感覚の制御 – 心の波を鎮める – プラティヤハーラの重要性

ヨガを学ぶ

『バガヴァッド・ギーター』第六部「アートマサンヤマ・ヨーガ」は、瞑想を通じて心を制御し、内なる静寂へと至る道を説く章です。その中でも、感覚の制御、すなわち「プラティヤハーラ」は、心の波を鎮め、真我との繋がりを深める上で極めて重要な実践として位置づけられています。

プラティヤハーラとは、サンスクリット語で「引き戻す」「撤退する」といった意味を持つ言葉です。ヨーガ哲学においては、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)が外部の対象へと向かう自然な傾向を抑制し、意識を内面へと転換させるプロセスを指します。それは、あたかも亀が危険を察知して手足を甲羅の中に引き込めるように、感覚器官を外界の刺激から守り、心の静けさを保つための技術です。

現代社会は、情報過多、スピード重視の傾向が強まり、私たちの五感は常に外部からの刺激に晒されています。スマートフォンやパソコンの画面、街中の喧騒、絶え間なく流れる広告、そして人々の会話。これらの刺激は、私たちの意識を外へ外へと引き寄せ、心の表面を絶えず波立たせます。その結果、私たちは本来持っている内なる静寂や、深い洞察力、そして創造性といった力を十分に発揮できずにいるのではないでしょうか。

『バガヴァッド・ギーター』は、このような外的対象への感覚の執着が、苦しみの根源であると説きます。クリシュナはアルジュナにこう語りかけます。

「感覚の対象について考えるとき、人にはそれらに対する執着が生じる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。怒りから完全な迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生じる。記憶が混乱すると知性が破壊され、知性が破壊されると人は再び物質の海に落ちるのだ。」(『バガヴァッド・ギーター』2章62-63節)

この詩句は、感覚の対象への執着が、いかにして心の平静を乱し、最終的には苦悩へと繋がるかを明確に示しています。プラティヤハーラの実践は、この負の連鎖を断ち切り、心の自由を取り戻すための第一歩となるのです。

 

プラティヤハーラの歴史的・思想的背景

プラティヤハーラの概念は、『バガヴァッド・ギーター』のみならず、ヨーガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』においても重要な位置を占めています。『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガの八支則(アシュターンガ・ヨーガ)の第五段階としてプラティヤハーラが説かれています。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(調息)といった外的な行法を修めた後に、プラティヤハーラを通して内的な修練へと移行していくのです。

『ヨーガ・スートラ』の著者パタンジャリは、プラティヤハーラを次のように定義しています。

「スヴァヴィシャヤ・アサンプラヨーゲー・チッタスヤ・スヴァルーパ・アヌカーラ・イヴェーンディリヤーナーム・プラティヤハーラハ」(『ヨーガ・スートラ』2章54節)

訳:「(感覚器官が)それぞれの対象との結合から離れ、あたかも心そのものの本性を模倣するかのように(内側に向かうこと)、それがプラティヤハーラである。」

ここで注目すべきは、「心そのものの本性を模倣するかのように」という部分です。これは、感覚器官が本来持っている外向きの性質を転換させ、心の静けさ、純粋さといった本質的な状態に同調させることを意味します。つまり、プラティヤハーラは単に感覚を遮断するだけでなく、意識の質を変容させる積極的なプロセスなのです。

この思想的背景には、古代インドのヴェーダ哲学やウパニシャッド哲学における「アートマン(真我)」と「ブラフマン(宇宙原理)」の探求があります。これらの哲学では、感覚的な世界は移ろいやすく不確実なものであり、真の幸福や永遠の真理は、自己の内側にあるアートマンの認識を通してのみ得られると説かれています。プラティヤハーラは、この内なる真我へと意識を向けるための準備段階として、極めて重要な役割を担っているのです。

また、仏教においても、感覚の制御は悟りへの道において不可欠な要素とされています。例えば、仏教の八正道における「正念(正しい気づき)」や「正定(正しい集中)」は、感覚的な欲望や執着から離れ、心の平静を保つことを目指す点で、プラティヤハーラと共通する理念を持っています。

東洋思想全般において、感覚器官は「窓」や「門」に例えられることがあります。窓が汚れていれば外の景色ははっきりと見えず、門が開けっ放しであれば望まぬものまで侵入してきます。同様に、感覚器官が制御されずに野放図な状態にあれば、心の内部は混乱し、真実を見誤ってしまうのです。プラティヤハーラは、この窓を磨き、門を閉ざすことで、心の内部を浄化し、保護するための知恵と言えるでしょう。

 

プラティヤハーラの実践方法とその段階

『バガヴァッド・ギーター』では、プラティヤハーラの具体的な実践方法について詳細な記述は少ないものの、その精神は随所に示されています。クリシュナは、感覚を制御し、心を一点に集中させることの重要性を繰り返し強調します。

