1.2.4 アタルヴァ・ヴェーダ:日常生活における呪法と叡智

ヨガを学ぶ

ヴェーダ聖典群の広大な森を旅していると、私たちはしばしば荘厳な神々への賛歌や、宇宙の秩序を維持するための壮大な祭祀といった、いわば公的で晴れやかな「ハレ」の世界に光が当てられていることに気づきます。リグ・ヴェーダの詩的な飛翔、ヤジュル・ヴェーダの儀礼的な厳粛さ、サーマ・ヴェーダの神聖な旋律。これらは紛れもなくヴェーダ文化の根幹をなすものです。しかし、私たちの探求の旅は、それだけでは終わりません。その壮大な世界の足元には、人々の息づかい、日々の悩み、病への恐怖、愛の喜び、そして隣人への嫉妬といった、極めて人間的な「ケ」の世界が広がっています。この生々しく、時に泥臭くさえある日常の営みに深く寄り添い、その中で生きる人々のための叡智と実践的な技法を集成したのが、第四のヴェーダと称される『アタルヴァ・ヴェーダ』なのです。

しばしば、アタルヴァ・ヴェーダは他の三ヴェーダに比べて後から成立した、あるいは呪術的で「格下」の文献であるかのように語られることがあります。しかし、そのような見方は、この聖典が持つ豊かさと深遠さの一面しか捉えていません。むしろ、古代インドの人々がどのような現実に直面し、何を願い、何を恐れ、どのように世界と対峙していたのか、そのリアルな精神史を知るためには、アタルヴァ・ヴェーダこそが不可欠な扉となります。それは、天上の神々の物語だけでなく、私たちの身体に宿る痛みや、心に渦巻く感情と直接的に向き合うための、実践的な知の宝庫と言えるでしょう。この章では、この神秘的で人間味あふれるアタルヴァ・ヴェーダの世界へと深く分け入り、そこに秘められた呪法と叡智を丁寧に読み解いていきます。

 

アタルヴァ・ヴェーダとは何か:その名称と二つの顔

アタルヴァ・ヴェーダという名称は、伝説的な二つの祭官家系に由来すると考えられています。一つは「アタルヴァン族」、もう一つは「アンギラス族」です。

  • アタルヴァン(Atharvan):主に、病気の治療、長寿、幸福、和合といった吉祥をもたらすための呪法、いわば「白呪術」を司る祭官とされます。彼らの呪法は、人々の生活を守り、育むための穏やかで肯定的な力を持っていました。

  • アンギラス(Angiras):一方、敵やライバルを呪い、害するための呪法、すなわち「黒呪術」を専門とする祭官でした。彼らの呪法は、他者を攻撃し、打ち負かすための激しく破壊的な側面を持ちます。

この聖典が『アタルヴァーンギラス・ヴェーダ』(Atharvāngirasa-veda)とも呼ばれるのは、この二つの性質を併せ持っていることの証左です。つまり、アタルヴァ・ヴェーダは、光と影、創造と破壊、祝福と呪いという、人間社会の現実的な二面性をありのままに内包しているのです。それは、清濁併せ呑む人間の生の営みそのものを映し出す鏡のような聖典であると言えるでしょう。

 

日常生活に寄り添う呪法(チャーム)の世界

アタルヴァ・ヴェーダの真骨頂は、その膨大な「呪法(チャーム)」のコレクションにあります。これらは、現代的な視点から見れば迷信やまじないに過ぎないかもしれません。しかし、言葉が現実を動かす力を持ち、人間と自然、そして目に見えない存在が密接に結びついていると信じられていた古代の世界観に立てば、これらは極めて実践的かつ効果的なテクノロジーでした。ここでは、その代表的な呪法のカテゴリーを見ていきましょう。

古代社会において、病は個人の生命を脅かす最大の脅威の一つでした。アタルヴァ・ヴェーダは、この病との闘いの最前線に立つための武器庫であったと言えます。病の原因は、悪魔、悪霊、あるいは目に見えない「虫」の仕業と見なされ、治病呪法はそれらを祓い、追い出すことを目的としていました。

例えば、**熱病(タクマン, takman)**に対する呪法は数多く見られます。熱病は擬人化され、まるで好ましからざる客人のように扱われます。「おお、熱病よ、お前は体を赤くし、燃え上がらせる。震えと咳を伴う者よ。遠くの地へ去れ!」といった呪文を唱え、病を追い払おうとします。

