ヨーガスートラにおける「無執着」 – 執着を手放し、真の自由を手に入れる

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「執着を手放すことで、あなたは初めて、本当に自由になれる。」

これは、ヨーガ哲学の中核をなす教えの一つであり、特にヨーガスートラにおいて重要な概念として説かれる「無執着」(ヴァイラーギャ、vairāgya)のエッセンスを凝縮した言葉です。現代社会を生きる私たちは、物質的なもの、人間関係、そして自身の思考や感情にさえ、様々な執着を抱えながら生きています。しかし、ヨーガの賢者たちは、執着こそが苦しみの根源であり、真の自由と幸福を得るためには、この執着を手放す必要があると説きます。

この記事では、ヨーガスートラが教える「無執着」の哲学について、深く掘り下げていきます。ヨーガスートラにおける無執着の定義、その種類、そして無執着を実践するための具体的な方法、さらには無執着がもたらす恩恵まで、網羅的に解説していきます。ヨーガ哲学の初心者の方にも理解できるよう、専門用語は丁寧に解説し、現代社会を生きる私たちにとっての意義も考察します。

この記事を読み終える頃には、あなたはヨーガスートラにおける無執着の哲学を深く理解し、日々の生活の中で実践するための具体的なヒントを得ていることでしょう。そして、執着を手放し、真の自由を手に入れるための第一歩を踏み出すことができるはずです。

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無執着(ヴァイラーギャ)とは何か?

ヨーガスートラにおける「無執着」とは、サンスクリット語で ヴァイラーギャ(vairāgya) と呼ばれます。この言葉は、vi-rāga という二つの語根から成り立っています。「vi」は「分離、離れる」を意味し、「rāga」は「色、情熱、愛着、執着」を意味します。したがって、ヴァイラーギャは文字通りには「情熱から離れること」「執着から離れること」と解釈できます。

ヨーガ哲学において、ヴァイラーギャは非常に重要な概念です。なぜなら、ヨーガの目的は、自己実現解脱真の自由純粋意識の確立など、様々な言葉で表現されますが、いずれも苦しみからの解放を最終目標としているからです。そして、ヨーガ哲学は、苦しみの根本原因は執着にあると考えます。

私たちは、五感を通じて外界の様々な対象に触れ、快・不快の感情を経験します。快い対象には執着し、不快な対象からは逃れようとします。しかし、ヨーガスートラは、快楽への執着も苦しみを生むと説きます。なぜなら、快楽は一時的なものであり、必ず変化し、失われるからです。快楽に執着すればするほど、それが失われたときの苦しみは大きくなります。

また、私たちは、物質的なものだけでなく、人間関係、社会的地位、名誉、そして自身の思考や感情にも執着します。これらの執着も、変化や喪失によって苦しみを生み出す原因となります。ヨーガスートラは、全ての執着を手放すことによってのみ、真の自由と平和が得られると教えているのです。(壮大な話です)

 

ヨーガスートラにおける無執着の位置づけ

ヨーガスートラは、パタンジャリによって編纂された、ヨーガ哲学の根本経典です。ヨーガスートラは、ヨーガの実践体系を八支則(アシュタンガ・ヨーガ)として体系化しています。八支則とは、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、プラティヤハーラ(感覚の制御)、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)の八つの段階から構成されています。

無執着(ヴァイラーギャ)は、この八支則の中で、直接的にはヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)に関連しています。ヤマの一つであるアパリグラハ(不貪)は、所有への執着を捨てることを意味し、ニヤマの一つであるサントーシャ(知足)は、現状に満足し、過度な欲望を持たないことを意味します。これらのヤマとニヤマの実践は、無執着の心を養う上で不可欠です。

しかし、無執着は八支則全体を通して重要なテーマとして貫かれています。アーサナやプラーナーヤーマの実践は、身体と呼吸に対する執着を弱める効果があります。プラティヤハーラは、感覚器官を外界の対象から引き離し、感覚的な快楽への執着を減らす訓練です。そして、ダーラナ、ディヤーナ、サマーディといった瞑想の実践は、心の静けさを深め、思考や感情への執着を手放していくプロセスです。

