「常にポジティブでいよう」「ネガティブな考えは追い払って」。現代社会には、このようなメッセージが溢れています。ポジティブな思考が、成功や幸福を引き寄せるという考え方は、一見すると魅力的で、正しいことのように思えます。しかし、この「ポジティブ信仰」が度を越すと、それは私たちの心を豊かにするどころか、かえって不健康で、不誠実な状態へと追い込む「罠」となる危険性を秘めています。
この行き過ぎたポジティブさは、近年「トキシック・ポジティビティ(Toxic Positivity)」、すなわち「有害なポジティブさ」と呼ばれ、警鐘が鳴らされています。それは、悲しみ、怒り、不安、嫉妬といった、いわゆる「ネガティブ」と分類される感情を、あたかも存在してはならない「悪」であるかのように扱い、無理やり蓋をして抑圧しようとする態度です。友人が失恋して落ち込んでいる時に、「元気出して!もっといい人がいるよ!」と安易に励ましたり、自分自身が仕事で失敗して落ち込んでいるのに、「大丈夫、すべてはうまくいっている!」と無理に笑顔を作ったりするのが、その典型例です。
このような態度は、一見すると前向きですが、その実、本物の感情から目を背ける行為に他なりません。ヨガの哲学は、私たちに感情を「良い」「悪い」で二元論的に裁くことを教えません。むしろ、サットヴァ(純粋性・調和)、ラジャス(激動・情熱)、タマス(停滞・暗黒)という三つのグナ(性質)が、自然界と同じように、私たちの心の中でも絶えず移り変わる、自然な働きであると捉えます。晴れの日(サットヴァ)もあれば、嵐の日(ラジャス)も、深い霧に包まれる日(タマス)もある。そのすべてが、心という生態系の、必要で、正当な一部なのです。嵐の日に無理やり「晴れている」と思い込もうとするのは、不自然で、エネルギーを消耗するだけの、空しい試みです。
心理学の世界、特にカール・ユングの理論における「シャドウ(影)」の概念は、この問題に深い洞察を与えてくれます。シャドウとは、私たちが「自分らしくない」と判断し、意識の光の当たらない地下室へと追いやった、ネガティブな側面(怒り、嫉妬、怠惰など)の総体です。しかし、抑圧されたものは、消えてなくなるわけではありません。地下室で力を蓄え、私たちが予期せぬ瞬間に、コントロール不能な形で暴れ出すのです。ポジティブ・シンキングの罠とは、このシャドウを認めず、さらに地下室の扉に鍵をかけようとすることで、かえってシャドウの力を増大させてしまう危険をはらんでいます。真の心の健康とは、このシャドウの存在を認め、地下室の扉を開け、彼らと対話し、意識の光の中へと統合していくプロセスの中にこそあるのです。
では、私たちはどうすれば、この罠を避け、真に健やかな心の状態を育むことができるのでしょうか。
それは、まず、どんな感情が湧き上がってきても、それを「感じること」を自分に許可することから始まります。ネガティブな感情が湧いてきたら、「ポジティブにならなきゃ」と焦って打ち消すのではなく、まず「ああ、今、私は不安を感じているんだな」「今、私は嫉妬しているんだな」と、その感情の存在を、ただ、ありのままに認めてあげるのです。
次に、その感情が伝えようとしているメッセージに、耳を澄ましてみましょう。怒りは、あなたの価値観や境界線が侵害されたことを知らせるアラームかもしれません。不安は、準備が足りないことや、本当に大切にしたいものを教えてくれるサインかもしれません。悲しみは、失ったものの価値を再認識させ、心を浄化してくれる雨のようなものです。感情は敵ではなく、あなたの内なる賢者からの、大切な手紙なのです。
真のポジティブさとは、ネガティブな感情が一切存在しない、無菌状態のことではありません。それは、悲しみも、怒りも、不安も、そのすべてを内包し、受け入れることができるほどの、大きく、深く、そしてしなやかな「心の器」を持つことです。光が強ければ影もまた濃くなるように、人生の光と影、その両方をありのままに体験することを自分に許した時、私たちは偽りのない、地に足の着いた、本物の楽観性を手に入れることができるのです。それは、無理に作った笑顔ではなく、涙を流した後に訪れる、穏やかで静かな微笑みなのです。