興味深いのは、呪文と共に、薬草(ハーブ)や水、護符(アミュレット)といった物理的な手段が併用される点です。これは、言葉の力(精神的なアプローチ)と、物質的な治療(身体的なアプローチ)が分かちがたく結びついていたことを示しています。病を単なる身体の機能不全としてではなく、心身を含めた全存在に対する侵犯と捉える、このホリスティックな視点は、現代の心身医学や代替医療にも通じるものがあると言えるでしょう。

健やかに、そして長く生きたいという願いは、人間の最も根源的な欲求の一つです。アタルヴァ・ヴェーダには、百年の寿命を授かることを願う呪文が数多く収められています。「百の秋を生き、百の冬を生き、百の春を生きられますように」といった詩的な表現は、生命そのものへの深い肯定と感謝に満ちています。これらの呪法は、単に時間を引き延ばすことだけを願うのではなく、活力に満ちた豊かな生を全うすることを目指していました。

アタルヴァ・ヴェーダは、人間の愛憎のドラマにも深く関わります。異性の心を惹きつけ、意中の人を振り向かせるための呪法、夫婦間の不和を解消し、再び愛情を取り戻すための呪法、あるいは恋敵を退けるための呪法など、その内容は極めて人間的です。

例えば、ある呪文では、特定の薬草を用いて、「この草の力によって、あなたの心と私の心が一つのものとなるように」と唱え、相手の心を自分に結びつけようとします。このような呪法は、人間関係における不安や願望が、いかに切実な問題であったかを物語っています。

農業や牧畜が生活の基盤であった社会において、豊作や家畜の繁殖は死活問題でした。アタルヴァ・ヴェーダには、商売の成功、旅の安全、賭博での勝利を願う呪法まで含まれており、当時の人々の経済活動や日常生活のあらゆる側面をカバーしようとしていたことがわかります。これらは、自然の恵みや幸運を引き寄せ、生活の安定と繁栄を確保するための実践的な知恵でした。

アタルヴァ・ヴェーダのもう一つの顔である、攻撃的な呪法も無視できません。これらは、敵対する部族、個人的なライバル、自分を陥れようとする者を呪い、不幸や災いをもたらすことを目的としていました。呪いの儀式はしばしば夜間に行われ、敵の姿をかたどった人形を用いるなど、その内容は陰湿で恐ろしいものです。

しかし、この黒呪術の存在は、古代社会における競争や対立がいかに激しいものであったか、そして人々が自己や共同体を守るために、あらゆる手段を講じようとしていた現実を浮き彫りにします。それは、理想化された平和な世界ではなく、生存競争の厳しさの中で編み出された、もう一つのリアルな叡智だったのです。

 

哲学への萌芽:思弁的賛歌の世界

アタルヴァ・ヴェーダが単なる呪術の書でないことを示す最も重要な証拠が、その中に含まれる高度に哲学的・思弁的な賛歌の存在です。これらの賛歌は、具体的な神々への祈りを超えて、宇宙や生命の根源的な原理そのものを問い直そうとする試みであり、後のウパニシャッド哲学へと至る重要な橋渡しの役割を果たしています。

「宇宙全体は何によって支えられているのか?」—この根源的な問いに答えようとするのがスカンバ(宇宙の支柱)賛歌です。詩人は、神々や世界、祭祀、人間存在のすべてが、この目には見えない巨大な「柱」に依存していると歌います。

「スカンバのうちに、大地と大気と天空は置かれている。スカンバのうちに、火と月と太陽と風は置かれている。(…)過去と未来と、すべての世界が宿るそのスカンバとは、いったい何者なのか?」

ここで問われているスカンバは、もはや具体的な神ではなく、宇宙の根本原理そのものです。これは、後のウパニシャッドにおける「ブラフマン(梵)」、すなわち万物の根源である究極的実在を探求する思想の、まさに前触れと言えるでしょう。

ヨガの実践者にとって馴染み深い「プラーナ(生命エネルギー、気息)」も、アタルヴァ・ヴェーダでは宇宙的な原理として讃えられています。プラーナは単なる呼吸ではなく、万物を生かし、動かす根源的な力として捉えられます。

「プラーナに敬礼。すべてのものが彼の支配下にある。彼はすべてのものの主であり、すべてのものは彼のうちに確立されている。」

この賛歌は、プラーナを宇宙の最高主権者として描き出し、太陽も月もプラーナによって動かされていると歌います。私たちの内なる呼吸と、宇宙を動かす大いなる生命力が同一のものであるという思想は、ヨガ哲学の核心であるミクロコスモス(自己)とマクロコスモス(宇宙)の合一思想の源流をここに見て取ることができます。

