私たちはしばしば、人生を「私」という孤立した個人が、外部にある「世界」や「他者」と格闘する物語として捉えがちです。そして、「引き寄せ」という言葉を使う時も、この「私」が磁石のように、欲しいものを外から自分の領域へと引き寄せる、というイメージを抱いていないでしょうか。この構図は、一見するとパワフルに聞こえますが、その根底には「私」と「それ以外」という根本的な分離の感覚が横たわっています。しかし、ヨガや東洋の叡智が指し示す世界観は、それとはまったく異なる、より広大で美しい風景です。
その風景とは、あなたが「宇宙の大きなダンスの一部である」というものです。古代インドのウパニシャッド哲学には、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という核心的な思想があります。これは、個としての自己の本質(アートマン)と、宇宙全体の根本原理(ブラフマン)は、本質において一つである、という教えです。あなたは海から生まれた一滴の波であると同時に、その波を成り立たせている海そのものでもある。この視点に立つとき、「私」が何かを「引き寄せる」という概念は、少し違った様相を呈してきます。
この壮大な繋がりを、一つの「ダンス」として捉えてみましょう。想像してみてください。広大な舞台の上で、無数のダンサーたちが、一つの音楽に合わせて踊っています。その音楽こそが、宇宙の法則や摂理です。私たち一人ひとりは、そのダンサーの一員。自分の自由な意志でステップを踏んでいるように見えて、実は大いなる音楽に導かれ、周囲のダンサーたちの動きと共鳴し合いながら、即興の振り付けを創造しているのです。ある時は誰かと手を取り合い、ある時は優雅にすれ違い、またある時は舞台の中央でソリストとして輝く。そのすべてが、一つの完璧なハーモニーを構成しています。
この比喩は、現代物理学が垣間見せる世界の姿とも、不思議と響き合います。量子もつれ(エンタングルメント)と呼ばれる現象では、かつてペアだった二つの粒子は、どれだけ遠く離れていても、片方の状態が確定すると、もう片方の状態も瞬時に確定するといいます。これは、私たちの目に見えないレベルで、万物が分かちがたく結びついている可能性を示唆しています。あなたの踏み出す一つのステップが、舞台の反対側にいる誰かの動きに、瞬時に影響を与えているかもしれないのです。
この「ダンス」の感覚は、ヨガのアーサナ(ポーズ)の実践を通して、身体で学ぶことができます。例えば、山のポーズ(タダーサナ)でただ立つ時。私たちは、自分の筋力だけで立っているわけではありません。足の裏を通して地球の引力と繋がり、頭頂を通して天へと伸びるエネルギーを感じ、空間が私たちの身体を支えてくれているのを感じます。呼吸というリズムに合わせて、身体は微細に揺れ動いている。これはもはや、静止したポーズではなく、地球と天と空間と呼吸と共に行う、ダイナミックで静かなダンスなのです。
この視点を得たとき、「引き寄せ」はどのように再解釈されるでしょうか。それはもはや、「私」が何かを自分の元へ引っ張ってくる行為ではありません。それは、宇宙という壮大なダンス全体の流れの中で、今の私のパートとして、最もふさわしい共演者(人)や小道具(物事)、舞台装置(状況)が、完璧なタイミングで登場してくる、という理解に変わります。私たちの仕事は、必死に何かを求めることではなく、音楽をよく聴き、自分の内なる衝動に耳を澄ませ、今この瞬間のステップを、心を込めて丁寧に、そして喜びと共に踏むことだけです。
「個」としての悩みや願望が、あまりに大きく感じられる時、少し視点を上げて、この宇宙のダンスフロアを俯瞰してみてください。あなたは決して一人で踊っているのではありません。無数の仲間たちと共に、壮大な交響曲の一部を奏でているのです。「私」という小さな枠組みから解放された時、私たちは宇宙という最高のパートナーと共に、これまで想像もしなかったような、自由で、創造的で、喜びに満ちた美しいダンスを踊り始めることができるでしょう。


