成果を求めない「ただ座る」【瞑想】

MEDITATION-瞑想

私たちは、現代社会という名の「競技場」で、常に何かを追い求めて走らされているかのようです。より早く、より遠くへ、より多くのものを手に入れるために、息つく暇もなく「頑張る」ことを強いられます。そして、その「頑張り」が蓄積された心身は、知らず知らずのうちに硬くこわばり、本来持つしなやかさや軽やかさを失ってしまいます。

そんな私たちが、ふと立ち止まり、自分自身の内側へと目を向けようとしたとき、「瞑想」という言葉に出会うことがあります。多くの方は、瞑想と聞くと、特別な場所で、特別な姿勢で、何分間もじっと座り、思考を完全に止める、といった「難しいもの」「頑張らなければできないもの」というイメージをお持ちかもしれません。確かに、古来より受け継がれてきた瞑想法の中には、高度な集中力や規律を要するものも存在します。しかし、もしあなたが今、心身の緊張を「ゆるめ」、肩の荷が下りるような軽やかさを求めているのであれば、そして、特別な準備や「頑張り」なしに、ただ気楽に、気軽に瞑想を始めてみたいと考えているのであれば、私は一つのシンプルな提案をしたいのです。それは、**「ただ座るというミニマルな瞑想の実践」**です。

 

成果を求めない「ただ座る」

私たちは、人生のあらゆる場面で「成果」を求められます。仕事であれば業績、学習であれば点数、スポーツであれば記録。そして、その「成果」を出すためには、「頑張る」ことが不可欠だと信じて疑いません。この「成果主義」の考え方は、いつの間にか瞑想の世界にまで持ち込まれてしまっているかのようです。「瞑想をすれば心が落ち着く」「集中力が高まる」「ストレスが軽減される」といった効果効能が強調されるあまり、私たちは瞑想を「何か良い結果を得るための手段」として捉え、そこでもまた「頑張って」成果を出そうとしてしまいます。

しかし、これから提案したい瞑想は、そのような「成果」や「頑張り」とは無縁の世界にあります。特別な呼吸法を身につける必要もありません。アグラを組んで背筋を伸ばし、微動だにしない完璧な姿勢を目指す必要もありません。必要なのは、あなたが今いる場所で、あなたが最も楽だと感じる方法で、ただ座ることだけです。

椅子に座っても良い。床に胡坐をかいても良い。なんなら、寝転がっていても構いません。重要なのは、あなたが身体のどこにも無理な力が入らず、ただそこに「在る」ことができる姿勢を見つけることです。これは、ヨガにおけるアサナ(ポーズ)の本質にも通じます。アサナは、単なる体操ではなく、快適で安定した状態(スティラ・スカム・アサナム)を見つけ、その状態を保つことを通して、心身の安定と内なる平和を探求する営みです。「ただ座る」というミニマルな実践は、このアサナの精神を最も純粋な形で体現していると言えるでしょう。

 

「ただゆるめる」ことの魔法

さて、ただ座ることができたら、次に意識を向けていただきたいのは、**「ゆるめる」**ということです。私たちは日常生活の中で、無意識のうちに身体の様々な場所に力を入れています。肩や首、顎、お腹、そして眉間…こうした小さな力みは、やがて心全体の緊張へと繋がっていきます。

「ゆるめる瞑想」とは、まさにこの無意識の力みに気づき、意図的にそれを手放していくプロセスです。難しいテクニックは一切不要です。ただ、今、自分が座っている姿勢の中で、どこかに力が入っていないか、感覚を研ぎ澄ませてみてください。そして、もし力みを感じたなら、そこに意識を向け、「ふう」と息を吐きながら、その部分の力を抜いていくのです。肩の力、腕の力、背中の力、お腹の力…一つずつ確認し、丁寧にゆるめていきます。

この「ゆるめる」という行為は、単に身体の筋肉をリラックスさせるだけではありません。それは、私たちが握りしめている概念、思考、感情といった、目に見えない心の緊張をも手放していくことに繋がります。私たちは、こうあるべき、こうしなければならない、こう思われているに違いない…といった様々な「べき」「ねばならない」に心を縛られ、それが内的なプレッシャーとなり、心身を硬くしています。**「肩の荷が下りる」**とは、物理的な重さだけでなく、こうした心にかかっている見えない重圧から解放される感覚を指すのではないでしょうか。

「ただゆるめる瞑想」は、こうした心の力みを解きほぐすための静かな実践です。思考が浮かんできても、それを「いけない」と打ち消そうと頑張る必要はありません。感情が湧き上がってきても、それに抵抗したり、囚われたりする必要はありません。ただ、それらが今、自分の内側に「在る」という事実を認め、それらに対する力みをゆるめていくのです。それは、嵐の中で波と格闘するのではなく、ただ岸辺に座って、波が打ち寄せ、引いていくのを静かに眺めるようなものです。

 

「ゆるめば起こる」自然な流れ

そして、最も重要なこと。それは、**「ゆるめば起こる」**瞑想の状態を受け入れるということです。私たちは、瞑想に対して「無にならなければいけない」「何も考えてはいけない」という強い固定観念を持ちがちです。しかし、人間の心は常に思考や感情を生み出す機械のようなものです。それを無理に止めようとすれば、かえって内的な抵抗が生まれ、苦痛を伴います。

