瞑想を始めようと決意した人が、ほぼ例外なく最初に直面する巨大な壁。それが「雑念」です。静かに座って呼吸に集中しようとすればするほど、まるで意地悪をするかのように、過去の後悔、未来の計画、今日の夕食の献立、上司への不満といった思考が、次から次へととめどなく湧き上がってきます。多くの人はここで、「自分には集中力がない」「瞑想に向いていない」と挫折し、思考を無理やり押さえつけようとして、さらなる心の葛藤に陥ってしまいます。
しかし、もしその「雑念」が、倒すべき敵ではなく、ただ観察すべき自然現象だとしたらどうでしょうか。この視点の転換を助けてくれるのが、「思考のラベリング」という、マインドフルネス瞑想における極めて実践的で強力なテクニックです。ラベリングとは、心に浮かび上がってきた思考や感情に対して、判断を加えずに、ただ客観的な「ラベル(名札)」を心の中でそっと貼っていく作業を指します。
例えば、瞑想中に「ああ、明日のプレゼンのことが心配だ…」という思考が湧いてきたとします。これまでの私たちは、この思考の電車に無意識に飛び乗り、不安という名の終着駅まで連れて行かれていました。しかし、ラベリングを実践する場合、私たちはホームに留まり、その思考に「不安」あるいは「計画」というラベルを貼って、静かに見送るのです。
このシンプルな行為が、なぜこれほど効果的なのでしょうか。
第一に、ラベリングは「脱同一化」を促します。思考にラベルを貼るという行為そのものが、思考している「私」と、観察対象である「思考」との間に、明確な距離を生み出します。これにより、「私は不安だ」という、思考との完全な一体化(アスミター)の状態から、「私の心に、『不安』という思考が浮かんでいる」という、客観的な観察者の視点へとシフトすることができるのです。あなたは思考そのものではなく、思考が生まれては消えていく、広大な意識のスペースである、というヨガの真理を体感的に理解し始めます。
第二に、ラベリングは思考を「無力化」します。私たちの心を最もかき乱すのは、「正体不明の何か」です。漠然とした不安やイライラは、輪郭がないために、私たちのエネルギーをじわじわと奪っていきます。しかし、「これは『焦り』の感情だな」「これは『自己批判』の思考パターンだな」と名前を与えることで、その正体不明の怪物は、単なる「心の現象」の一つへと格下げされます。名前を知ることは、対象をコントロールするための第一歩なのです。
このラベ-リングの稽古において、美しい比喩が助けになります。あなたの意識を、どこまでも広がる青い「空」だと想像してみてください。そして、心に浮かぶ思考や感情は、その空を流れていく「雲」です。ある時は白く穏やかな雲、ある時は暗く嵐を呼ぶような雲が通り過ぎるでしょう。しかし、どんな雲が来ようとも、空そのものが傷ついたり、汚されたりすることはありません。空の役割は、雲を追い払うことでも、特定の美しい雲を引き留めることでもなく、ただ、すべての雲が自由に現れては去っていくのを、静かに許容することです。ラベリングは、「ああ、灰色の雲が来た」「白い雲が来た」と、ただ雲の様子を眺める行為に似ています。
この実践は、引き寄せの法則を使いこなす上でも、極めて重要な意味合いを持ちます。私たちの現実は、私たちの支配的な思考パターンによって創造されます。しかし、ほとんどの人は、自分が普段どのような思考の雲を発生させ、どんな思考の電車に乗り込んでいるのか、全くの無自覚です。ラベリングは、この無意識の思考パターンを可視化する、優れた診断ツールとなります。瞑想中に何度も「自己否定」や「欠乏感」というラベルを貼っている自分に気づけば、それが自分の現実を創造している根本原因である可能性が高い、と知ることができます。
そして、パターンに気づくことができれば、初めて意識的な「選択」が可能になります。「ああ、また『どうせ無理』行きの電車が来たな。今回は乗るのをやめておこう」と。そして、その代わりに「もし、うまくいったら?」という、新しい行先の電車に乗り換えるという選択肢が生まれるのです。
ラベリングは、雑念を消し去るための魔法ではありません。むしろ、雑念との新しい付き合い方を学ぶための「作法」です。判断せず、抵抗せず、ただ気づき、名前を与え、そして優しく手放す。この地道な稽古を繰り返すことで、あなたは思考の嵐に翻弄される小舟から、嵐を静かに眺める灯台守へと変容していくでしょう。その静かな眼差しの中にこそ、望む現実を創造するための、穏やかで揺るぎない力が宿っているのです。


