ヴェーダ聖典:リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダ

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インド哲学という広大で深遠な森へ足を踏み入れるとき、私たちが最初に手にすべき地図、それは「ヴェーダ」と呼ばれる聖典群です。ヴェーダは単なる古代の文献ではありません。それは、三千数百年の時を超えてインドの人々の精神的支柱となり、その後のあらゆる思想の源流となった、生きた言葉の奔流なのです。私たちがこれから探求するインド哲学の壮大な物語は、すべてここから始まります。

「ヴェーダ(Veda)」とは、サンスクリット語で「知識」を意味する言葉です。しかし、ここでいう知識とは、私たちが学校で学ぶような後天的な知識や、論理的な思索によって得られる知恵とは根本的に異なります。ヴェーダは「天啓(シュルティ)」、すなわち「聞かれたもの」とされています。これは、太古の聖仙(リシ)たちが深い瞑想状態の中で宇宙の真理を「音」として感受し、それをそのまま言葉として伝えたものだと信じられているのです。つまり、ヴェーダは人間が創作したものではなく、宇宙に遍在する永遠の真理そのものの顕現である、という思想がその根底に流れています。この「作者のいないテクスト」という概念は、西洋の哲学体系とは一線を画す、インド思想の極めて重要な特徴と言えるでしょう。

この聖なる知識の集合体は、主に四つの部門に大別されます。それらが「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」であり、これらを総称して「四ヴェーダ」と呼びます。それぞれのヴェーダは、祭祀(ヤジュニャ)における役割に応じて異なる性格を持っており、古代インド・アーリヤ人の宇宙観、神観、そして生活の隅々までを映し出す貴重な鏡となっています。

 

リグ・ヴェーダ:神々への賛歌と哲学的思索の萌芽

四ヴェーダの中で、最も古く、そして最も重要なのが『リグ・ヴェーダ』です。紀元前1500年から紀元前1200年頃に編纂されたと考えられており、全10巻、1028篇の賛歌(スークタ)から構成されています。これらの賛歌は、祭祀の際に神々を招聘し、讃え、そして供物を受け取っていただくために、ホートリ祭官によって詠唱されました。

『リグ・ヴェーダ』の世界は、躍動する神々の姿に満ちています。雷霆をふるって混沌の象徴である龍ヴリトラを打ち破る武勇神インドラ、祭壇の火として人間からの供物を天上の神々へ届ける仲介者アグニ、神聖な植物から搾られ、神々と人間に霊感と不死をもたらす神酒ソーマなど、自然現象や自然力を神格化した神々が、壮麗な詩句によって生き生きと描かれています。

しかし、これらの賛歌は単なる神頼みの祈りではありません。そこには、神々と人間との間の緊張感に満ちた「交渉」や「契約」といった側面が色濃く見られます。人間は供物を捧げることで神々の歓心を買い、その見返りとして子孫繁栄、家畜の増加、戦いでの勝利といった現世的な利益を求めるのです。このプラグマティックな関係性は、自然という抗いがたい力と共存し、それをどうにかして自分たちの生活の内に取り込もうとした古代人の切実な身体感覚を反映しているのかもしれません。

そして何より注目すべきは、『リグ・ヴェーダ』が単なる神話と儀礼の書にとどまらず、後のインド哲学の源流となる深遠な哲学的思索の萌芽を含んでいる点です。特に有名なのが、第10巻に収められた「創造の賛歌(ナーサディーヤ・スークタ)」でしょう。

「そのとき、無も有もなかった。空界も、その彼方の天もなかった。(中略)闇によって闇が覆われていた。それは見分けのつかない大水であった。空虚に覆われて生じつつあったかのものが、熱の力によって一つとして現れた。」 (10.129)

この詩は、世界が絶対的な無から創造されたのではなく、有でも無でもない、善でも悪でもない、光でも闇でもない、あらゆる二元論的対立を超越した「かの唯一なるもの(タッド・エーカム)」が、自らの内に秘めた熱(タパス)によって展開を始めたと説きます。世界の始まりを「誰が知ろうか、誰が語ろうか」と不可知論的な問いで結ぶこの賛歌は、人間の認識能力の限界を見据えつつ、宇宙の根源へと迫ろうとする驚くべき知性の飛躍を示しています。この問いこそが、後のウパニシャッド哲学における「ブラフマン(梵)」と「アートマン(我)」の探求へと繋がっていくのです。

 

サーマ・ヴェーダ:歌詠と旋律の力

『サーマ・ヴェーダ』は、「歌詠のヴェーダ」と呼ばれ、その内容は『リグ・ヴェーダ』から採られた詩句に、特定の旋律(サーマン)を付与したものです。祭祀において、ソーマ祭などの重要な儀式の際に、ウドガートリ祭官によって詠唱されました。

