お金。この言葉ほど、私たちの感情を揺さぶり、時に人生を支配する力を持つものは他にないかもしれません。私たちは、お金を追い求め、お金に悩み、お金によって一喜一憂します。しかし、この強力な存在の正体について、私たちはどれほど深く考察したことがあるでしょうか。ヨガ的な、そして宇宙的な視点から見るとき、お金とは、単なる紙切れやデジタルな数字ではありません。それは、価値、感謝、信頼といった、目には見えないエネルギーが結晶化した、一つの「媒体」なのです。
この世界に存在するすべてが、根源的にはエネルギーの特定の振動状態であると捉えるならば、お金もまた、その例外ではありません。東洋思想における「気」の概念を借りるなら、お金とは社会経済という巨大な生命体内を流れる「気の流れ」のようなものです。この流れがスムーズで、よどみなく循環している時、個人も社会も健やかに繁栄します。しかし、流れがどこかで滞ったり、一箇所に溜め込まれ過ぎたりすると、そこには不調和や「病」が生じるのです。
この「お金=エネルギー」という視点に立つと、私たちとお金の関わり方は、根本的に変容せざるを得ません。もはや、お金を「稼ぐ」「使う」という一方的な行為ではなく、「エネルギーの流れに参加する」という、よりダイナミックで創造的な関わり方へとシフトするのです。このエネルギー循環のプロセスにおいて、最も重要な潤滑油となるのが「感謝」という感情です。
まず、「受け取る」という行為について考えてみましょう。給料、報酬、あるいは誰かからの贈り物としてお金を受け取る時、私たちはどのような心でいるでしょうか。多くの場合、それは「当然の対価だ」という意識か、「もっと欲しい」という欠乏感、あるいは「こんなにもらっていいのだろうか」という罪悪感が混じっています。しかし、お金をエネルギーとして捉えるならば、受け取るという行為は、他者からの労働、時間、才能、そして感謝のエネルギーを、敬意をもって受け止めるという神聖な儀式です。そのエネルギーに対して心からの感謝を捧げる時、私たちは豊かさの流れに対して心を開き、「私は価値あるものを受け取るにふさわしい存在です」と宇宙に宣言していることになります。この感謝の扉を通じて、エネルギーは喜んであなたの元へと流れ込んでくるでしょう。
次に、「手放す(支払う)」という行為です。私たちは支払いの場面で、「お金が減ってしまう」という喪失感や痛みを覚えがちです。しかし、これもまた、エネルギーの視点からは一面的な見方に過ぎません。支払いとは、あなたが受け取った商品やサービス、素晴らしい体験に対する感謝のエネルギーを、社会という大きな循環の中にお返しする行為なのです。そのお金は、お店の人の生活を支え、生産者の努力に報い、回り回って、また新たな価値を生み出すための種となります。喜んで、そして感謝と共に支払う時、あなたは単なる消費者ではなく、社会経済という生命体を健やかに育むための、祝福のエネルギーの送り手となるのです。そのようにして手放されたエネルギーは、決して消えてなくなるわけではありません。エネルギー保存の法則のように、形を変え、価値を高め、やがてあなたの元へと還ってくるのです。
今日から、お金に触れるたびに、このエネルギーの循環を意識してみてください。お財布を、エネルギーが気持ちよく通過していくための神殿のように、きれいに整えてみましょう。お金を受け取る時には、それを提供してくれた人々の顔を思い浮かべ、心の中で「ありがとう」と唱える。支払う時には、そのお金が多くの人々を幸せにする旅に出ることを祈り、「いってらっしゃい」と感謝で見送る。
このシンプルな実践は、あなたとお金の関係を、恐れと欠乏の関係から、信頼と感謝のダンスへと変容させてくれるでしょう。お金は、あなたを縛る鎖ではなく、あなたの夢を叶え、他者に貢献するための、自由なエネルギーの翼となるのです。


