいています。なぜなら、すべての存在は根源において繋がっており、他者を傷つけることは、巡り巡って自分自身を傷つけることになるからです。愛とは、このワンネス(不二一元)の真理を、理屈ではなく魂で理解した時に自然に湧き上がってくる状態なのです。
引き寄せの法則の観点から見ても、愛は究極の鍵となります。物理学者が語るように、すべてのものは特定の周波数で振動しています。そして、人間の感情の中で、愛と感謝は最も高く、最も精妙な周波数を持つとされています。あなたが愛の周波数に留まっている時、あなたは宇宙で最も強力な磁石となり、同じ質の、愛に満ちた出来事、人々、そして豊かさを引き寄せ始めます。
多くの人が、「愛されたい」という欠乏感からパートナーや他者の承認を求めます。しかし、これは「喉が渇いた」というエネルギーを発信し続けるため、さらなる渇望感を引き寄せることになりがちです。パラダイムを転換し、「愛したい」という視点に立ってみましょう。あなたの内側には、汲めども尽きぬ愛の泉がすでに存在しているのです。あなたがその泉から、惜しみなく愛を他者や世界に注ぎ始める時、その行為そのものがあなたを至福で満たし、結果として、世界中から愛があなたのもとへ流れ込んでくるようになります。愛は、所有するものではなく、流すものなのです。
この無限の資源である愛と繋がるための実践として、慈悲の瞑想(メッター瞑想)は非常に効果的です。まず、自分自身に対して「私が幸せでありますように。私が健やかでありますように。私が安らかでありますように」と、愛の言葉を向けます。自分自身を愛で満たすことが、すべての大前提です。次に、その愛を、親しい友人や家族へ、そしてコミュニティの人々へ、さらには苦手だと感じている人へ、最終的には生きとし生けるすべてのものへと、意識の中で放射状に広げていきます。この実践は、愛が個人的な好き嫌いを超えた、普遍的なエネルギーであることを体感させてくれます。
日常生活においても、愛を実践する機会は無限にあります。あなたの行動の動機が、「恐れ」から来ているのか、それとも「愛」から来ているのかを、常に自問自答してみましょう。義務感や罪悪感からではなく、喜びと愛から行動を選択する時、そのエネルギーはあなた自身と周りの人々を軽やかにし、癒やします。
道端の草花に、一杯の水に、すれ違う人々の息遣いに。そのすべてに、大いなる生命の愛の現れを見出すよう努めてみてください。愛は、特別な誰かとの間にだけ存在するものではありません。それは、空気のように、この世界の隅々にまで満ち満ちています。私たちがハートを開き、その存在に気づきさえすれば、私たちは決して枯渇することのない、無限の豊かさの源泉と常に繋がっていることができるのです。