「ただ起こる瞑想」とは、この自然な心の働きを否定しないことです。思考が浮かんできたら、「ああ、今、思考が浮かんできたな」と、まるで他人事のように観察します。感情が湧いてきたら、「ああ、今、こういう感情が湧いているな」と、その存在を認めます。良い・悪いの判断を加えたり、その思考や感情に囚われたりせず、ただ、それらが現れては消えていくのをただ見ているのです。

この「ただ見る」という行為は、まるで広大な空を眺めるように、雲(思考や感情)が流れていくのを追うようなものです。雲を掴まえようとしない。雲の形を批評しない。ただ、雲がそこにあることを認め、それが形を変え、やがて消えていく様子を静かに見守る。これが「ただ起こる瞑想」の本質です。

この状態は、まさに「ゆるめば起こる」自然な流れの中にあります。身体や心の力みをゆるめることで、内側で滞っていた「気」の流れがスムーズになり、本来の自己が持つ自然な状態が現れてきます。それは、無理に何かを「作り出す」のではなく、ただ力を抜くことで、自然に「起こってくる」状態なのです。

 

SIQANに学ぶ、気楽で自由な瞑想

「ただ座る」「ただゆるめる」「ゆるめば起こる」。このシンプルな実践は、何か特定の流派に厳密に従う必要はありません。巷には様々な瞑想メソッドがありますが、その多くは私たちの「頑張りたい」「成果を出したい」という欲求を刺激する形で提示されているように感じられます。そこで、私はSIQAN瞑想の精神に倣って、あなたに提案したいのです。

SIQANという言葉には様々な解釈があるかもしれませんが、私はそこに「詩(し)のように自由で、漢詩のように奥深く、そして静観(せいかん)するように穏やかな」といったイメージを重ね合わせます。詩にルールはありますが、それ以上に大切なのは表現の自由さです。漢詩に形式はありますが、そこに込められた想いや情景は無限です。そして静観とは、ただ静かに物事を観察することです。

SIQAN瞑想に厳密な定義があるかどうかはさておき、その響きから私が受け取るのは、まさに**「気楽に、気軽に、形式に囚われず、ただ自然に任せる」**というメッセージです。毎日同じ時間でなくても良い。毎日できなくても良い。完璧な時間や場所を見つけようとせず、今、この瞬間に、少しだけ「ただ座って、ゆるめて、ただ起こることに任せてみる」という時間を持ってみることです。

 

今まで得た知識を、ちょっと手放してみませんか?

さて、もしあなたがこれまでにも瞑想について色々と学んできたことがあるなら、ここで一つお願いがあります。それは、今まで得た知識を、ちょっと手放していただきたいのです。「正しい瞑想のやり方」「効果的な呼吸法」「集中力を高める秘訣」…そうした貴重な知識やテクニックは、確かに素晴らしいものです。しかし、それらがあなたに「こうしなければならない」というプレッシャーを与え、瞑想を始めるハードルを高くしているとしたら、一時的にそれらを脇に置いてみませんか?

色々と得たものをとにかく一度手放しますと、新しいものが入ってくるのですね。 私たちは、既に持っている知識や経験に固執しがちですが、それを一度手放すことで、全く新しい視点や感覚が流れ込んできます。それは、頭で理解しようとするのではなく、身体や感覚を通して直接的に受け取る、生きた智慧です。

「ただ座る」「ただゆるめる」「ゆるめば起こる」というミニマルな実践は、まさにこの「手放す」ための行為です。成果への期待、正しいやり方への執着、思考を止めようとする頑張り…そうしたものを一度手放してみることで、あなたの中に眠っていた、瞑想に対する全く新しい感覚が目覚めるかもしれません。それは、頑張って掴もうとするのではなく、向こうから勝手にやってくるような、肩の荷が下りるような、軽やかで心地よい感覚でしょう。

 

さあ、実践しよう

完璧を目指す必要はありません。一日一分でも良い。たった一口の呼吸に意識を向けるだけでも良いのです。

さあ、今、あなたが座っている場所で、少しだけ姿勢を楽にしてみてください。

目を閉じるか、半眼(遠くの一点を見るようなぼんやりした視線)にします。

深呼吸をする必要はありません。ただ、あなたの自然な呼吸に意識を向けます。

そして、身体のどこかに力みがないか、そっと探してみます。肩、首、顎…見つけたら、息を吐きながら、そっと力を抜きます。

思考や感情が浮かんできても、それを追いかけたり、消そうとしたりせず、ただ、そこに「在る」ことを許します。まるで空を流れる雲のように、ただ眺めます。

判断せず、評価せず、ただ、今、ここで「起こっていること」をそのまま受け入れます。

これを、ほんの少しの時間、続けてみてください。

これが、あなたの新しい瞑想の始まりです。「ただ座る」「ただゆるめる」「ゆるめば起こる」という、最もシンプルで、最も奥深い瞑想の実践です。

この実践を通して、あなたの日常に静かな変化が訪れることを願っています。それは、劇的な変化ではないかもしれません。しかし、きっと、あなたの心に少しずつ「余白」が生まれ、物事の本質が見えやすくなり、そして、自分自身の内側にある静かな強さに気づくことになるでしょう。

瞑想は、頑張るものでも、特別なものでもありません。それは、ただ、自分自身へと還っていく、静かで、心地よい旅なのです。気楽に、気軽に、あなたのペースで、この旅を始めてみてください。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。