インド思想において、「音(ナーダ)」は単なる空気の振動ではなく、宇宙を創造し、維持する根源的な力を持つと考えられています。言葉(マントラ)が持つ神秘的な力は、正しい旋律とリズムで歌われることによって最大限に増幅され、神々を動かし、宇宙の秩序に影響を与えることができると信じられていました。『サーマ・ヴェーダ』は、その思想を実践的に体現するものであり、言葉と音の響きがいかに重要視されていたかを示しています。

これは、単に儀式を荘厳にするための音楽という次元を超えています。正確な音階とイントネーションで歌うこと自体が、宇宙の調和(リタ)を地上に再現する行為であり、それによって儀式が十全な効果を発揮するとされたのです。ヨーガの実践においても、マントラの詠唱や、内なる音に耳を澄ます瞑想(ナーダ・ヨーガ)が重要視されますが、その源流は、この『サーマ・ヴェーダ』の音に対する深い畏敬の念に見出すことができるでしょう。

 

ヤジュル・ヴェーダ:儀式を司る散文の祭詞

『ヤジュル・ヴェーダ』は、「祭儀のヴェーダ」であり、祭祀の具体的な手順を執り行うアドヴァルユ祭官が用いるための、散文形式の祭詞(ヤジュス)を集成したものです。火を灯し、祭具を配置し、供物を捧げる、といった一連の儀式行為に伴って唱えられる言葉が収められています。

『ヤジュル・ヴェーダ』には、大きく分けて二つの系統が存在します。一つは「白ヤジュル・ヴェーダ」で、祭詞部分と、その解釈や説明を記したブラーフマナ部分が明確に分離されています。もう一つは「黒ヤジュル・ヴェーダ」で、祭詞とその説明が混在した形で編纂されています。

このヴェーダが示すのは、儀式行為(カルマ)そのものが持つ力への信仰です。神々への賛歌が中心の『リグ・ヴェーダ』から時代が下るにつれて、儀式の形式が複雑化し、その手順を正確に実行すること自体が、宇宙の秩序を維持し、望む結果を生み出すための絶対的な力を持つと考えられるようになりました。ここでの「カルマ」は、後の輪廻思想における「業」とは意味合いが異なりますが、行為が必ず何らかの結果を生むという因果応報的な思想の原型がここに見られます。

 

アタルヴァ・ヴェーダ:呪術と日常の祈り

最後に『アタルヴァ・ヴェーダ』ですが、これは他の三ヴェーダとは少々趣が異なります。編纂された時期も比較的新しく、当初は正式なヴェーダとは見なされていなかった時期もありました。その内容は、他の三つが公的な祭祀を中心としているのに対し、より個人的で日常的な事柄に関わる呪文や祈りを多く含んでいます。

病気治癒、長寿、繁栄を願う祝福の呪文(白魔術)から、恋敵や商売敵を呪い、悪霊を祓うための呪詛(黒魔術)まで、その内容は実に多彩です。古代の人々の具体的な悩みや願い、恐怖が赤裸々に記されており、民衆の生活に密着したヴェーダと言うことができます。

また、後のインド医学である「アーユルヴェーダ」の源流とされるような、薬草に関する知識や解剖学的な記述も見られます。『アタルヴァ・ヴェーダ』は、公的なバラモン教の祭祀世界とは別に、より土着的で民間信仰的な世界が存在していたことを示唆する貴重な資料です。しかし同時に、このヴェーダの中には「ブラフマン」という概念、すなわち聖なる言葉や呪文に内在する神秘的な力を指す言葉が頻繁に登場し、後のヴェーダーンタ哲学の中心的テーマへと繋がる思想的な発展も見逃せません。

 

 

神話と象徴:多神教的世界観と自然崇拝

ヴェーダ聖典、特に最古層である『リグ・ヴェーダ』に描かれる世界は、圧倒的な自然の力に対する畏敬の念に満ちています。古代インド・アーリヤ人にとって、自然は単なる物質的な存在ではなく、生命と意志を持った神々の活動舞台そのものでした。彼らが崇拝した神々の多くは、雷、火、風、太陽、夜明けといった自然現象や自然力を神格化したものです。

しかし、これを単なる素朴なアニミズムや自然崇拝と片付けてしまうのは早計です。彼らは、自然現象の背後に、ある種の秩序や法則性、すなわち「リタ」が働いていることを見抜いていました。そして、その秩序を体現する存在として神々を捉えたのです。彼らにとって世界とは、意味と力に満ちた巨大なテクストであり、神々はそのテクストを読み解き、関係を結ぶための重要な「語彙」であったと言えるでしょう。

