今日は少し、肌寒いくらいの風が吹いています。しかし、この自然の冷たさこそが、私たちの皮膚感覚を呼び覚まし、「今、ここにいる」ことを教えてくれるのです。
さて、よく「ホットヨガはヨガなのですか?」という質問をいただきます。
私のスタンス(立ち位置)から、少し厳しめのことを申し上げましょう。
結論から言えば、それは「ヨガの要素を取り入れた、現代的なフィットネス消費活動」であって、本来の文脈における「ヨガ(YOGA)」とは、似て非なるものである可能性が高い、と考えています。
なぜ、そう言わざるを得ないのか。
単なる好みの問題ではなく、ヨガの哲学、身体論、そして現代社会が抱える病理という観点から、批判的にリストアップしてみたいと思います。
もくじ.
1. 自然との切断(人工環境への依存)
ヨガとは本来、「調和(Harmony)」です。それは大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス=私)のリズムを合わせることです。
古代のヨギたちは、早朝の涼しい時間帯、川のほとりや森の中で実践を行いました。それは、環境と身体を接続するためです。
ホットヨガはどうでしょうか。
密閉されたスタジオ、人工的なヒーター、加湿器。
それは完全にコントロールされた「人工空間」です。そこには自然の風も、鳥の声も、季節の移ろいもありません。
現代人は、オフィスという空調の効いた箱から、電車という箱へ移動し、最後にホットヨガという「高温多湿の箱」へと移動します。
これは、自然からの乖離(かいり)を加速させる行為です。
外界を遮断し、人工的な不快指数の中で汗を流すことは、自然との対話ではなく、環境に対する「閉鎖」ではないでしょうか。
2. 「アヒムサ(非暴力)」への抵触
ヨガの八支則の第一は「ヤマ(禁戒)」であり、そのトップにあるのが「アヒムサ(非暴力)」です。これは他者だけでなく、自分自身を傷つけないことも含みます。
高温多湿の環境で、激しい運動をすることは、身体にとって強烈なストレスです。
心拍数は上がり、自律神経は交感神経(闘争・逃走反応)優位になります。
本来、ヨガは副交感神経を優位にし、心身を鎮静化させる(Chitta Vritti Nirodhah)ためのものです。
無理やり体温を上げ、心臓に負担をかけ、めまいや脱水のリスクを冒すこと。
それは、自分自身の身体に対する「暴力」ではないでしょうか。
「苦しいけれど頑張る」という精神論は、ヨガではなく、昭和的な根性論、あるいは軍事教練に近いものです。
3. 感覚の麻痺と、偽りの柔軟性
温めると、筋肉や腱は柔らかくなります。これは物理的な事実です。
しかし、それは「緩んでいる」のではなく、「伸びやすくなっている(熱変性しやすい状態)」だけです。
常温であれば、「これ以上いくと痛いよ」という身体からのサイン(痛み)がブレーキとなります。しかし、ホットな環境ではそのセンサーが麻痺し、可動域の限界を超えて動けてしまいます。
これは「偽りの柔軟性」です。
自分の身体の本当の声を聞けなくすること。センサーを狂わせること。
それは「内観」を旨とするヨガの方向性とは逆行しています。
4. 「汗=デトックス」という資本主義的幻想
「汗をかけばデトックスになる」。これは現代の神話であり、強力なマーケティングの言葉です。
医学的に見れば、汗の成分の99%は水であり、毒素の排出機能は肝臓や腎臓が担っています。
しかし、私たちは「目に見える成果」を欲しがります。
滝のような汗は、「私はこれだけ頑張った」「悪いものを出した」という視覚的な達成感(エゴの満足)を与えてくれます。
ホットヨガ産業は、この「出した感」を商品化しています。
「大量消費・大量廃棄」という資本主義のサイクルを、身体レベルで再現しているに過ぎません。
本当の浄化(シャウチャ)とは、物理的な汗の量ではなく、心の曇りを取り除くことです。
関連記事:「汗=デトックス」という資本主義的幻想。私たちが本当に排出すべき毒とは何か?
5. 刺激中毒(スティミュラス・アディクション)
現代社会は刺激に満ちています。スマホの通知、強い味付け、過激な動画。
私たちの感覚は鈍磨し、より強い刺激でないと「生きている」と感じられなくなっています。
静かな部屋で、ただ座って呼吸をする。それだけでは「物足りない」「退屈だ」と感じてしまう。
だから、高温多湿という「極限状態」の刺激を求めます。
「暑い!」「苦しい!」「汗が出た!」
この強烈な身体感覚は、一種の麻薬的な快楽です。
それは静寂(静けさ)への道ではなく、興奮と消耗への道です。
強い刺激で感覚を上書きすることは、繊細な身体の声を聞く能力を、さらに退化させることになります。
関連記事:刺激中毒の私たちへ
6. 商品としての身体の消費
ホットヨガの広告を見てください。「痩せる」「美肌」「デトックス」。
そこにあるのは、「身体をメンテナンスして、より良い商品にする」という思想です。
ヨガが、自己啓発や美容のための「メソッド(道具)」に成り下がっています。
もちろん、健康になることは良いことです。
しかし、ヨガの本来の目的は「カイヴァリヤ(独存)」、つまり社会的な評価や身体的な執着からの自由です。
「もっと美しくならなければ」「もっと痩せなければ」という強迫観念を煽り、そのための苦行としてホットヨガを提供する。
これは、現代人が抱える欠乏感につけ込んだビジネスモデルと言わざるを得ません。
関連記事:「私」という名の商品
終わりに:冷たい風の中で
ヨガ(Yoga)の語源は「ユジュ(Yuj)」、つなぐことです。
それは、ヒーターの熱で強制的に汗を絞り出すことではなく、
ただ、ありのままの気温の中で、吸う息と吐く息をつなぐこと。
大地と足裏をつなぐこと。
そして、焦る心と、本来の静かな私をつなぐことです。
私たちは、これ以上「頑張る」必要はありません。
これ以上、人工的な熱で自分を煽る必要はありません。
窓を開けてください。
今の季節の風を感じてください。
その涼しさの中で、一つ深く息を吐く。
その瞬間に訪れる静けさの方が、灼熱のスタジオで流す1リットルの汗よりも、はるかにヨガ的であると、私は思うのです。