「賢者は、感覚の喜びを味わうことを楽しんではならない。そのような喜びには始まりと終わりがあり、賢者はそれらに関わらないのだ。」(『バガヴァッド・ギーター』5章22節)

「ヨーギーは、常に心を集中し、孤独な場所に住み、心と自己を制御し、欲望と所有の念から解放されなければならない。」(『バガヴァッド・ギーター』6章10節)

これらの詩句は、プラティヤハーラが単なる技術ではなく、生活態度や精神的な覚悟を伴うものであることを示唆しています。

プラティヤハーラの実践は、一朝一夕に達成できるものではありません。段階を踏んで、少しずつ感覚の制御力を養っていく必要があります。以下に、プラティヤハーラの実践における一般的な段階やアプローチをいくつか紹介します。

  1. 意識的な選択: まず、自分がどのような感覚的情報に囲まれているかを意識的に観察することから始めます。そして、心を乱す不必要な刺激を意図的に避けるように努めます。例えば、騒がしい場所を避けたり、デジタル機器の使用時間を制限したりすることが挙げられます。

  2. 一点集中 (エーカーグラター): 瞑想の対象(呼吸、マントラ、特定のイメージなど)に意識を集中することで、他の感覚的な対象への注意を逸らします。最初は集中が途切れやすいかもしれませんが、繰り返し練習することで、集中力は高まっていきます。

  3. 感覚の観察: 外界からの刺激に対して、すぐに反応するのではなく、客観的に観察する練習をします。例えば、音が聞こえてきても、その音に対して「好き」「嫌い」といった判断を下さずに、ただ「音が聞こえている」という事実だけを認識します。これは、ヴィパッサナー瞑想などの手法にも通じるものです。

  4. 内的対象への転換: 感覚を外部の対象から引き離した後、意識を内なる対象へと向けます。例えば、身体の内部感覚、チャクラ(エネルギーセンター)、あるいは真我といった概念に意識を集中させます。

  5. シャヴァーサナ (屍のポーズ): ヨガのアーサナ(ポーズ)の中でも、シャヴァーサナはプラティヤハーラの実践に非常に効果的です。身体を完全にリラックスさせ、意識を身体の各部位へと向けていくことで、徐々に感覚の制御を深めていくことができます。

  6. プラーナーヤーマ (調息法): 呼吸を制御するプラーナーヤーマは、心と感覚を鎮める上で非常に重要な役割を果たします。特に、ブラフマリー・プラーナーヤーマ(蜂の羽音の呼吸法)のように、特定の感覚(この場合は聴覚)を内側に向けることで、プラティヤハーラの効果を高めることができます。

  7. ヨーガ・ニドラー (眠りのヨガ): 意識的なリラクゼーション技法であるヨーガ・ニドラーは、プラティヤハーラを深め、潜在意識の浄化を促す効果があります。指導者の声に従って意識を身体の各部位やイメージへと巡らせることで、感覚の制御と内観を深めます。

これらの実践を通して、私たちは徐々に感覚の奴隷から解放され、心の主人となることができるようになります。それは、あたかも熟練した馬術家が手綱さばきで暴れ馬を制御するように、自身の感覚を巧みに操り、心の平静を保つことができるようになることを意味します。

 

プラティヤハーラの現代的意義と課題

情報化が加速し、常に何かしらの刺激にさらされている現代社会において、プラティヤハーラの重要性はますます高まっています。私たちは、気づかないうちに感覚的な過負荷状態に陥り、慢性的なストレスや集中力の低下、さらには精神的な不調を抱えやすくなっています。

このような現代において、プラティヤハーラの実践は、以下のような多くの恩恵をもたらしてくれます。

  • ストレス軽減: 外的刺激を遮断し、心を内側に向けることで、交感神経の興奮を鎮め、副交感神経を優位にし、心身のリラックスを促進します。

  • 集中力・記憶力の向上: 雑念や感覚的な妨害が減ることで、目の前の作業や学習に集中しやすくなり、記憶力も向上する可能性があります。

  • 感情の安定: 感覚的な刺激に対する過剰な反応を抑えることで、感情の波が穏やかになり、精神的な安定が得られます。

  • 自己認識の深化: 外界への意識が減ることで、自分自身の内面(思考、感情、身体感覚など)に気づきやすくなり、自己理解が深まります。

  • 創造性の開花: 心が静まり、内なる空間が生まれることで、新たなアイデアやひらめきが生まれやすくなります。

  • より質の高い睡眠: 感覚的な興奮が鎮まることで、心身がリラックスし、入眠しやすくなり、睡眠の質が向上します。

しかし、プラティヤハーラを現代社会で実践するには、いくつかの課題も存在します。

  • 誘惑の多さ: スマートフォン、インターネット、SNSなど、現代には魅力的な感覚的刺激が溢れており、それらを完全に断ち切ることは容易ではありません。

  • 時間の確保の難しさ: 忙しい現代人にとって、プラティヤハーラの実践に十分な時間を確保することは難しい場合があります。

  • 誤解されやすい概念: プラティヤハーラを単なる「感覚の遮断」や「現実逃避」と誤解してしまうと、その本質を見失う可能性があります。プラティヤハーラは、感覚を否定するのではなく、感覚を賢く制御し、より高い意識状態へと活用するための技術です。

