古代インドの叡智であるサーンキヤ哲学、そしてその実践部門であるヨガは、この宇宙に存在するすべてのものは、三つの基本的な性質、すなわち「グナ(Guṇa)」から構成されていると説きます。グナとは「縄」や「属性」を意味するサンスクリット語で、それは物質的なものから、私たちの心や感情といった微細なものまで、あらゆる現象の背後で働くエネルギーの様態です。この三つのグナとは、「サットヴァ(Sattva)」「ラジャス(Rajas)」「タマス(Tamas)」です。これらは善悪ではなく、それぞれが宇宙の働きに不可欠な役割を担っていますが、そのバランスによって、私たちの心身の状態や、体験する現実は大きく左右されます。
今回は、この三つのグナのうち、最も精妙で、私たちが目指すべき心の状態である「サットヴァ」について深く探求してみましょう。
サットヴァとは、純粋性、調和、光、静けさ、明晰さ、そして叡智を象徴する性質です。サットヴァが優勢なとき、私たちの心は穏やかで、澄み渡った湖の水面のようです。物事をあるがままに、客観的に捉えることができ、慈愛に満ちた感情が自然に湧き上がります。知的な理解は明晰で、直感やインスピレーションを受け取りやすい状態にあります。身体は軽く、エネルギーに満ち、健康で、全体として深い充足感と平和を感じることができます。それは、まさに私たちが瞑想やヨガの実践を通して到達しようとしている境地そのものです。
このサットヴァな心の状態は、私たちが「引き寄せ」と呼ぶ現象と、最もダイレクトに結びついています。なぜなら、サットヴァの波動は、宇宙の根源的な調和の波動と共鳴する、極めて高い周波数を持っているからです。心がサットヴァな状態にあるとき、私たちは欠乏感や焦りからくる利己的な「願い」を手放し、より大きな流れと調和した、純粋な「意図」を持つことができます。その意図は、力むことなく、自然な形で現実の世界に顕現していきます。まるで、太陽の光が、何の努力もなしに植物を育てるように。
また、サットヴァな心は、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)や宇宙からのサインをキャッチする、感度の高いアンテナのような役割を果たします。心がラジャス(激動)やタマス(停滞)のノイズで曇っていると、私たちの前に現れているはずの導きやチャンスを見過ごしてしまいます。しかし、サットヴァの静寂と明晰さの中では、些細な出来事の背後にある意味や、進むべき道を示す微細なサインを、はっきりと感じ取ることができるのです。
では、どうすれば私たちは、このサットヴァな状態を日常の中で育むことができるのでしょうか。それは、特別なことではなく、日々の選択の積み重ねの中にあります。
まず、食事です。アーユルヴェーダでは、生命力(プラーナ)に満ちた、新鮮で、自然な、調理したての温かい食事がサットヴァを高めるとされています。採れたての野菜や果物、全粒穀物、ナッツ、豆類などがその代表です。これらの食事は、私たちの身体を内側から浄化し、心を軽く、穏やかにしてくれます。
次に、環境です。静かで、清潔で、整頓された空間は、サットヴァな心を育むための土壌となります。騒々しい音楽や暴力的な映像、ネガティブなゴシップから意識的に距離を置き、自然の中に身を置く時間を増やすことも非常に効果的です。鳥のさえずり、風の音、木々の緑は、それ自体がサットヴァのエネルギーに満ちています。
そして、最も重要なのが、心の習慣です。瞑想や静かな内省の時間を毎日持つこと。感謝の気持ちを育むこと。ヨーガ・スートラやバガヴァッド・ギーターのような、賢者たちの叡智が詰まった聖典に触れること(スヴァディアーヤ)。他者のために、見返りを求めずに行動すること(カルマヨガ)。これらの実践は、私たちの意識を日常の些事から引き上げ、より普遍的で調和的な領域へと接続させてくれます。
サットヴァな状態とは、努力して掴み取るものではなく、むしろ、心を曇らせているラジャスやタマスの要素を丁寧に取り除いていったときに、自ずと現れてくる、私たちの本来の姿なのかもしれません。それは、雲が晴れた後に現れる、青空のようなものです。あなたの内側には、常に純粋で、光に満ちたサットヴァの空が広がっている。そのことを信頼し、日々の生活の中で、その青空が広がるような選択を一つひとつ積み重ねていくこと。それこそが、内なる平和と外なる豊かさを統合する、最も確かな道筋なのです。