時間は、すべてのものを生み出し、そしてすべてのものを呑み込んでいく絶対的な力として描かれます。

「時は馬であり、七つの手綱を持つ。千の眼を持ち、老いることなく、豊かな種を持つ。賢き詩人たちはこの馬に乗る。彼の車輪はすべての存在である。」

「時は天を創り出し、時はこれらの大地を創り出した。過去にあり、未来にあるものは、時より発する。」

ここでは、時が最高の神、万物の創造主として崇められています。あらゆる存在は時間の中に生まれ、時間の中に消えていく。この逃れられない時の流れに対する畏敬の念は、極めて哲学的であり、存在の有限性と永遠性についての深い思索を促します。

 

文化の交差点としてのアタルヴァ・ヴェーダ

アタルヴァ・ヴェーダが他の三ヴェーダと異なる独特の雰囲気を持つ理由の一つに、アーリア人の文化と、インド土着の非アーリア的文化との融合が挙げられます。祭祀中心のアーリア的宗教観に、先住民たちが持っていたであろう呪術やアニミズム的な信仰が流れ込み、混ざり合った結果が、この聖典の姿であると考えられています。病の原因を悪霊の仕業と見なす考え方や、特定の植物や動物に特別な力を見出す信仰は、土着文化の影響を色濃く感じさせます。

したがって、アタルヴァ・ヴェーダは、単一の文化から生まれたモノリシックな聖典ではなく、多様な文化が交錯するダイナミックな「交差点」として理解することができます。それは、ヴェーダ文化の重層性と豊かさを示す、貴重な証言なのです。

 

現代に響くアタルヴァの叡智

では、この古代の呪術と叡智の書は、現代を生きる私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。一見、非合理的で前近代的な迷信の集積に見えるアタルヴァ・ヴェーダの中には、時代を超えて私たちの心と身体に響く、普遍的な洞察が秘められています。

第一に、「言葉の力」の再認識です。呪文やマントラは、言葉が現実を形成し、人間の意識や身体に影響を与えるという信念に基づいています。これは、現代の心理学で言われるアファメーション(肯定的自己暗示)や、ポジティブな言葉がもたらす心理的・生理的効果とも通底します。言葉を単なる記号としてではなく、世界に働きかける力を持つエネルギーとして捉え直す視点は、私たちのコミュニケーションや自己との対話に新たな深みを与えてくれるでしょう。

第二に、「心身一如」という全体的な健康観です。アタルヴァ・ヴェーダでは、病は身体だけの問題ではなく、精神や魂、そして周囲の環境との関係性の不調和として捉えられていました。呪文で悪霊を祓い、薬草で身体を癒すアプローチは、心と身体を分けないホリスティックな視点の現れです。ストレスが免疫系に影響を及ぼすことが科学的に証明されている現代において、この古代の叡智は、私たちがいかに心と身体のつながりを大切にすべきかを教えてくれます。

第三に、「日常の中に神聖さを見出す」という視点です。アタルヴァ・ヴェーダは、壮大な祭祀の場だけでなく、私たちの暮らしの場、すなわち家庭、畑、市場といった日常空間を舞台とします。恋愛の悩み、病の苦しみ、商売の願いといった極めて個人的で世俗的な営みの中に、宇宙的な力との接点を見出そうとするその姿勢は、私たちに、日々のささやかな出来事の中にこそ、豊かさや意味を見出すことの大切さを思い起こさせてくれます。縁側で風を感じ、一杯のお茶を味わう。そのような瞬間に宇宙との一体感を見出すヨガ的な感性は、アタルヴァ・ヴェーダの世界観と深く響き合っているのです。

アタルヴァ・ヴェーダは、ヴェーダ聖典群という壮麗なタペストリーの中で、一見すると異質な糸かもしれません。しかし、その糸をたどることで、私たちは古代インド社会のリアルな鼓動に触れ、哲学的な思索の源流を発見し、そして何よりも、時代や文化を超えて変わらない人間の根源的な願いや不安、そして生きる力に出会うことができます。それは、高尚な理念だけでなく、私たちの足元の現実をしっかりと見つめ、その中でいかに健やかに、豊かに生きていくかを問い続ける、大地に根差した力強い叡智の書なのです。

 

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。