私たちの多くは、人生という航海の途中で、感情という名の天候に翻弄されがちです。特に、怒りや悲しみ、恐れといった、いわゆる「ネガティブ」な感情の嵐に見舞われると、私たちはそれを厄介な侵入者、あるいは打ち負かすべき敵と見なしてしまいます。現代社会は、あたかも常に快晴であることを是とするかのように、私たちに平静さやポジティブさを強いる傾向にあります。その結果、私たちは内なる天候を無視し、抑圧し、見て見ぬふりをする術ばかりを身につけてしまったのかもしれません。
しかし、ヨガの叡智は、私たちに全く異なる視座を提供してくれます。ヨガ哲学の根幹をなす『ヨーガ・スートラ』において、心の働きは「チッタ・ヴリッティ」と呼ばれます。これは「心の作用の渦」と訳すことができ、感情もまた、この無数に立ち現れては消えていく渦の一つに過ぎません。そこには本来、良いも悪いもなく、ただ純粋な現象として心の湖面に生じる波紋があるだけなのです。この視点に立つとき、私たちは感情を敵視するという長年の習慣から、ようやく解放される可能性があります。
感情とは、敵対すべき対象ではなく、むしろ、あなたの内なる世界から届けられる、極めて重要でパーソナルな「メッセージ」なのです。それは、あなたの魂のコンディションを知らせる、最も正直な天気予報のようなものと言えるでしょう。喜びや愛といった感情が晴れやかな青空を示す一方で、怒りや悲しみは、気圧が下がり、嵐が近づいていることを知らせる暗雲に他なりません。このメッセージを無視し続ければ、いずれあなたは準備不足のまま大嵐に飲み込まれてしまうでしょう。
この身体という精緻な受信機は、私たちが頭(理性)で認識するよりもずっと早く、世界の微細な変化や他者との関係性の歪みを感知しています。感情とは、その身体が発する根源的なシグナルであり、いわば「身体知」が言語化したものなのです。理性が「問題ない」と自分に言い聞かせている時でも、胃がキリキリと痛んだり、胸がざわついたりするのは、身体が「いや、何かがおかしい」というメッセージを送っている証左です。この内なる声に耳を澄ます作法を学ぶこと、それこそが自己との真の対話の始まりではないでしょうか。
ですから、次に感情が湧き上がってきた時には、反射的に蓋をしようとするのではなく、一歩引いて、好奇心をもってそれを観察してみてください。「おや、メッセージが届いたようだ。この『苛立ち』は何を伝えようとしているのだろう?」「この『寂しさ』は、今、私が何を必要としていると告げているのだろうか?」と。このように、感情を対話の相手として迎え入れる稽古を重ねることで、私たちは自己抑圧という牢獄から抜け出し、自己理解という広大な大地へと歩みを進めることができるのです。感情は、あなたを苦しめるために存在するのではなく、あなたがより深く、より正直に自分自身を生きるために、内なる賢者から送られてくる、愛に満ちた手紙なのですから。