このように、ヨーガスートラにおける無執着は、八支則の実践全体を通して育成されるべき心の状態であり、ヨーガの最終目標であるサマーディ(三昧)に至るための重要な要素なのです。

 

無執着の種類:二つのヴァイラーギャ

ヨーガスートラでは、無執着を二つの段階に分けて説明しています。それは、有対象の無執着(サンパッタ・ヴァイラーギャ、sampatta vairāgya)と 無対象の無執着(アサンパッタ・ヴァイラーギャ、asampatta vairāgya)です。

有対象の無執着とは、現象世界に対する執着を手放すことです。これは、五感を通じて経験する様々な対象、例えば、美しい景色、美味しい食べ物、心地よい音楽、魅力的な人々など、あらゆる現象に対する執着を手放すことを意味します。ヨーガスートラは、「見られたもの、または経典で聞かれたものに対する渇望のない状態が、有対象の無執着である」(ヨーガスートラ 1.15) と説いています。

ここで重要なのは、「渇望のない状態」という点です。現象世界を完全に否定したり、感覚を麻痺させたりすることではありません。美しいものを美しいと感じる、美味しいものを美味しいと感じる、そうした感覚自体は自然なものです。しかし、それに執着し、しがみつき、失うことを恐れる心を手放すことが、有対象の無執着なのです。

一方、無対象の無執着とは、現象世界だけでなく、プルシャ(純粋意識)以外の全てのものに対する執着を手放すことです。ヨーガスートラは、「プルシャの知識の完成によって、グナに対する渇望のない状態が、無対象の無執着である」(ヨーガスートラ 1.16) と説いています。

ここでいう「プルシャ」とは、ヨーガ哲学における真の自己純粋意識のことです。それに対して、「グナ」とは、プラクリティ(根源的物質)を構成するサットヴァ(純粋性)、ラジャス(激性)、タマス(惰性)という三つの性質のことです。ヨーガ哲学は、私たちの経験世界は、プルシャとプラクリティが結合することによって生じると考えます。そして、私たちの心や身体、思考や感情も、プラクリティの産物であり、グナによって特徴づけられます。

無対象の無執着とは、現象世界だけでなく、私たち自身の心や身体、思考や感情といった、プルシャ以外の全てのものに対する執着を手放す、より深いレベルの無執着です。これは、ヨーガの実践を通して、自己の本質がプルシャであるという知識が深まるにつれて、自然と育まれていくものです。

有対象の無執着は、日常生活の中で実践できる比較的初期の段階の無執着であり、無対象の無執着は、より高度なヨーガの実践を通して到達する、より深いレベルの無執着であると言えるでしょう。

 

無執着と類似概念:離欲、禁欲、禁制、不貪

無執着と類似した概念として、離欲禁欲禁制不貪 などが挙げられます。これらの概念は、いずれも欲望や執着をコントロールし、手放すことを目指すという点で共通していますが、それぞれニュアンスや重点が異なります。

・離欲 は、文字通り欲望から離れることを意味し、仏教などでも重要な概念です。無執着と非常に近い意味合いで用いられることが多いですが、より広範な意味で、あらゆる欲望を対象とする場合があります。

・禁欲 は、快楽を避け、欲望を抑制することを強調する概念です。ストイシズムなどの哲学や、一部の宗教で重視されます。無執着と関連は深いですが、禁欲は時に自己否定的な側面を伴うことがあります。ヨーガにおける無執着は、快楽を否定するのではなく、快楽への執着を手放すことに重点を置きます。

・禁制 は、ヨーガスートラの八支則におけるヤマ(禁戒)の一つであり、暴力、嘘、盗み、不節制、貪欲といった行為を禁じることです。禁制は、社会生活における倫理的な規範であり、無執着の実践を支える土台となります。

・不貪 は、ヤマの一つであるアパリグラハの訳語であり、所有への執着、貪欲さを捨てることを意味します。不貪は、特に物質的なものへの執着を手放すことを強調する概念であり、無執着の一つの側面を具体化したものです。

