私たちの苦しみの多くは、実のところ、「時間」という概念から生まれています。「あの時、あんなことを言わなければよかった」「もし、違う選択をしていたら、今頃は…」。私たちは、変えることのできない過去の亡霊に心を苛まれ、後悔という重い鎖を引きずって生きています。あるいは、「来月の支払いは大丈夫だろうか」「この先、病気になったらどうしよう」。まだ訪れてもいない未来の幻影に怯え、不安という霧の中で立ち尽くすのです。
私たちの心は、まるでタイムマシンのように過去と未来を絶えず行き来し、そのたびに膨大なエネルギーを消耗しています。しかし、ここで一つの根源的な問いを立ててみましょう。その「過去」や「未来」は、一体どこに存在するのでしょうか? あなたが後悔している過去の出来事は、今、あなたの目の前で起きていますか? あなたが不安に思う未来の惨事は、今、この瞬間に現実となっていますか?
東洋の深遠な思想、特に仏教やヴェーダーンタ哲学は、この問いに対して明確な答えを提示します。それは、「実在するのは『今、この瞬間』だけである」という真理です。過去とは、現在の脳裏に浮かぶ「記憶」という名の思考に過ぎません。未来とは、現在の心が生み出す「予測」や「想像」という名の思考に過ぎないのです。つまり、私たちは「今」という唯一の現実の舞台の上で、過去や未来という名の思考のドラマを延々と上演し、その登場人物となって苦しんでいる、というわけです。これは、インド哲学で言うところの「マーヤー(Māyā)」、すなわち世界をあるがままに見せず、覆い隠してしまう幻の力の一形態と言えるでしょう。
この時間という壮大な物語から自由になる鍵は、驚くほどシンプルです。それは、思考の世界から「身体感覚」の世界へと意識をシフトさせること。あなたの身体は、決して過去や未来へは行けません。常に「今、ここ」に、どっしりと存在しています。もし、後悔の念が嵐のように吹き荒れてきたなら、そっと意識をあなたの足の裏に向けてみてください。床や地面に触れているその確かな感触、体重がかかっている圧力。それは紛れもなく「今」の感覚です。不安の霧が心を覆い始めたなら、深く息を吸い込み、吐き出す空気の流れに注意を集中させてみましょう。その呼吸は、一秒前の呼吸でも、一秒後の呼吸でもありません。まさしく「今、この瞬間」の呼吸です。
この身体感覚への回帰は、一種の稽古です。私たちは、あまりにも長い間、思考の世界に住むことに慣れ親しんできたため、最初はすぐに心が過去や未来へと滑り出してしまうかもしれません。しかし、それに気づき、辛抱強く、優しく意識を身体の「今」へと連れ戻す練習を繰り返すうちに、私たちは思考の暴走から降りて、静かな中心に留まる術を学びます。これは、他者や社会が作り上げた「こうあるべきだ」という物語から距離をとり、自分自身の身体という確かなリアリティに根ざして生きるための、極めて実践的な知恵でもあるのです。
「引き寄せの法則」の観点から言えば、この実践の重要性は計り知れません。宇宙は、あなたの思考にではなく、あなたの「今の在り方」、すなわち「今の波動」に応答します。あなたが過去の後悔の中にいれば、あなたは「欠乏」と「過ち」の波動を発信し、さらなる後悔すべき出来事を引き寄せるでしょう。あなたが未来の不安の中にいれば、あなたは「恐れ」と「不足」の波動を発信し、不安が現実となるような状況を創造してしまいます。
豊かな未来を創造する唯一の方法は、「今、この瞬間」に豊かさを感じることです。たとえ、どんな状況にあったとしても、今、ここに在る身体の温かさ、今、吸い込める空気、今、感じられる足の裏の感触。そこに意識を向け、ただ在ることの充足感を味わう。その満たされた「今」の波動こそが、豊かで満たされた未来を磁石のように引き寄せるのです。
時間は、私たちを縛る牢獄ではありません。それは、私たちが「今」という一点において創造し、手放していく、美しい幻想の川の流れのようなもの。その流れから自由になり、実在する唯一の場所である「今、ここ」に錨を下ろすとき、あなたは真の安らぎと、現実を創造する無限の力を見出すでしょう。


