空を見上げていると、雲の形が一瞬で変わっていくことに気づきます。
さっきまで龍のように見えていた雲が、瞬きをする間にぼんやりと霧散し、やがて跡形もなく消えていく。
空は、なんの未練もなく、ただ次の瞬間へと移ろっていきます。
私たちの人生に訪れる変化も、案外、そんなふうに唐突で、あっけないものなのかもしれません。
今日は少し、肩の力を抜いて、「変化」というものについてお話ししてみましょう。
私たちはどこか、変化というものを「積み重ねの結果」だと思い込んでいます。
石を一つひとつ積み上げて、ようやくお城ができるように。
毎日コツコツ努力して、ようやく目標が達成されるように。
だから、「変わるためには時間がかかる」「変わるためには苦労が必要だ」と、自らに重たい足枷をはめてしまうのです。
もちろん、プロセスを否定するつもりはありません。(むしろプロセスが大事です)
しかし、ヨガや瞑想の世界に身を置いていると、変化というのは「徐々に」ではなく、「一瞬で」起こるものだと実感することが多々あります。
ずっと悩んでいた問題が、ある朝目覚めた瞬間に「あれ、どうでもいいな」と思えたり。
長年抱えていた体の痛みが、ふとした呼吸の拍子にスコーンと抜けてしまったり。
それはまるで、オセロの盤面が、たった一つの石を置いただけで、黒から白へと一気に裏返るような感覚です。
私たちは、変化に対して身構えすぎています。
「変わらなきゃ」と力み、「いつ変わるんだろう」と焦り、「まだ変われない」と嘆く。
その力みこそが、実は変化を遠ざけている最大の抵抗勢力だったりするのです。
川の流れを想像してみてください。
水は、岩があれば勝手に避けて流れます。
窪みがあれば勝手に満たして流れます。
「よし、次は右に曲がるぞ!」なんて決意している水滴はいません。
ただ、その時の地形と重力に任せて、サラサラと流れているだけです。
そして気がつけば、いつの間にか大きな海に辿り着いている。
人生も、そのくらい「気まま」でいいのではないでしょうか。
変化は、私たちがコントロールできる領域の外側で、勝手に準備され、勝手に訪れます。
私たちができることは、いつその時が来てもいいように、心と体のこわばりを解いて、風通しを良くしておくことくらいです。
「こうなりたい」という目的地を握りしめる手を、少し緩めてみましょう。
ハンドルを強く握りすぎていると、急なカーブに対応できません。
むしろ、ハンドルから手を離して、自動運転モードに任せてみるくらいの気持ちで。
(まあ、人生という車は、もともと全自動運転なのかもしれませんが)
変化は、突然やってきます。
それは、予期せぬトラブルという顔をしているかもしれないし、思いがけない出会いという顔をしているかもしれない。
あるいは、何気ない日常の中でふっと訪れる静寂としてやってくるかもしれない。
どんな形で来ても、「お、来たな」と面白がれるくらいの余裕を持っておくこと。
「まさかこうなるとはね」と、自分の人生を他人事のように眺めてみること。
気ままにいきましょう。
どうせ、明日の天気すら私たちにはコントロールできないのですから。
風が吹けば揺れ、雨が降れば濡れ、晴れれば乾く。
その頼りなさこそが、実は最強のしなやかさなのです。
お茶でも飲みながら、次に来る変化の波を、サーファーのようにのんびりと待ってみませんか。
波が来なければ、ただ海を眺めていればいいだけのことですから。