 

主要な神々とその象徴性

ヴェーダのパンテオン(万神殿)は実に多彩ですが、ここでは特に重要な役割を担う神々をいくつか見ていきましょう。

  • インドラ(Indra): ヴェーダの神々の中で最も多くの賛歌を捧げられているのが、雷霆神にして武勇神、神々の王インドラです。彼はヴァジュラ(金剛杵)を手に、天を覆い、水を堰き止めていた混沌の象徴である龍ヴリトラを打ち破ります。この神話は、単なる天候に関する物語ではありません。それは、混沌(アサット)に対する秩序(サット)の、闇に対する光の、停滞に対する活性の勝利を象徴する宇宙論的なドラマなのです。インドラはまた、ソーマ酒をこよなく愛し、その力で敵を打ち破る、人間的で豪放磊落な神としても描かれています。

  • アグニ(Agni): 「火」を意味するアグニは、インドラに次いで多くの賛歌を捧げられています。彼は地上における神々の代理人であり、祭壇で燃える祭火として、人間が捧げた供物を煙と共に天上の神々へ届けるという、不可欠な仲介者の役割を担います。アグニは家庭の炉の火、森を焼き尽くす山火事、そして天上の太陽や雷光という三つの相を持つとされ、宇宙のあらゆる場所に偏在する根源的なエネルギーの象徴でもありました。人間と神々とを結ぶ彼の役割は、後の思想において、師(グル)が弟子を悟りへ導く役割に重ね合わせられることもあります。

  • ソーマ(Soma): ソーマは、特定の植物の茎から搾り出される神聖な飲料であり、同時にその飲料を神格化した神の名前でもあります。これを飲むことで、神々は力を得て不死となり、人間はインスピレーションを得て神々と一体化する体験をしたとされています。ソーマ祭はヴェーダ儀式の中心であり、その陶酔的な体験は、古代の人々にとって、日常の制約を超えて聖なる領域に触れるための重要な手段でした。このソーマ植物が具体的に何であったかについては諸説あり、今なお謎に包まれていますが、意識を変容させる聖なる植物への信仰は、世界中の古代文化に共通して見られる現象です。

  • ヴァルナ(Varuṇa): 司法神、天則神として知られるヴァルナは、宇宙の根本秩序である「リタ」の監視者です。彼は天空から全世界を見渡し、人々の行為の正邪を裁き、秩序を乱す者には罰を与えます。初期のヴェーダにおいては最高神格の一人として絶大な力を持っていましたが、次第に武勇神インドラの人気に押され、後の時代には水の神としての性格が強くなっていきます。ヴァルナへの賛歌には、自らの罪を告白し、赦しを乞う倫理的な色合いの濃いものが多く、後の「ダルマ(法)」の概念の源流とも言えるでしょう。

 

多神教から一元論へ:思想のダイナミズム

ヴェーダの宗教は、一見すると典型的な多神教です。しかし、その内実を詳しく見ると、より複雑な構造を持っていることがわかります。ある賛歌ではインドラが最高神として讃えられ、別の賛歌ではアグニやヴァルナがそうであるかのように歌われる。このように、状況に応じて特定の神が一時的に最高神の位置に置かれる信仰形態は「交替神教(カテノセイズム)」と呼ばれます。

この背景には、多様な神々の背後にある「神性」そのものへの眼差しがあったと考えられます。そして『リグ・ヴェーダ』の後期になると、その眼差しはさらに深まり、明確な一元論的、あるいは一神教的な思想へと発展していきます。

「賢者たちは、唯一なる実在を、インドラ、ミトラ、ヴァルナ、アグニと、様々な名で呼ぶ。」(リグ・ヴェーダ 1.164.46)

この有名な一節は、ヴェーダ思想の大きな転換点を示すものです。数多の神々は、究極的には唯一つの根源的実在の多様な現れに過ぎない、という驚くべき洞察です。現象世界の背後にある本質的な何かを希求するこの精神こそが、ヴェーダの世界からウパニシャッドの世界への扉を開く鍵となりました。自然現象の中に神々を見た古代の聖仙たちは、やがてその多様な神々の背後に、そして自らの内なる自己(アートマン)の奥深くに、唯一なる宇宙の根源(ブラフマン)を見出すことになるのです。

ヴェーダ聖典とその神話は、インド思想の壮大な物語の始まりを告げる序章です。自然への深い畏敬、宇宙の秩序への信頼、そして目に見える現象の背後にある「唯一なるもの」への探求心。これらのテーマは、形を変えながらも、後のインド哲学、仏教、そして現代に生きる私たちの精神的な探求にまで、脈々と受け継がれているのです。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。