このように、無執着は、離欲、禁欲、禁制、不貪といった類似概念と関連しながらも、ヨーガ哲学独自の視点から、執着を手放し、真の自由を目指す道を示していると言えるでしょう。

関連記事:心を軽くする言葉:「無執着」 – 離欲、禁欲、禁制、不貪について

 

無執着の歴史的・思想的背景:東洋思想における位置づけ

無執着の思想は、ヨーガ哲学だけでなく、インド思想、東洋思想全体に深く根付いています。

古代インドにおいては、ウパニシャッド哲学 や 仏教ジャイナ教 など、様々な思想体系が、執着を手放すことの重要性を説いてきました。ウパニシャッド哲学は、アートマン(真我)と ブラフマン(宇宙の根源)の合一を最終目標とし、そのためには、マーヤー(幻影)である現象世界への執着を手放す必要があると説きます。

仏教では、四聖諦 の教えにおいて、苦諦(人生は苦であるという真理)、集諦(苦しみの原因は執着であるという真理)、滅諦(苦しみを滅することができるという真理)、道諦(苦しみを滅するための道があるという真理)を説き、執着こそが苦しみの根源であると強調します。そして、八正道 を実践することで、執着を滅し、涅槃(悟り)に至る道を説きます。

ジャイナ教も、アヒンサー(不殺生)を最も重要な戒律とし、五戒 を実践することで、魂を浄化し、解脱 を目指します。ジャイナ教も、物質的なものへの執着だけでなく、あらゆる所有、さらには身体への執着さえも手放すことを重視します。

このように、無執着の思想は、古代インドの様々な思想体系に共通する重要なテーマであり、東洋思想全体においても、老荘思想 や  など、様々な形で展開されてきました。東洋思想は、西洋思想に比べて、一般的に内面的な平和 や 精神的な自由 を重視する傾向があり、そのため、執着を手放すことの重要性が強調されてきたと言えるでしょう。

現代においても、東洋思想における無執着の知恵は、ストレス社会を生きる私たちにとって、心の平安を取り戻し、より充実した人生を送るための重要な指針となるはずです。

 

無執着の実践方法:ヨーガの実践と日常生活への応用

ヨーガスートラは、無執着を単なる思想としてではなく、実践を通して体得していくべきものとして捉えています。ヨーガの実践、特に八支則の実践は、無執着の心を養うための具体的な方法論を提供してくれます。

アーサナ(坐法)と プラーナーヤーマ(呼吸法)の実践は、身体と呼吸に対する意識を高め、身体的な快・不快への執着を弱める効果があります。快適なアーサナを安定して保つこと、呼吸を深く、穏やかにコントロールすることを通して、私たちは身体や呼吸に対する過度な執着を手放し、より内面的な意識へと向かうことができます。

プラティヤハーラ(感覚の制御)は、五感を通して外界から入ってくる情報に対する執着を減らす訓練です。感覚器官を意識的に内側に向けることで、私たちは感覚的な刺激に振り回されることなく、心の静けさを保つことができます。

ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)といった瞑想の実践は、心の働きを静め、思考や感情への執着を手放していくプロセスです。瞑想を通して、私たちは心の奥深くにある静寂な領域に触れ、真の自己(プルシャ)の存在を体験的に理解することができます。自己の本質を理解することで、私たちは、一時的な感情や思考、あるいは物質的なものへの執着が、いかに無意味であるかを悟り、自然と執着を手放していくことができるようになります。

ヨーガの実践に加えて、日常生活においても無執着を意識的に実践することが重要です。例えば、人間関係においては、相手に過度に期待したり、依存したりする執着を手放し、自立した関係を築くことを心がけることができます。仕事においては、成果や評価への執着を手放し、プロセスを楽しむ ことを意識することができます。物質的なものに対しては、必要以上に物を所有することへの執着を減らし、シンプルで質素な生活 を心がけることができます。