  • 孤独感との向き合い: 感覚的な刺激を減らすと、一時的に孤独感や退屈さを感じるかもしれません。しかし、それは内なる自己との対話を始めるための貴重な機会でもあります。

これらの課題を克服するためには、まずプラティヤハーラの真の目的を理解し、日常生活の中で少しずつでも実践していくことが大切です。完璧を目指すのではなく、できる範囲で、意識的に感覚を休ませる時間を作ることが重要です。それは、デジタルデトックスを試みることかもしれませんし、静かな自然の中で過ごすことかもしれません。あるいは、短い時間でも瞑想や呼吸法に取り組むことかもしれません。

 

結論:内なる静寂への扉としてのプラティヤハーラ

『バガヴァッド・ギーター』が示すプラティヤハーラの教えは、二千年以上もの時を超えて、現代を生きる私たちにとってもなお、深い示唆を与えてくれます。感覚の制御は、単に外部の騒音から逃れるための消極的な行為ではなく、自己の内なる無限の可能性を開花させるための積極的なステップです。

心の波を鎮め、感覚の支配から解放されるとき、私たちは初めて真の自己と出会い、揺るぎない平安と喜びに満たされることができるのです。プラティヤハーラは、そのための鍵となる実践であり、瞑想の深まり、そして最終的な解脱へと至る道程において、不可欠な橋渡し役を担っています。

アルジュナが戦場でクリシュナの言葉に耳を傾けたように、私たちもまた、日々の喧騒の中で、プラティヤハーラの教えに耳を澄ませる必要があります。それは、外なる戦いだけでなく、内なる戦いに勝利するための知恵であり、真の幸福へと続く道標となるでしょう。プラティヤハーラという扉を開くことで、私たちは心の奥深くに眠る静寂と調和、そして無限の可能性を発見することができるのです。それは、物質的な豊かさだけでは決して得ることのできない、魂の充足へと繋がる、かけがえのない旅路となるはずです。

 

岩波書店
¥858 (2025/12/04 20:43:22時点 Amazon調べ-詳細)
¥2,200 (2025/12/04 21:23:01時点 Amazon調べ-詳細)
ノーブランド品
¥12,550 (2025/12/04 21:23:01時点 Amazon調べ-詳細)

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


1年で人生が変わる毎日のショートメール講座「あるがままに生きるヒント365」が送られてきます。ブログでお伝えしていることが凝縮され網羅されております。登録された方は漏れなく運気が上がると噂のメルマガ。毎日のヒントにお受け取りください。
【ENGAWA】あるがままに生きるヒント365
は必須項目です
  • メールアドレス
  • メールアドレス(確認)
  • お名前(姓名)
  • 姓 名 

      

- ヨガクラス開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

ヨガは漢方薬のようなものです。
じわじわと効いてくるものです。
漢方薬の服用は継続するのが効果的

人生は”偶然”や”たまたま”で満ち溢れています。
直観が偶然を引き起こしあなたの物語を豊穣にしてくれます。

ヨガのポーズをとことん楽しむBTYクラスを開催中です。

『ぐずぐずしている間に
人生は一気に過ぎ去っていく』

人生の短さについて 他2篇 (岩波文庫) より

- 瞑想会も開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

瞑想を通して本来のあなたの力を掘り起こしてみてください。
超簡単をモットーにSIQANという名の瞑想会を開催しております。

瞑想することで24時間全てが変化してきます。
全てが変化するからこそ、古代から現代まで伝わっているのだと感じます。

瞑想は時間×回数×人数に比例して深まります。

『初心者の心には多くの可能性があります。
しかし専門家と言われる人の心には、
それはほとんどありません。』

禅マインド ビギナーズ・マインド より

- インサイトマップ講座も開催中 -

engawayoga-yoyogi-20170112-2

インサイトマップは思考の鎖を外します。

深層意識を可視化していくことで、
自己理解が進み、人生も加速します。
悩み事や葛藤が解消されていくのです。

手放すべきものも自分でわかってきます。
自己理解、自己洞察が深まり
24時間の密度が変化してきますよ。

『色々と得たものをとにかく一度手放しますと、
新しいものが入ってくるのですね。 』

あるがままに生きる 足立幸子 より

- おすすめ書籍 -

ACKDZU
¥1,250 (2025/12/05 12:56:09時点 Amazon調べ-詳細)
¥2,079 (2025/12/05 12:52:04時点 Amazon調べ-詳細)

ABOUT US

アバター画像
Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。