また、日々の生活の中で起こる出来事に対する心の反応を観察することも、無執着を実践する上で有効です。快い出来事に遭遇したとき、心がどのように反応するか、不快な出来事に遭遇したとき、心がどのように反応するかを観察し、感情の波に乗りこなされることなく、冷静に状況を見つめる 練習をすることで、執着から解放されていくことができます。

 

無執着の効果・メリット:真の自由と心の平安

無執着を実践することで、私たちは様々な恩恵を得ることができます。最も重要な効果は、苦しみからの解放、そして 真の自由 を得られるということです。執着を手放すことで、私たちは変化や喪失に対する恐れから解放され、心の平安 を得ることができます。

物質的なものへの執着を手放すことで、私たちは 物質的な豊かさ に依存した幸福から解放され、内面的な豊かさ に目を向けることができるようになります。人間関係への執着を手放すことで、依存的な関係 から解放され、自立した、より健全な人間関係 を築くことができるようになります。思考や感情への執着を手放すことで、心の騒がしさ から解放され、静かで穏やかな心の状態 を保つことができるようになります。

無執着は、自己実現 を促進する効果もあります。執着を手放すことで、私たちは 本来の自分 を覆い隠していた様々な覆いを取り払い、真の自己 の輝きを現すことができるようになります。自己の本質に気づき、自己の可能性を最大限に開花させることこそ、ヨーガが目指す自己実現です。

さらに、無執着は、他者への共感 や 慈悲心 を育む効果もあります。自身の執着を手放すことで、私たちは他者の苦しみにも共感しやすくなり、他者を助けたい という自然な気持ちが湧き上がってきます。無執着は、利他的な行動 の源泉ともなり得るのです。

 

無執着の現代的意義:消費社会、情報過多社会を生きる私たちへ

現代社会は、消費社会情報過多社会 と言われています。私たちは、常に新しい商品や情報にさらされ、欲望 を刺激され続けています。SNSなどを通して、他者の生活を垣間見る機会も増え、比較 や 競争 の意識も強くなりがちです。このような社会環境の中で、私たちは様々な執着を抱えやすく、ストレス や 不安 を感じやすい状況に置かれています。

ヨーガスートラが説く無執着の哲学は、このような現代社会を生きる私たちにとって、非常に重要な意義を持っています。無執着の教えは、消費主義的な価値観 から距離を置き、本当に大切なもの は何かを見つめ直すきっかけを与えてくれます。情報過多な状況の中で、情報に振り回されることなく、自分にとって必要な情報を見極める力を養う助けとなります。

また、無執着の実践は、ストレス軽減 や 幸福感の向上 にも繋がります。執着を手放すことで、私たちは 心の負担 を減らし、よりリラックスした状態 で日々を過ごすことができるようになります。他者との比較や競争から解放され、自分自身の価値 を見出し、ありのままの自分 を受け入れることができるようになります。

ヨーガスートラにおける無執着の哲学は、2500年以上前の古代インド で生まれたものですが、その教えは、現代社会を生きる私たちにとっても、普遍的な価値 を持っています。無執着の知恵を学び、実践することで、私たちは より自由で、より平和で、より充実した人生 を送ることができるはずです。

 

まとめ:執着を手放し、真の自由への道を歩む

ヨーガスートラにおける無執着(ヴァイラーギャ)の哲学は、執着こそが苦しみの根源 であるという認識に基づき、執着を手放すことによって真の自由と幸福を得る 道を説くものです。無執着は、ヨーガの実践を通して体得されるべき心の状態であり、日常生活においても意識的に実践することができます。

無執着を実践することで、私たちは苦しみから解放され、心の平安を得、自己実現を達成し、他者への共感や慈悲心を育むことができます。現代社会を生きる私たちにとって、無執着の知恵は、ストレスを軽減し、幸福感を向上させ、より充実した人生を送るための重要な指針となります。

「執着を手放すことで、あなたは初めて、本当に自由になれる。」

この言葉を胸に、ヨーガスートラの教えを日々の生活に取り入れ、執着を手放し、真の自由への道を歩み始めましょう。ヨーガの実践は、そのための力強いサポートとなるはずです。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。